姦計―⑥―
リリスに煽られたアンティパスを止めるために、ロックは”ブラック・クイーン”の護拳を右手から突き出した。
「そうはいきませんよ……ロック=ハイロウズ?」
背後から生暖かい呟きと吐息を感じると、二対の象牙色と石榴色を一つ付けた生首がロックの左にあった。
「サロメ……!?」
ロックは、右手の翼剣を振りかぶる。だが、右腕が動かない。
それどころか、首の圧迫感と胴と残りの体の節々への締め付けが強まり、ロックの四肢に掛かる力の流れを遮った。
羊の角の
サロメの首は、仕上げにロックの喉に巻き付きながら、
「塵は塵に、灰は灰に。ゴミは……燃えるゴミだろうが、燃えて……消えて」
サロメの歌う前で、アンティパスがリリスに飛び掛かった。
ストーン・コールド・クレイジーの刀身が、夜輝く月の魔性へ雨と共に降り注ぐ。
剣の先端を飾る翼魔の嘴は、
アンティパスは空かさず、白黒二色の羽衣に体を乗せるリリスに向け、左腕の拳砲から混凝土弾を発射。
羽衣がリリスの前に広がり、混凝土の塊は雨天の下で、爆発した。
灰褐色の煙幕が、月白色の美貌と共に、アンティパスも覆う。リリスの高熱出力の光を放つ羽衣が、灰褐色と雨の中を縫った。
白い羽衣が星屑の様に舞うと、黒い羽衣から放たれた閃光を照らす。
星屑と化したフォトニック結晶に運ばれた、高出力の閃光が、灰褐色の霧を焼き尽くした。
閃光が、ロックの眼を奪う。だが、リリスの視界も、同じ様に見えないことを意味していた。
リリスの目の前に、アンティパスの姿は無い。だが、”ストーン・コールド・クレイジー”の槌の先端は、月の衛星の名を持つ女を背後から捉えた。
リリスの宝玉の様な後頭部に、アンティパスが刃を突き立てる寸前。
ロックの視界が乱れ、映像が流れ込む。
二人の男と一人の少女。
一人はアンティパスで、もう一人は……自分の
少女は、ライラだった。
彼女を恐れたアンティパスは、ライラを殺す為に武器――”ストーン・コールド・クレイジー”――を取る。
だが、
三日月の様な目と口を作るリリスの嘲笑。それが、ライラから浮かんだところを。
刹那、三日月の様に裂けた
槌剣を振りかぶったアンティパスの肉体にも広がり、閃光の繭を作った。
その中で、アンティパスの肉体が収縮と弛緩を繰り返す。
灰褐色の戦士の両胸に、開いた大きな穴。
リリスの二色の羽衣が背後から伸びた鋭利な光が、アンティパスを貫いた。
栄華と滅亡を呼ぶ、光の繭。リリスの背から
屈強な肉体は四散し、
灰褐色の残り火が、リリスの周囲を流れた。
「アンティパス……欧州やバンクーバーで得た魂を肉体に定着させて、あそこまで戦えるとは思わなんだ」
リリスは下弦の月を、口で作る。
嘲笑に満ちた彼女の赤珊瑚の双眸と共に、”灰褐色の戦士”を焼いた双翼をロックに向けた。
「あんな下賎ではなく、
リリスの月白色の眼から放たれる蔑みに、ロックは
過去と未来に囚われない意思を、あの男が認めた。
この世界で生きる道を、彼もまた決めていた。
それを、過去に執着する目の前の、魔性――リリス――が踏みにじった。
その怒りを、ロックは口から発露する愚を犯さない。
ただ、衝動と共に、剣から出た
人形の柵から抜け、
紅色を纏った象牙色の眼が、羊の護拳――”スウィート・サクリファイス”――を構える。
だが、その動きが止まった。
赤いドレスを着たサロメ、背後にいるリリスに飛翔体が飛んで来る。
ロックの前で、大地が抉り取られ、二つの火柱が立った。
晴れた火の霧の向こうで、サロメが目を見開く。
滑輪板を振りかぶったシャロン=ケイジの一撃が、リリスの寸前で止まる。
シャロンの打ち下ろした滑輪板を、リリスの前を覆う羽衣に遮られ、口を歪ませた。
サロメは紅いドレスを舞いながら、リリスの宙に浮かぶシャロンへ雄羊頭蓋の圏で迎撃。
それを阻んだのは、金色の軌跡――サミュエルの鎌だった。
「兄さん……取り敢えず、死んでない?」
あんまりな問い掛けに、突っ込もうとするがロックは言葉に詰まる。
弟の鎌の一撃を受け、下がるサロメも、目の前の闖入者に目を見開いた。
