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ある晴れた日に

  ある晴れた日に


 「たまには本当の空で泳いでみれば?」って、私はソラ男に言った。

 ソラ男は私の後ろにいて、私と手を繋いでいる。
 青い空には頭にくるほどご機嫌な太陽があって、光のかけらがきらきらと水の上をすべっていく。
 川にはズボンの裾をたくし上げたノボル。
 ノボルが投げた石ころは空中に弧を描いて水を弾く。
 水中では餌と勘違いした青い魚たちが石ころのまわりに集まっているのだ。きっと。
 つやつやと毛並みのいい草たちが、春の風になびいている。木と花も。
 私はナスやカボチャやとうもろこしなんかを大きなザルに山盛りにして、水辺に運んだ。ソラ男と手を繋いで。
 それから、川の流れで洗ったしずくの付いたぴかぴかの野菜をテーブルの上に並べて、少し大きめに端から切っていった。
 少し難しかったけど、ソラ男と手を繋いで。
 ジューと鉄板が焼ける音。よだれが垂れそうなおいしい匂い。
 女の子たちはテーブルのまわりに集まって、食卓の準備をしている。
 赤いギンガムチェックをふわりと広げたテーブルの上で。
 小鳥のようにおしゃべりをしながら、バラのように頬を染めて。
 草原のくいしんぼたちはじゃれ合っているふりして、しっかりこちらを意識してるのだ。
 空が青くて雲は白くて、もう最高にいい気分。
 ワインを冷やしたアイスボックスの中で、氷がかしゃりと音を立てた。
 ピンクの花がうぶなグリーンにかわった桜の木の下で。
 私は赤いピーマンや黄色いとうもろこしなんかが刺さったバーベキューの大きな串をくるりと回した。
「彼は初めての顔だね」
 私が真っ黒こげの野菜が刺さった串を白いお皿に並べてると、サクマがやってきて言った。
 「ソラ男よ」私は言った。
 「どうも、こんにちは。佐久間です」
 彼はそう言って礼儀正しく右手を差し出したけど、ソラ男は知らんふり。
 サクマはソラ男を頭の上から足の先まで眺めた。
 私はおかしくなって、思わず吹き出した。
 サクマがじっと私を見る。それからソラ男と繋いでいる手を見た。
 「君の恋人?」
 「さあ、どうかしら」私は言ってやった。
 彼が私に特別な気持ちを抱いていることを知っていたから。
 「みんな、紹介するわ。ソラ男よ」
 私はサクマにじゃなくて、みんなに向けて大きな声で言った。
 みんなが振り返って、ソラ男を歓迎した。
 「「彼は風船なの」
 私が言うと、まわりのみんなは顔を見合わせて、そして拍手をした。
 「やあ、風せん君」
 「おもしろいわ」
 「そういうセンスっていいと思う」
 「いいも何もないのよ。この子は本当に風船なんだから」私は言ってやった。「だから空に飛んでいってしまわないように、四六時中私が手を繋いでたってわけ」
 そう言って、繋いでいたソラ男の手をほどいて、その手にサクマの上着のすそを握らせてみせると、みんなは頷き合って、そして笑った。
 みんな、お行儀がいいったら。
 野暮な詮索や議論をしないのが、このグループのルール。
 それに、このお気楽、仲良しは基本的に恋愛を持ち込むこともご法度なの。
 このお気楽ずっこけ仲良しグループはいつだって、猫とたんぽぽの綿ぼうし、ねずみと穴あきチーズ、女の子と砂糖菓子みたいな関係じゃなくっちゃ。
