仮面の下の攻防戦
翌日、事務所に集められると、僕ら4人は正式な契約書にサインした。マリエさんが嬉しそうに笑う。
「バンド名は、動画の書き込みにあったマスク・ド・ファイヴで行くわ。だからもう一人のメンバーは、あんたらで探してきて」
唖然とする僕らに言い放った。
「バンドのメンバーってそんな簡単に見つかるもんじゃないっすよ」
反論したノボルに若松さんが睨みをきかす。そして無言で契約書を指差した。そこには『社長のいうことは絶対!』という、まるで王様ゲームのような大きな一文があった。
「それと、この動画のバンドだって、自分達で言い張っても信じてもらえないでしょ。でも、ラッキーなことに、そのマスクって一品物らしいのよね。あのライブハウスのオーナーの手作りなんだって。ほら見て、盗難届けも出てる」
開いたパソコンには、店で会った老人が何かを叫んでいる動画があった。
「だから、もう一度メキシコ行って、ちゃんとマスクを譲り受けて来て欲しいの。そしてまたステージに立って動画を撮られてくるのよ」
若松さんも口を開く。
「そうだ、メキシコからの逆輸入バンドってことだ。なんか若手レスラーみたいで格好いいな。お前らは音楽界のタイガーマスクを目指すんだ。ちょっとした技も学んで来いよ」
鍛え上げた右腕をパチンと叩く。この人の言うことは、聞き流そうと僕は思った。
「メキシコには、いつ出発なんですか? バイトの都合とかもあるし」
ノボルが尋ねると、「今晩よ。もうチケットは取ってあるわ。あとこれは、先行投資金。オーナーがごねたって絶対にマスクを貰って来るのよ。いざとなれば札束で顔をはたいてやりなさい」
テーブルの上には五十万円ほどの現金が置かれた。
「じゃぁ、デビューの手はずは整えておくから、メキシコ修行頑張ってきてね。あと楽器はスタジオから好きなの持ってって」
そう言うと、マリエさんは契約書を手に颯爽と部屋から出て行った。
「あと、これがお前らのキャラ設定だ。ぶれないように頭に叩きこんどけよ」
若松さんが一冊のノートを渡してきた。その表紙には汚い文字で『マスク・ド・ファイヴ虎の巻』と書かれてあった。
またカンクンの地を踏むなんて思わなかった。ネットでダウンロードした地図を手がかりにマスク姿で僕らは道を進む。前回は酔った勢いで辿りつけたけれど、冷静に辺りを見渡すと治安の悪い街だった。中心地を離れると、ガラの悪いアンちゃん達が睨んでくる。
「リョータ・・・いや、デルフィン。あと、どれくらいで着きそうなん?」
ボーカルの鉄平こと、アステカが尋ねる。
「たぶんもう少しだよ。あのスーパー見覚えあるし」
そこには前回テキーラを買い込んだ、オンボロの小さな店があった。僕らはマスクマンの設定に少しでも早く慣れるために、若松さんの考えた名前で呼び合うことにしていた。
「なぁデルフィン、それにしても暑いよな。これからずっと、これ被ってないといけないってかなり厳しいな」
ギターを抱えたウルティモが声を漏らす。
「俺のは結構涼しいぜ。なんたってメッシュ入りだかんね。なんだったら変えてやってもいいぞ」
スティックを回しながらロメロが笑った。健吾の能天気さは、マスクを被ったことで倍増されていた。
「あれじゃねーか」
荷物の少ないボーカルのアステカが叫ぶ。指差した先には、見覚えのある古いライブハウスがあった。あの日の感動が蘇り、僕らはしばらく立ち尽くした。
「もう、引き返せないからな」
「あぁ、俺達は生まれ変わるんだ」
「二度と同じ過ちは繰り返さない」
震える手で木のドアを押すと、店内を掃除していた見覚えのある老人がマスク姿の僕たちを見て叫び出した。どうやら、そのマスクを返せと言っているようだった。ウルティモがカタカナで書いたメモを取り出し読み上げると、老人は怒ったような剣幕で首を振った。
「なんか断られたみたいだな」
そして渋々リュックを開けると換金した札束を少しずつ手渡していく。老人の顔がほころんでいくのが分かる。そして7つ目の塊を取り出した時、その皺だらけの顔に満面の笑みを浮かべ、ウルティモと固い握手を交わした。どうやら交渉は成立したようだった。老人はカウンターの方へ歩いていくと
「サルー!アミーゴ!」と叫びながらテキーラを4杯差し出した。それを飲む干すと、次々におかわりを作っていく。喉にヒリつく、その刺激と酔いが僕らをあの日の晩にタイムスリップさせていった。
