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はじまり―ケランダ山

木々の緑の葉が、そよ風と楽しげにハーモニーしている。やさしげに揺れる長く釣り下がるハートの葉っぱをつけたつる草。それらは、静かな川のせせらぎの音と、自然の間から聞こえる動物達や虫達の心地よい歌声に合わせて、スイングを繰り返す。
 かわいらしい小鳥達のさえずりは、気まぐれだけれど、無邪気な少女達の取りとめのないおしゃべりのように聞こえる。こもれびは、その間になんとか入り込もうと、右往左往している。それらの中に、神聖な湧き水の音がかすかに聞こえる平和な里山のような村――ケランダ。 
 ここは、悠久の南の国にあるたかだか標高数百メートル、千メートルにもならない山とはいえないような小さな山の頂上である。しかし、その百年前には、熱帯雨林である手つかずの野性的なこの山に登るのは、人は死を覚悟するほど、とても苦労したのだ。
 しかし、山の向こう――その奥地には、人の気を狂わせるようなお宝である資源が眠っていた。そのために、利欲な人々は、原生林を開発して鉄道を通した。権威の亡者がこのお宝を搾取するために、何人の犠牲者を出してきたのだろう。
 まばゆいばかりのゴールドラッシュの時代が終わり、やっと全開通した鉄道はもうその意味を持たなかった。資源はいつかは底をつく。本来の役割を失ったその趣のある鉄道は、今度はケランダ観光列車として有名になっていくのである。
この歴史の前には、もっと古い物語がある。それは、ケランダ鉄道の先頭車両に描かれている虹蛇の伝説だ。太古の昔から語られている先住民のお話しである。
 およそ四億年前、海底からできた地形から、海底火山の爆発を繰り返して、押し上げられたマグマとともに資源はできて、ケランダ金鉱脈となる。それを守ってきたのがこの虹蛇の大蛇だ。
 虹蛇は、先住民達とは、大自然の中で仲良く共存してきたのに、その後、開拓者が次々と、人間とのその仲を壊していった。それは、やがてある日、虹蛇の怒りに触れてしまうのだ。多くの開拓する労働者が命を落としてきた。
 今は、金は出なくなったが、その場所は観光地として栄えている。ケランダの山の奥地には、まだ先住民の血をひく人達の住む部落があり、その地域は国で保護され守られていた。今もなお、先住民の子孫達は、虹蛇に祈りを捧げている。虹蛇は神だ。
 ケランダ山の太古の昔からある熱帯雨林は世界遺産でもある。また、神々しい水しぶきをあげて、下方の海へと長く流れていく大きな滝と、バルーンリバーという川もある。そんな景色をバックに、美しい曲線を描いて上っていくケランダ観光列車は、風光明媚なところを走るレトロな列車として、度々テレビの画面にも登場している。
 そのケランダ山の観光地に、日本からきたニックネーム「べんさん」こと――吉田勉というおじさんが、和菓子屋「はやぶさ」という店をやっている。彼は、そのケランダという小さな村に根を張り、この気高い大自然とともに、ひとりで強く生きている。べんさんの生きる姿はそういう姿勢をうかがわせる。
 べんさんの風貌だが、中肉中背であるが、骨格は随分としっかりしている。少し垂れたやさしげな目と、ずんぐりとしたその体型はアンバランスだが、どこか愛嬌のある俊敏な動きにも、なにごとにも負けない強さがあるので、わたしは角のないサイのようだと思った。サイの角は漢方薬にもなるそうだが、べんさんには角はないが、不思議な力があると感じる。
 最近は、ユニコーン――一角獣がブームで、頭につけるそんなカチューシャとか小物で人やペットに飾りをつけて、写真に撮りインスタに投稿をしたりするらしい。一角獣は獰猛だが、水をきれいにして、病気を治す力があったという。そして、純真な処女にめっぽう弱くて、おとなしくなってしまうという神話がある。
 べんさんの強さ――それは、弱いものを助け、強く生きていくというパワーというよりも、何が起きてもだいじょうぶだ! という受け身の強さだ。
 古代インドでは、サイは火までも踏み消すという伝説がある。べんさんは、起こった火……アクシデントは助けてくれそうだ。角のないサイのこの人には、だいじょうぶ……見捨てないという人情深さがあるのだ。ケランダの虹蛇も、ここに居ることを許しているに違いない。

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