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マスクマン同窓会に出るの巻

誰だって仮面を被って生きている。学校や職場、家族や友達の前、その場に応じた仮面を使い分けて生きている。本当の自分を見せないこと、本音と建前を使い分けること…
 悲しいけれど、それが大人になるってことなんだ。だけど、いつしか人は出会う。その仮面を脱ぎ捨てて、素顔の自分のことを受け止めて欲しい人に。覆面ミュージシャン生活3年と2ヶ月。僕はその岐路に立とうとしていた。


「では、リハーサルは以上です。明日のライブ、頑張っていきましょう」
 アリーナ席から音響スタッフの声が響く。僕はベースを片付けると足早に会場を後にした。タクシーから眺める故郷の街並み。せつない想いが込み上げる。
「お兄さんも、あのバンドのファンね? なんかコンサートあるんでしょ、さっき乗せた女の子たちも同じマスク被ってたとよ」
 運転手さんが鏡越しに尋ねてきた。
「メキシコ帰りの覆面バンドだっけ?マスク・ド・なんとかってさ。最近人気みたいだけど、あんなのどこがいいのかねぇ」
 おじさんは、小首をかしげながら言った。
「しかも、ギターかボーカルかは三代目マスク・ド・なんとかだって。こっちは初代が誰かも知らないのに、そいつが活動停止、脱退とかニュースで言われてもねぇ」
 そしてまだまだ続く僕らのバンドへの悪口に適当に相づちを打ちながら、僕はあの人のことを考えていた。
 泣かないでマリー…
 あれを書いてから、もう2年か。あの人のおかげで、僕らは覆面バンドになったんだ。だけど、もう2年も会ってないのか。
「人生は何度だって、やり直せるの。それは自分が変わろうとする勇気さえ持てればね」
 今も心を離れない言葉が胸の奥をしめつける。

 ガラス越しに流れ行く博多の懐かしい町並み。色んな思い出がよみがえる。モテたくて始めた音楽。そして大学時代に組んだバンドで、まぐれでメジャーデビュー。売れる曲なんて、いつだって書けると思ってた。そして、どんどんブレイクして行った奴らのことを、商業音楽に魂を売ったなんて飲み屋でくだをまいてたんだ。自分たちはヒット曲もないのに、売れ線とか見下してさ。そんな僕らのことを変えてくれたのが、あの人とこの覆面だった。気がつくと涙が溢れていた。
「すみません、この辺で止めてください」
「え、言われた店は、もうちょっと先やけど」
「いえ、ここで大丈夫です」
 中洲の繁華街に入る手前でタクシーを降りた。川面にはネオンの灯りが映っている。十六年振りに出る同窓会、初恋の子にもうすぐ逢える・・・公衆トイレの個室に入り、僕は震える手でマスクを外した。