夜の十時を過ぎた頃、酔いの回ったウルティモが叫んだ。
「そろそろ、行こうじゃあーりませんか」
店の控え室には、テキーラのボトルが3本転がっている。床には泥酔したロメロが横たわっている。そこにボーカルのアステカが急ぎ足で戻ってきた。
「めっちゃ人が入っとるけぇ。なんか地元のテレビ局まで来とんじゃ」
マスク姿の開放感からか、めったに出さない広島弁が出る。どうやら老人が、ライブ告知してくれたらしく、窓から覗くと、店の外にまで人が溢れている。謎の覆面バンドの日本人の噂は、あれから現地でも話題になっていたようだった。
「ミシェルも来てくれるんじゃろうか」
アステカは興奮を隠せない様子だった。若い店員がドアから顔を出し、こっちに向かって手招きをする。いよいよ開演時間のようだ。僕らはテキーラで、もう一度乾杯した。
「絶対に盛り上げようぜ」
「あぁ、ここからがマスク・ド・ファイヴの伝説の始まりだ」
「そして必ず売れようぜ」
固い円陣を組むと、それぞれの胸を叩きあった。そんな青臭い儀式なんて学生時代にしかしたことなかった。
「うん、世界中に俺達の音楽を届けようや」
僕の言葉に、3人は大きく頷いた。
「お帰りーーー!!」
「こっち向いてーーー!」
成田空港のロビーに降り立つと歓声があがる。三百人を超す女性ファンが詰め掛けていた。
「やべぇ、変装しなきゃ」とロメロが耳打ちしたが、僕らは元がマスクマンだ。マスクマンの変装ってどうやるんだろうと思った。
「僕たちも会いたかったよーーー」
手を振りながら、その前を通り過ぎると、彼女達は何の反応もなく通り過ぎさせてくれた。振り返ると、僕らの後ろに人気アイドルグループがいた。途中で辞めるのも恥ずかしいから、みんなで手を振り続けながらロビーを歩くと、見知らぬお婆ちゃんが振り返してくれた。スターになるには、まだ早い・・・僕らはその言葉を胸に刻み込んだ。しかし4日前のメキシコでのライブは、すぐにネットの動画サイトにアップされ、マリエ社長の目論み通り、世界中の音楽ファンの間で話題になっていた。耳の早いワイドショーのレポーターや週刊誌の記者達が空港の入り口に駆けつけていた。
「ミシェルが見に来てた噂がありますが?」
「CDデビューは近いのですか?」
ウルティモが嬉しそうにインタビューに応じている。
結局ミシェル・マリアーノは来てくれなかったけれど、その翌日に、彼女の十年ぶりの復活が発表された。「日本から来た、陽気な覆面バンドには感謝してる」と、会見の最後にはメッセージもくれた。それが今回の旅の一番の収穫だった。もちろんライブの出来栄えは、あの夜には及ばなかったけれど、僕らが謎のマスクバンドであることを世間に認知させることはできた。泥酔してあんまり覚えていないけれど、ビートルズのカバー数曲とブレーブ・ファクトリー時代の未発表曲をやった。もちろんミシェルとセッションしたナンバーも大幅にアレンジを変えて演奏した。差し出されたマイクに向かってアステカが「グラッシャス!是非アリガトウ」と、カタコトのスペイン語と適当な日本語で答える。設定が固まるまでは、あんまり長く話すなという若松さんが作った『マスク・ド・ファイヴ虎の巻』の教えを守り、足早にタクシーに乗り込んだ。
「やべーよ、まじやべーよ。テレビのインタビュー受けちゃったりして一気にスターダムに乗っちゃったよ俺ら」
ロメロが騒ぎ出すのを落ち着かせた。
壁に耳あり、障子に目あり…
マスク姿の4人組に、運転手さんが不審な視線を向けているのに気づいたからだ。シートの後ろには『タクシー強盗多発!注意せよ』というシール。多分僕らは完全に不審者と思われている。
「今日の試合も頑張ろうな」
僕は運転手さんに聞こえるように言った。アステカも、その言葉の意味に気づいていたのか「おう、王者のベルト巻かないとな」と答える。ロメロは何を言い出したのかとポカンとしている。すると襟足から白髪の覗く運転手さんが、「やっぱり、プロレスラーの方でしたか。どっかで見たことあるなぁって思ったんですよ」と安心したように口を開いた。
「いやね、最近ぶっそうじゃないですか。まさか空港から覆面強盗が乗ってくるとは思わないから乗せたんですけどね。最初はビックリしましたよ」
そう言うと嬉しそうに笑った。