ロックが見たのは、上空から降り立つ鉄の塊――蹄鉄”ラ・ファイエット”。
脚部が伸ばされた蹄鉄の甲羅から、硝煙と土煙を巻き上げながら、月白色の死神を踏みつぶさんとした。
下弦の月を描いたリリスの口が、微かに動く。
阻まれたのではなく、汚らわしいものに視界を遮られた嫌悪感で、月白色の顔を歪ませた。
リリスの黒い翼から、一筋の光線が放たれる。
鋼鉄蟹の胴体を両断した。乗り捨てられた人型戦車の欠片が、リリスの前に落ちた。
蹄鉄の操縦席の甲殻が割れ、緑の雷撃を翻った外套が翻った。
「シャロン、サミュエル。離れろ!」
ブルースの一声の後、視界を奪う程の激しい緑雷が、リリスとサロメに落ちる。
二振りのショーテルから雷撃を振り下ろされ、衝撃で大地は隆起。
砂煙だけでなく、雨と人型戦車の残骸も舞った。
苔色の外套の戦士は、ロックの前に降り、
「ロック……死んでないようで、安心した」
「ブルースに、サミュエル。テメェら、『
ブルースから出た言葉に、ロックは眩暈を堪えながら、叫んだ。
異議を唱えるロックを他所に、苔色の外套の男が右手から何かが放り投げられた。
飲み口の付いたプラスチック製の袋を受け取る。
“リア・ファイル”の入った回復水を確認し、ロックは飲み口のプラスチックを噛み切った。
一呑みすると、
ロックが飲んだのを確認したブルースも、懐から回復水の袋を取り出し、一飲み。
「ロックが死んでいてくれた方が、私は安心する」
空気を読んで、あらぬ方向へ持っていくシャロンの言葉をロックは無視して、空のプラスチック袋を放り捨てた。
「でも、兄さん……
ブルースからロックの口にしたものと同じ、プラスチック容器が二つ放られた。
サミュエルとシャロンは、それぞれ右手で受け取る。
二人が容器の水を飲む様子を他所に、ロックは眼の前の爆風を凝視。
ロックは、右払いの斬撃と共に払われた爆風を薙ぎ払った。
リリスは悠然と浮きながら、ロックの”鍵の構え”からの突きを、黒白二色の羽衣が交差して防ぐ。
天空の剣先から注がれる光が、ロックを覆った。
ロックの”ブラック・クイーン”の切っ先が、光一枚の距離でリリスから突き放される。
その壁の向こうの、リリスの月白色の眼に一筋の金色、双迅の翡翠色が浮かんだ。
サミュエルの金色の鎌、ブルースの緑色の双刃が、リリスの首を捉える。
だが、ブルースのショーテル――”ヘヴンズ・ドライヴ”――の二刀流を、リリスの白い羽衣が遮った。黒い羽衣はサミュエルの鎌を包み込むと、苔色の外套の戦士に放り投げる。
投げられたサミュエルが当たる寸前、ブルースは
サミュエルも、鎌型
「この”
「その”
サミュエルの殺意を混ぜた笑顔に、ブルースが引き攣りながら答える。
飴色のジャケットと苔色の外套を着た二人の戦士が、月の女に再度照準を定めた。
だが、二人を紅いドレスのサロメが遮る。
紅い唾帽子のサロメの前には、雄羊の角を纏った象牙眼の”フル・フロンタル”が現れ、ブルースとサミュエルを迎え撃った。
その様子をリリスの眼が映しながら、
「我を覗く眼から、
「テメェこそ……サキの体から、とっとと失せろ!!」
足を浮かべて、突進するリリスにロックは上体を屈める。
切っ先を下に据える”愚者の構え”のまま、背中を肉迫。
屈めた反動を解放し、勢いよく起こした。しなる右腕と共に放たれる一太刀が、迫りくるリリスの腹部を狙う。
斬撃を予測したのかリリスは、ロックの歩幅分、背後に下がった。
ロックは、再び上体を屈め、畳んだ両腕を前にリリスの間合いに踏み込む。
間合いを詰めるロックの前で、黒い羽衣が舞った。
黒い波は、光を発しながら宙を一回転し、収束すると、ロックの首を狙う。
畳んだ両腕を覆う様に、右腕の”ブラック・クイーン”が、黒衣の舞を止めた。
右腕に衝撃が走るのを堪えながら、ロックは
ナノマシン:”リア・ファイル”の作り出した電磁場を貫かんと、リリスの黒衣が鋭角となった。
鋭角は棒となり、両端に幅広の紡錘を飾り、黒い
両端の穂先は、それぞれ一つの肉厚の剣を思わせる大きさで、短髪の少女が刻まれている。