 最初はぎこちなく始まった飲み会も、2時間を過ぎると緊張もとける。酒のピッチも早くなり、遠慮ない言葉が口を飛び出す。
「お前まだ、バンドで食っていこうって思ってんのか。もう三十二歳やぞ俺ら。そろそろ夢なんか追うの諦めて、ちゃんと真面目に働けって」
 ビールのジョッキを掲げると、羽鳥が肩を掴んできた。
「そのくらいにしとけよ、リョータだって、それなりに苦労しとるんやし。せっかく久しぶりに同窓会に来たくれたんやから、そんなに絡むなって」
 実家の不動産屋をついでいるヤスジが割って入る。会社の愚痴ばかり言い続ける羽鳥に「もういいやん、そんな話」と、つい言ってしまったことが原因だった。
「いや、俺はコイツのためを思って言ってんだよ。だって一回メジャーデビューして失敗してんじゃん。それなのに、今みたいにフリーターみたいな生活しとったら、将来どうすっとやって。てか今何してんだよ?ちゃんと働いてんのか? それとも俺たちに言えない仕事でもしてんのかよ」
 飲み干したジョッキをテーブルに叩き付けた。勢いでめくれたジャケットの中から、マスク・ド・ファイヴのTシャツが見えた。そして僕が何も答えないでいると、さらに怒りが増加したようだった。
「こんなこと聞くのもなんだけどさ、お前さ、手取りいくらなんだよ。ちゃんと暮らしていけるだけ稼いでんのか。俺は四十五万だよ四十五万。お前がバンドなんかやって遊びほうけてる頃、スーツ来て営業回って、下げたくもない頭も下げて真面目に働いて来た結果だよ。言ってみろよ、先月の手取り」
 喧嘩のような騒ぎを聞きつけて他のテーブルからも人が集まって来ている。
「百五十…」
 振り絞った声は、店内の喧騒に掻き消された。
「あぁ?ちゃんと聞こえるように言えって」
 羽鳥が煙草臭い息を吐きかけながらこっちに詰め寄った。
「百五十万…」
 そう言い終えると同時に、大きな笑い声が起こった。さっきまで仲裁に入っていた、ヤスジも爆笑している。
「年収じゃなくて、月収を聞かれたんだよ。しかも三十過ぎた男が年収百五十万を、そんな胸張って言うなって」と嬉しそうに肩を叩いてくる。
「まぁ、とにかくさ、お前のことをみんな心配してるんやけん、そろそろ地に足つけて暮らしていこうや」
 機嫌を直したのか、羽鳥がワインをグラスに注いできた。
「いつか印税で奢ってくださいね、約束ですよ大先生」
 小馬鹿にしたような笑いを浮かべると「おお、久しぶりやんけ」と大声をあげながら、ほろ酔い足で別のテーブルへと移って行った。

 煙草に火をつけ、溜息をつく。同窓会なんかに顔を出せば、こうなることは分かっていた。
 いつまで夢見てんだ…
 どれだけの人に、この言葉をかけられただろう。
 地に足つけろ…
 いや、諦めなかったから今があるんだ。誰かが頼んだまま、置きっぱなしにしているテキーラを一気に喉に流し込んだ。
 その時、ポケットの中の携帯が鳴った。それはマネージャーの若松さんからだった。
「デルフィン、すまん、同窓会の最中に。ちょっと急ぎの用件が出来た。こないだ出してもらった歌詞なんだが明日までに手直し出来るか。映画会社の方が、ちょっとサビの言葉を変えてくれって言い出した」
「サビ全体のフレーズをですか」
「いや、出だしのとこだけだ。映画のラストシーンで使いたいから、監督が、英語に変えて欲しいと言ってるしい」
「だったら大丈夫だと思います。明日の昼までに送ります」
 店の壁時計を見ると、十一時半を差していた。
「本当に悪いな、久々の同窓会なのに。電話越しに聞こえる感じじゃ、なんだか盛り上がってるみたいだな。だけど、くれぐれも気をつけてくれよ、昔の仲間と呑み過ぎても、自分の正体だけはバラすんじゃないぞ」
「分かってますよ、大事な時期っすもんね」
 電話を切ると、灰の伸びた煙草に手を伸ばした。

