死のまわりーじいさんとばあさん
じいさんとばあさんがいた。
じいさんは寝たきりだった。ばあさんは頑丈だった。
だから、ばあさんはじいさんの世話を一人でこなすことは苦労じゃなかった。
もっとも、2人には子供がいなかった。親戚や友だちもとっくに死んでしまった。
ある、うららかな春の日だった。
ばあさんはじいさんの浴衣の襟首をつかんで縁側に引きずり出すと、ドンッと床を踏み込んだ。
廊下を支えていた柱は外れ、傾斜のついた板の上をじいさんはごろごろと転がった。
じいさんが桜の木の根元にぶつかると、上から花びらがひらひらと落ちてきた。
花びらが頬にふれると、じいさんはうす目を開けてひゅひゅひゅとうれしそうに笑った。
じいさんは桜が好きだった。
庭は銭湯の富士山の絵のように、素晴らしい眺めだった。みかんや栗や柿にびわや桃にざくろ、実をつける木もたくさんあった。おかげで小鳥たちが始終遊びにきてにぎやかだった。それに池もあった。
桜の大木は庭の中央にでーんとそびえ立っていた。それはそれは立派なもんで、じいさんとばあさんが生まれるずっと前からそこにあった。
黒いごつごつとした幹は山のようで、天をつかむように広がった枝ぶりは、宇宙の摂理そのものを示していた。
じいさんは桜の木の下で昼寝をした。
ばあさんは胸の前で腕を組んで、じいさんの満足そうな顔を満足気に見下ろした。
空気が冷えてくると、ばあさんはじいさんにふとんをかけた。夜桜はまた格別だった。満開の白い花は、夜空にぼんぼりが灯ったようだった。
いよいよ夜も更けてくるとばあさんはじいさんの回収に取りかかった。いくら桜好きでも、花冷えは老体に差し障る。
ばあさんはじいさんの体にロープを2本渡すと、居間の滑車で巻き上げた。
きりきりと音を立てて、じいさんは家の中に収まっていく。じいさんは首にロープが巻きついて白目を剥いていた。ばあさんはぴしゃりとじいさんの頬をはたいて正気に戻した。
ばあさんはじいさんをふとんの上に引っ張りあげると、じいさんの寝床目がけて力いっぱい拳を振り下ろす。じいさんがびくりとする。
寝床の下の床板が垂直に立ち上がる。じいさんの背中も垂直に立ち上がる。
よだれかけをして、ばあさんが口元にさじを運ぶと、じいさんはもぐもぐと食事をはじめた。
満腹になればじいさんは口を開かなくなった。
じいさんの食事が終わると次はばあさんの番だった。入れ歯は一つしかなかったから順番に使った。ばあさんは頑丈なあごで残り物を平らげた。
ごくりと喉を鳴らして食事を飲み下し、げっぷをして屁もこいた。
ばあさんは茶をすすった。しーんとして静かな夜だった。
突然、ばあさんは膝を立てると中で手を打った。ばんっと大きな音が家中に響き渡った。
その振動で天井板がかたりと動いた。じいさんはまたびくりとした。
すると、天井に渡した長い板がターザンのように降りてきて、じいさんを背中を支えていた床板もなぎ倒して寝かしつけていった。
ぎったんばっこん、ばあさんは家中のものを自在に操って、じいさんの面倒をみた。
永くいる家は何でもばあさんのいうことをきいた。じいさんの扱いが少々手荒いが、互いに年を食ってしまっては、体が思うように動かないのだから仕方ない。
なに、もう長い付き合いだ。互の気持ちは何もかもわかっている。
じいさんが眠りにつくと、ばあさんは使った茶碗やじいさんのおしめや何やかんやを桶にまとめて庭に出た。
それから桶の中身をそっくり池にあけた。池には鯉がいて、何でもきれいにしてくれた。
ばあさんは庭の地面に仰向けに寝転がって腕を組んだ。藍色の空に桜の花が、雲のように浮かんでいた。まるい月も出ていた。
桜はまだしばらく楽しめそうだった。
朝が来た。ばあさんはじいさんの金玉をくるみのように手の中で転がした。
じいさんはかっと目を見開いてタコのように踊った。じいさんはまだ生きていた。ばあさんは起きるとまず、そのことを確かめた。
それが済むと朝食の準備だった。ばあさんはにわとりを追いかけ回わす。にわとりは家中をかけずり回る。にわとりは土間の敷居につまずいて、拍子に玉子を産む。
ばあさんはその玉子を大事に両手に包んで、こつこつと殻に小さな穴を空ける。
じいさんが唇をすぼめて中身をすする。残りの半分をばあさんがすする。
もう永遠とも言える回数、じいさんとばあさんは毎朝同じことを繰り返している。
二人の食事はつつましかった。
朝は玉子と菜っ葉。昼はがまん。夜はにわとりの肉と菜っ葉と決まっている。
たまに庭の木の実も食べた。
ばあさんが絞めて夕飯に食べたにわとりは、骨を池に返すと、次の朝には朝飯の玉子を産んでくれた。
庭の池は、何でもきれいさっぱり、なかったことにしてくれた。殺したことも、食べたことも、何でもなかったことにしてくれた。
じいさんとばあさんはじいさんとばあさんになった頃から、もうずっとずっとこのループの中で暮らしている。
いつからじいさんとばあさんになったかなんて覚えていない。
ただ、あまりに長い繰り返しのことで、にわとりの姿は擦り切れた影のように薄らいでしまった。