「目の前のモノが数えられなくなったか?」
リリスの声と共に、白衣の白い
「リリス、
白の
彼は振り上げた右腕を、叩き落とした。
白い投槍を叩いた勢いで、ロックは逆時計回りに半身を切る。
発生した推力からの左後ろ回し蹴りを、ロックはリリスの胴に放った。
不可視の壁の感触が、左足に伝わる。足で加えた衝撃が、空間を歪ませ、光の波紋を作った。
応力と共に生まれた、反作用がロックの右脚の支柱を崩す。
ロックの攻撃によって、リリスの二色の投槍が、羽衣に戻った。
「少なくとも、人は
リリスは、口を歪めて笑った。
黒と白の羽衣が、それぞれ翼を作る。
白と黒の翼が二振りの剣となり、左足だけで前進を支えるロックに迫って来た。
首筋を狙う黒翼の剣の放つ雷閃を、ロックは右脚で大地を蹴りながら、”
しかし、巻き添えになった白翼は、光の散乱の欠片を撒き散らした。
二色の投槍が直線に飛び、その内の黒が翻り上昇。
黒光りする刀身に映るのは、滑輪板に乗るシャロン。
彼女は、リリスに照準を合わせているが、滑輪板の先頭が不可視の壁に阻まれる。
シャロンは眼を吊り上げ、滑輪板に右足を蹴り込んだ。
不可視の壁は壊れなかったが、リリスは後退。
シャロンは不可視の壁を叩きつけた反動で、滑輪板と共に背後に離れた。
ロックは、右脚を戻し、リリスから放たれた白の翼剣を迎え撃つ。
白い翼剣から放たれる、銀鏡の鏃が三発。
リリスに背を向ける形で、ロックは”ブラック・クイーン”を突き出した。
星屑と化した銀鏡に、リリスが映った。
彼女の眼の中で、白と黒の翼槍がロックの背後で踊る。
「二本足に限らず、
ロックは、”ブラック・クイーン”の鍔から銃――イニュエンド――を取り出し、銃弾を三発放つ。
二発は、”
リリスの顔に煙幕が張られ、
もう一発は”
音もなく放たれた銃弾が、ナノマシンの電子励起で作られた、リリスの
崩壊する電磁場の波を作り出した弾丸は、リリスに達しようとした。
しかし、衝撃がロックを後退らせる。
ロックのナノ制御を上回る電磁力が、地に落ちたリリスの黒い翼から放たれた。
護拳で防ぐと、全身を揺らす衝撃がロックを襲う。
フォトニック結晶で散乱した無数の光が、空気に揺れる銀鏡の欠片を通して深紅の外套を貫いた。
ロックは辛うじて避けたが、両脚を貫かれ、痛覚と熱で意識を失いかける。
そこへ、彼の肋骨に衝撃が走り、仰向けに倒れた。
上空から奇襲したシャロンが、”ガレア帽の守護者”を模した白い
「シャロン……重い」
呼吸をする度に奔る痛み。肋骨にヒビが入ったからだろうか。
「このクソ兄貴……デリカシーがねぇ!」
ロックの言葉に毒気づいて、桃色のトレーナーを着た少女が消える。
ロックが立ち上がろうとしたその時、金色の旋毛風がリリスを覆った。
サロメ人形たちの手足を運ぶ風の中心にいるのは、サミュエル。
ナノマシンの混じった研磨剤と砂の粉塵切断の風が、リリスを包みこむ。
防御に散った、リリスのナノマシンの電磁場が白い羽衣となり、獰猛な嵐の中を泳いだ。
リリスは、電磁の茨に囲まれるが、何も言わない。
いや、妖艶な笑みを浮かべながら、宙で悠然としていた。
刹那、ロックの目の前で、雷の蕾が開花する。
白い羽衣に乗せたフォトニック結晶が、サミュエルの旋毛風の中で雷の蔦を伸ばしていった。
蔦越しに、白い羽衣に乗せた、フォトニック結晶が光熱力を取り込む。
増幅された熱出力の果実が、内側からサミュエルの黄金の風を、食い破った。
「こんな砂遊びで肌を傷つけられると思ったか!?」
白い翼から銀鏡色の鏃が、天空に放たれる。
サミュエルは、”パラダイス”を構えて
彼は、防いだ鏃を空かさず、鎌から作った
その衝撃で、サミュエルは距離を稼いだ。
だが、破壊から逃れた銀鏡の閃光が、サミュエルの背後を捉える。
閃光に焼かれて出た声は、
「シャロン!」
サミュエルに向けられたフォトニック結晶の光迅の乱射を、桃色のトレーナーを着た少女が飛び込む。
ロックの前で、無数の光にシャロンは晒された。