同窓会が始まって三時間半。誰も帰ろうとしないのには理由があった。主役がまだ到着していないからだ。僕が参加したのも、その人に会うためだった。
「なぁ今日さ、雪乃ちゃんが来るって知ってるか」
 赤ら顔になったヤスジが嬉しそうに笑った。
「なんか映画のロケでこっちに来てるらしく、ちょっとだけ顔出してくれるって。俺のこと覚えていてくれてるかな」
「言っても、雪乃ちゃんって1学期の途中で転校したから、たぶん分からないんじゃない」
「でも文化祭で、俺達のバンド演奏、前列で見てくれてたやん。絶対覚えてくれとるって。それに、あの曲だって聞いてくれたんやし」
そう言うとワインを一口で飲み干した。
桃園雪乃…
 その当時の福岡の高校生で彼女の名前を知らない奴はいないくらいの美少女だった。隣の男子校にはファンクラブもあり、親しく話していたという理由だけでヤンキーにボコられたクラスメートもいた。高3の途中、親の転勤で東京へ引越した時は、市内の男子高校生の誰もが涙に暮れた。ヤスジは「もう恋なんてしない」なんて叫んでいたし、羽鳥は「俺の青春は終わった」と2週間学校を休んだ。
 そして次に僕らの前に現れたのはテレビの中だった。颯爽とCMに登場し、朝ドラのヒロインを経て、次々と話題の映画の主役の座を射止めていった。そのたびに僕らは画面を指差し、「高校のクラスメートやったんよ」と自慢しまくっていた。
あれから十五年、桃園雪乃は押しも押されぬ人気女優へと変貌を遂げていた。永遠のマドンナなんて言葉は古臭いけれど、今でも雪乃ちゃんは僕らの憧れであり自慢のクラスメートだった。だから彼女が来るという噂を聞きつけて北海道から、わざわざ駆けつけた奴もいた。

「雪乃ちゃんが来たよー」
 嬌声が上がると店内がざわついた。カウンターの客も、その姿に気づいたのか目で追っている。すらりと伸びた手足と、手の平くらいしかない顔。遠近法を狂わせるようなスタイルの良さは、高校時代よりも洗練されていた。
「ごめんね、遅くなって」
 サングラスを取ると、いつもテレビで見ているその笑顔が姿を現した。
「こないだのドラマ、めっちゃ良かった」
「映画のロケで、こっち来とるとやろ」
 スマホを片手に、女子たちが話しかける。
「めっちゃ久しぶりやん。みんな変わらんねー」
 コートを脱ぐと、高校時代に僕らを熱狂させた胸の膨らみが目に飛び込んできた。白のタートルネックにも心を揺さぶられる。
「ちょっと、いい加減にしときーよ。雪乃は映画の撮影で疲れとるんやけん」
 自称・親友の雨宮がスマホのカメラをさえぎる。
「じゃぁ、私もワインを貰おっかな」
 そう言うと、さっきまで羽鳥が座っていた席についた。なんという奇跡だ。僕らの目の前に天使は舞い降りた。ヤスジが震える手でグラスを差し出す。
「安川くんだったよね」
 その一言に、ヤスジは声を裏返して返事をした。
「映画のロケで来とっとですか」
 雪乃ちゃんはグラスを受け取ると笑顔で頷いた。
「それと、こっちは」
 その視線が注がれた瞬間、ワインボトルを手にした雨宮が戻ってきた。数人の女子も椅子を抱えて周りに陣取り話し出す。こっちに背中を向けた雪乃ちゃんは、大声で笑いながら、みんなと話している。
「やばかね、首筋」
「まじ、やばか」
 僕らは高校時代に戻ったような会話を小声で続けた。あの頃も、こんな感じで後ろ姿を眺めていただけだった。そして少し話しかけられても、すぐに言葉につまっていた。
「なんか泣きそうになるな」
「あぁ、なんやろな、この気持ち」
 僕らは黙ってグラスを合わせた。