玉子もすぐに割れてしまう。だから、ばあさんは玉子を大事に大事に両手で扱っている。
見えると思えば見える。見えないと思えば見えない。
じいさんとばあさんは食べたような食べなかったようなものを食っている。
さて、ばあさんには仕事がたくさんあった。針仕事もその一つだ。太くて大きな針をふとんにぶっ刺して、ばあさんはほころびを繕った。
そうしておかないと隙間から綿が雲のように抜け出して、それをじいさんがぜんぶ食べてしまった。じいさんにはほとほと世話がやけた。
だから腹いせに、ばあさんはじいさんの足の親指の先を時折、針でぷすりと刺してやった。
玉のように血が盛り上がってくる様を眺めると、ばあさんは何故だかとても満足するのだった。
ばあさんは陽のあるうちにじいさんを風呂に入れることに決めた。
それは、ばあさんが持っている仕事の中でも特に大仕事だった。
ばあさんはじいさんの浴衣の襟元をつかむと、風呂場の前まで引きずっていって帯の端っこを掴まえると、廊下の床をどんと踏み込んだ。
お約束通り、床板を支える柱は外れて、じいさんは裸になりながらごろごろと湯船に向かって転がっていった。
間髪入れず、ぱあさんはすっ裸になって湯船に飛び込んだ。
どういうわけか湯船は海ほども深かいのだ。
ばあさんは海女のごとく巧みに潜って、沈んでいくじいさんに追いつくと、はしっとじいさんの足首をつかんで浮上した。湯船にはぽっかり小島が浮いていた。それは大きな亀の甲羅だった。
ここは、じいさんの概念の世界だ。だから、ばあさんの口を出せるところじゃない。
ばあさんはじいさんを小島に打ち上げた。
じいさんは死体のようにぐったりとしていた。
顔は蒼白し、額には薄くなった白い髪が張り付いていた。
ばあさんはくちびるを押し付け人工呼吸をした。じいさんに目覚める様子はない。
じいさんのちんぽこをくわえたところで、じいさんのモノは何百年も静かに眠ったままだ。
ばあさんはちんぽこの皮を思い切り引っ張ると、風船のように息を吹き込んだ。
ちんぽこはさつまいもように膨らんだ。
もっと息を吹き込むと提灯のように大きくなった。
ばあさんが唇を離すと、ちんぽこはぶぶぶっと音を立てて踊りながらしぼんでいった。
これにはじいさんも思わずひゃひゃと声をあげて笑ってしまった。
じいさんはこの冗談がが大好きなのだ。
ばあさんはじいさんの金玉をこりっと手の中でくるみのように転がして仕置きをしてやった。
じいさんの体は電撃が走ったようにびくりと硬直した。人を心配させると痛い目に合うのは当然だ。
さあ、ばあさんの体はいつのまにか女子大生のようにぱんぱんに張って若返っている。
ばあさんはじいさんのエロさ加減に呆れつつもまんざらでもない様子。
体じゅうに泡だらけになると、じいさんにすり寄っていってじいさんの体を洗いはじめた。
じいさんはあまりの気持ちよさにとろけそうになる。
じいさんが気持ちよくなればなるほど、湯船は果てしなく広がっていく。
湯船の端はとうに見えない。
おまけにじいさんは原型をとどめていない。
ばあさんは途方にくれた。
ばあさんは亀の甲羅をぽんぽんと叩いた。亀はゆっくりと湯を搔き出した。
四年半もかけて、ようやく亀は湯船の淵に到着した。
ばあさんはやっとこさ風呂場から転がりだすと、ぶんぶん頭を振ってじいさんの概念を振り払った。
ばあさんは急いで便所から汲み取り用の長いひしゃく柄杓を持ってきて、とろけてしまったじいさんの回収にとりかかった。
猫車にじいさんのかけらを次々とすくい上げていくと、よたよたと一本車を操って家の中を横切った。
それから車体を傾けて、砂利をあけるみたいにじいさんを庭にあけた。
途端に辺りは桜色に染まって、夢のような世界が広がった。いい香りがして、満開の桜がひらひらと花びらを降らせた。
じいさんは裸ん坊で、赤ん坊のような顔でひゅひゅひゅと笑った。
まったく、じいさんはのん気でたまらない。
ばあさんはじいさんを転がしたりめくったりして念入りに体を点検した。なに、少しくらい足りなくたって構うことはない。
ばあさんもじいさんの隣に寝転がった。
桜が咲いて、お天道様が照って、気持ちのいい風が吹いた。
桜が終わるとじいさんは死んだ。
いつの間にかにわとりの姿も消えていた。
なかったことにしてくれる池も枯れていた。
じいさんは冷たく、固くなってしまった。
じいさんのちんぽこはもう提灯のように膨らまない。耳を引っぱると顔から取れてしまった。
ばあさんはじいさんの耳をスルメのようにしゃぶって、熱燗をすすった。
ばあさんは陽気に酔っ払った。
ばあさんは踊りながらあっぱぱのワンピースを脱いだ。
年の割に少し色っぽい下着も脱いだ。
お腹のところでたるんだ皮をスカートのように広げて、くるくると回った。
それからその皮も脱いだ。
ばあさんはしわくちゃになった皮を両手でかかげて眺めると、「ずいぶん遠くまで来たもんだ」と言ってヒャヒャヒャと笑った。
それから正座をして、丁寧に抜け殻をたたんで、枕元に置いて、じいさんの隣に潜り込んで、眠った。