 でも、私はノボルとオカノと寝ている。
 ユウジとはハヤトとシュンとも寝ている。マサトもね。
 まりはユウジとハヤシと寝ているし、ひかりはユウジとオカノとタカシと寝ていることも私は知っている。
 でも、りかがいちばんたくさんの男の子たちを知っている。
 サクマは?いったい誰がサクマと寝たことがあるのかしら?
 サクマは自分のお尻にくっ付いたつま先立ちの男の子を訝しげに見つめていた。
 空が青くて雲は白くて、もう最高にいい気分。
 さあ、料理を並べ、ワインを開けて、始めましょう!
 赤いギンガムチェックのクロスも気持ちよさそうに風になびいている。
 私はひざを横に流して草の上に座ると、ソラ男の上着のポケットに河原で拾った小石をいくつも詰め込んだ。
 石の重みでそら男はひざを折って草の上に着地した。ソラ男と繋がっているサクマも着座した。
 サクマは何か言いたそうに唇を尖らせたけど。でも、結局は何も言わなかった。
 私たちは太陽の下で何本もワインの栓を抜いて、週末に観た映画やこの間行ったレストランの話、夏休みの旅行の計画なんか楽しいことばかりを話しながら笑った。
 草の上にできた仲良しグループの輪は、間違いなく世界一幸せで能天気な天使の輪に決まっていた。
 その証拠にみんなの頬は赤いワイン色に染まって、笑い声は愉快なメロディを奏でていたもの。
 冬眠から覚めたばかりのカエルみたいな目をした酔っ払いたちは、好奇心の扉を開いた。
 「ねえ、その風せん君は何も食べなくていいのかな?」ってタカシ。
 「食べる?まさか!風せんが?」
 私は、両手を広げておどけてみせると、みんなは一斉に笑い転げた。
 「じゃあ、じゃあ、私もあなたみたいに風船と仲良くなるにはどうしたらいいの?」
 「仲良く?風船となんて仲良くなれないわ。私はただ風船を持っているだけ。こんな風にね」
 って、私はソラ男を振り返った。
 そしたら、ソラ男ったら!
 草の中に顔を突っ込んでお尻をぷかぷか浮かせているんですもの。おかしいったら。
 私はソラ男の頭をつかんで持ち上げると、大きな石を拾ってきて上着のすそにすとんと乗せた。
 ソラ男は顔を空にむけて、ぽかりと口を開けた。
 みんなはその様子に再び笑い転げた。
 「もしかして、針でぷすりと刺したら、破裂しちゃったりして!」
 まりが口元に手を当ててほくそ笑むと、ノボルも言った。
 「だったら、これでジューッだ」
 私はノボルがソラ男の頬に突きつけた焼けた串を、私は払いのけて言った。
 「ダメよ、ノボル、そんなことをしたら。ソラ男は本当に破裂して跡形もなくなっちゃう。そしたらこの子の世界から私もみんなも消えちゃうわ」
 ノボルってたまに残酷。でも、私はノボルのそういうところ嫌いじゃない。
 「ねえ、いっそのことその風船を空に飛ばしちゃってみない?」
 ひかりがはしゃいで言うと、「飛ぶわけないじゃない」って、リカがケッて笑った。
 私はおどけてソラ男の口や耳やお尻から、空気を吹き込んでみせた。
 だけど、もう誰も笑わなかった。
 さあ、仕切り直して、
 私たちは太陽の下でワインの栓を抜いて、週末に見た映画やこの間行ったレストランの話、夏休みの旅行の計画なんか楽しいことばかりを話しながら、笑い続けた。
 目の前はぐるんぐるん。忘れられたバーベキューの串が炭と化して朽ち落ちても、仲良しグループの天使の輪は輝き続けたわ。