 しばらくすると赤いエプロンを腰にまいた店員が追加注文のピザをテーブルに届けに来た。
「お熱いので、お気をつけてください」
 それを取り分けようとした時だった。
「ちょっと待って、ごめん。朝から何も食べとらんとって」
 雪乃ちゃんは振り返ると、携帯をテーブルの上に置いて嬉しそうにピザに手を伸ばした。すると急にヤスジが声を上げた。
「うわ、そのステッカーってマスク・ド・ファイヴやん。しかもベースのデルフィンのやつ。雪乃ちゃんってファンなん?」
 僕は思わず、それを二度見した。
 まじだ…
 マスク・ド・デルフィンのステッカーだ。喉が渇いていくのが分かった。雪乃ちゃんは、熱さに顔をしかめながらピザを飲み込むと「めっちゃ好きなんよ。安川くんもファンなん? こないだのアルバムやばかったよね。明日のライブも行くとって」と嬉しそうに声を上げた。雨宮たちも会話に加わってくる。
「マスク・ド・ファイヴって、海外でも人気の覆面バンドでしょ。たしか紅白にも出たよね」
「そうそう、今一番チケットが取れないバンドって、テレビでも特集されてた。なんだっけ、あのめっちゃ売れた曲?」
 すると雪乃ちゃんがステッカーを指差しながら声を荒げた。
「色物バンドみたいに言う人もおるけど、めっちゃ演奏上手いとよ。それにマスク・ド・デルフィンの書く歌詞が最高。まじ泣けるんやけん」
 その言葉に、僕は思わず叫びそうになった。神様ありがとうって、シャウトしたかった。
 頑張ってきて良かった…
 諦めないで良かった…
 テーブルの下でガッツポーズする。それに噂は本当だったんだ。雪乃ちゃんはマスク・ド・ファイヴのファンだったんだ。しかも俺、いやデルフィンのファンなんだ…
「ほら、俺のも見て」
 ヤスジが自分のスマホを取り出して、マスク・ド・チャボのステッカーを見せびらかした。
「これもデビューアルバム限定のやつ」
 調子に乗って雪乃ちゃんとハイタッチなんかしてる。すると雨宮が口を開いた。
「リョータくんも音楽やってるなら、このバンド知ってるでしょ。まさか共演とかしたことあるの?」
 知ってるかって、俺に聞く?
 それに、共演したことあるもなにも…
 喉まで答えが出かかった時に、さっきのマネージャーの電話が脳裏をよぎった。するとヤスジが肩を抱き寄せながら言った。
「いやいや、可哀想なこと聞くなって。こいつのバンドは売れてないんだから。確かブレイブ・ファクトリーだったっけ。一回はメジャーデビューしたんだけど、たしか三年前に解散したとやもんな。でも、演奏はめっちゃ上手かったとぞ」
酔いが回ってきたのか、肩を叩く手が加減を知らない。
「今でもバンド続けてるらしいけど、名前教えてくれんとさね。なんか知らんけど、もったいぶって。まぁ言われても分からんやろうけどさ」
思わずステッカーを指差しそうになった。ていうか、お前うちのバンドのファンじゃん! しかもお前が貼ってるマスク・ド・チャボは、羽鳥の弟のユートだよ!
 僕は心の中で叫んだ。
「こいつもデルフィンくらい才能があれば、今頃バイトなんか続けてないのになぁ。雪乃ちゃんのコネで、どうにかしてやってよ。ほら、お前からもお願いしろよ」
 ヤスジは煙草に火をつけながら言った。答えに困ったような顔をしている僕を、可哀想に思ったのか雪乃ちゃんがフォローに入った。
「凄いじゃん、メジャーデビューまで行ったなんて。それだけでも大変なことなんだよ。それに売れてなくても、いいバンドってあるし、いいバンドだからって売れるわけでもないしね。これから何があるか分からないじゃない、続けてたら必ずいいことあるよ」
 見つめる瞳に吸い込まれそうになりながら、焼酎の水割りを一気に喉に流し込んだ。そうでもしなきゃ、叫んでしまいそうになる言葉があった。どんな時だって我慢してきたけれど、今言わなくて、いつ言うんだ。
 覚悟を決め、口を開きかけた時だった。
「これからも音楽活動頑張ってね。影ながら応援しとーよ。だけど、もしマスク・ド・デルフィンと知り合いになったら、こっそり電話番号教えてね」
 そう言うと、可愛く舌を出した。
「バカ、お前のじゃねーって」
 思わず携帯を差し出した僕の頭をヤスジが叩いた。

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