ミドリガメ
「ミドリガメ」
「ミドリガメってね、意外と早く歩くんだ」
「走ってるのかもしれないわよ」
彼女が微笑む。
「なるほど。走っているのだとしたら、遅いのかもしれないな」
「誰と比べて?」
「さあ」
「それに意外と獰猛なんだよ」
「ミドリガメが?そうなの?」
「そうさ。何でも食べちゃうんだ。死体とかね」
「誰の?」
「さあ。この池で死んでいった生き物たちのだよ」
僕らは公園の大きな池にボートを浮かべて、向かい合って座っていた。
僕が笑うと、彼女が微笑んだ。
ワンピースの胸元には少し大きめのほくろが覗いて、彼女はとても魅力的だった。
僕らは買ってきたパンをちぎって、池に投げ込んでいた。
亀が顔を出してそれを食べた。
池の水は濃い緑色に濁っていて、覗いても何も見えなかった。
「カメの口って意外と大きいのね」
「そうさ、死体を食べるんだから」
「それにミドリガメってこんなに大きくなるのね」
「そうさ。ミドリガメというと、みんなコインぐらいの小さな亀を想像するけどさ。放っておけば、こんなに成長するんだ」
僕らのボートの周りには口をパクパク開けた亀が集まっていた。
「口の中に指を入れてみようかしら」
「やめなよ。噛まれたらきっと痛いぞ。それに汚いじゃないか」
「あら、そんなの平気よ。私、子供のころから生き物が大好きなんだから」
「どんな?」
「どんなって?」
「どんな生き物が好きかってことだよ」
「どんなって、なーんでもよ。生きていればね」
彼女は手を伸ばして指先を水面に近づけた。
胸元の下品なほくろの先に豊かな丘陵が姿をみせた。
「やめなって。本当に噛まれちゃうぞ。それよりさ」
僕は彼女のスカートの中につま先を伸ばした。
彼女は目を見開いて僕を見た。
キュッと結んだその口元は、僕を誘うように微笑んでいるようにも、きびしく僕を戒めているようにも見えた。
僕は獲物を逃さないように、彼女の瞳を見つめたまま、つま先を伸ばして続けた。
僕は子供の頃に何度もミドリガメを飼ったことがある。
でも、その結末はいつもあやふやだ。
庭先に墓を作った記憶もないし、辞書のように抱えるほど大きく育った記憶も残っていない。
ミドリガメの記憶はいつも途中でプツリと途切れているのだ。
それもそのはずだ。僕は理解した。
ミドリガメはある日、家を抜け出して池に向かっていたのだ。
今や公園の池には無数のミドリガメたちが口を開けてひしめき合っていた。
彼女はぴくりとも動かない。
僕のつま先は間もなく、彼女の核心へ届こうとしている。
僕らはじっと見つめ合うように、にらみ合っている。
真夏の太陽がジリジリと僕らを照らしつける。
「ねえ、このまま干からびちまったら、僕らは亀に食べられちゃうのかな」
「さあ、どうかしら?」
彼女がほんのわずかに笑った。