 「ねえ、悪いんだけど。君の風船を何とかしてくれないかな」
  見ると、ソラ男がぴょこぴょこ揺れて、サクマに頭突きを食らわせていた。
 「あら、ごめんなさい。きっと風に流されたのね」
 私はワインを一口飲んだ。
 「早くどうにかしてくれないか」
サクマは赤くなった顔を憎たらしく歪めて言った。
 「あら、そんなに怒ることじゃない。たかが風せんがあなたの後ろで揺れているだけのことよ」
 そこで、またワインをひと口。
 「だけど、僕の後頭部はさっきからズキズキ痛むんだけどね」
 「お気の毒」また、ひと口。
 「君は僕のことをバカにしてるの?」
 「誰が?」
 サクマはわなわなと立ち上がって、振り返りざまにソラ男を押しのけた。
 ソラ男はとんとんと後ろに弾んで転がっていった。
「こいつのどこが風船なんだか、説明してほしいね」
 サクマは今度はソラ男の髪を掴んで私の顔の前に突き出した。 
「ソラ男の存在すべてが風船だわ。こんなに立派に風船じゃない。だったら、ソラ男が風船じゃないってことを立証してみなさいよ」
 私は腹立ち紛れにソラ男の頭をサクマの手から引ったくった。
 私はサクマの手から、髪の毛を掴んでソラ男の頭を引ったくった。
 「もちろん、証明してやるよ」
 サクマはソラ男のお尻を思いきり蹴り上げた。
 「ギャ」って声が聞こえた気がしたけど、私は何にも聞こえなかった。
 ソラ男はそのままころころ川岸まで転がっていった。
 私は手の中に残った髪の毛のようなものを吹き飛ばして、慌ててソラ男を追いかけた。
 「ずいぶんと重そうな風船だ」
 ソラ男を引きずって戻ってきた私に向かって、サクマは意地悪そうに言った。
 だって、追い付いたときにはもう、ソラ男は半分川に浸かっていたんだもの。
 私はスカートのポケットからハンカチを取り出して、ソラ男を拭いた。
 「ほら見ろ!それが証拠だ。頬っぺたから血が流れているじゃないか」
 「あんたって、本当にかわいそうな人ね。そんなことを証明するために、ソラ男をこんなひどい目に合わせたっていうの?だったら、私も教えてあげるけど、あんたなんて人間じゃないわ。血の通ってないクズよ」
 「僕は親切で忠告してやってるんだぜ?」
 「親切?忠告?」
 「そうさ、君が間違えた認識を外で言いふらして恥をかかないように、間違いを正してやってるんだ」
 「まあ、ありがとう」
 って言いながら、私はサクマが気の毒になった。
 「そいつは風せんなんかじゃない」
 サクマはソラ男に指を突きつけて言った。
 馬鹿じゃないのかしら、そんな当たり前のこと。
 「わかったわ。そうね。そうじゃないのかもしれない」
 私は少し優しい気持ちになって言った。
 「そうやって、はぐらかそうとしたってそうはいかない」
 私は本当のバカに捕まってしまったことを悔やんだ。
 「もう、いいじゃない。この話は。楽しい話をしましょ」
 「その前に、君が僕に謝ればね」
 「わかったわ」
 私は大きくため息をついた。
 こんなときでさえ、ソラ男の目は虚ろで何も見ていなかった。
 遠くも、近くも。なにも。
 私は何だか頭にきて、ソラ男を力いっぱいサクマに投げつけてやった。 
 煙草に火を点けようとしていたサクマは悲鳴をあげて尻餅をついた。
 「この野郎。何をするんだ」
 サクマが唇を押さえているのをみて私はうれしくなった。きっと煙草の火で火傷をしたのだ。
 「ごめんなさい。思い直したわ。やっぱりこの子は風船よ」
 「なんだって?」
 「だから、ソラ男は風船なの」
 「だから何でだ?」
 「だって、本人が言ったのよ。それほど確かなものはないでしょ?」
 「は?」
 「だから、本人が言ったのよ」
 「ハハ、ハハハハハ」
 サクマは笑いが止まらないみたいだった。
 「とうとうボロを出したね?君は本人が言ったって言ったんだ。風船が口をきくか?きくわけないだろ。風船は口をきかないんだ」
 私はすかさず傍に転がっていたソラ男を蹴り飛ばした。サクマは笑いながらボーリングのピンのように倒れた。
 「ハハ、ごめんあそばせ。でも、私はただ風船を蹴ったってことのだけだわ。あんたがどう感じようと、私はそうしただけだから。あんただってバカな童貞のくせして、自分のことを気の利いた好青年だって思い込んでるじゃない」
「貴様ー!」
 その途端、私はとても重たいものに押しつぶされた気がしたけど、どうにかちゃんと立ち上がって、ソラ男をサクマに投げ返した。
 私たちは太陽の陽の下、気持ちのいい原っぱの上で風船を投げ合って遊んでいるだけのことだった。
 ソラ男は私とサクマの間を何度も行ったり、来たりした。
 愉快で楽しいズッコケ仲間たちは、景色に溶け込んで見えなくなっていた。
 ソラ男の額からは血のようなものが流れていたけど。
 洋服のひざやひじなんてボロボロに破けているみたいだったけど。
 たまにうめき声のようなものが聞こえてきたけど。
 でも、そんなことはないはずなのだった。
 サクマもすっかりソラ男のことを風船だって信じ切ってるみたいに、ソラ男を投げ返してきた。
 サクマのやつ。
 そうしているうちに私はふと悲しくなった。
 サクマのやつ。
 おとなしく私の言うことをきいていれば、今日あたりやらせてあげるつもりだったのに。
 実際、私はこの馬鹿な童貞と寝るのを密かに楽しみにしていた。
 でも、何もかも台無しだった。
 私はもうどうでもよくなっていた。
 愉快でお気楽な仲良したちも、サクマのことも。
 もちろん、ソラ男のことも。
 私はもうへとへとに疲れてしまって、この戦いが終わることだけを願っていた。
 「もう、いい加減にしてくれ!」
 そう、大きな声を上げたのは、ソラ男だった。
 私とサクマはびっくりして顔を見合わせた。
 私たちはぴたりと動きを止めた。
 サクマは犬みたいに息をハアハア弾ませていた。
 「僕が風船だって、風船じゃなくたって、そんなこと、君たちには関係ないんだ!」
 そう言うとソラ男は、上着のポケットに詰まった川石を投げ捨てて、のっしのっしと土手を登って、帰っていった。
 一度も振り返らずにね。
 ある晴れた日のことだったわ。

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