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第121話 健康診断だよ、死神ちゃん!②

 午後。死神ちゃんは〈あろけーしょんせんたー〉の前に立ち尽くしていた。本当なら、午前中に何度もダンジョンへと出動して疲れていたため、お腹いっぱい昼食を食べたかった。そして、できることならそのままお昼寝がしたかった。しかし、これから始まることに備えて食事はほんの少し、昼寝も「どうせ《《あっち》》で眠れると思うから」とマッコイに言われてできずじまいだった。
 去年の健康診断は凄まじくハードなものであった。だのに、何故そこで昼寝ができるというのか。――死神ちゃんは怪訝な顔つきで首を捻りながら、センターの中へと入っていった。しかし、そこで待ち受けていたのはビット所長だけではなかった。


「あら、ジューゾー。思ってたよりも早かったわね」


 ニコリと微笑むアリサを見るなり、死神ちゃんは|踵《きびす》を返した。そして、逃げようとした死神ちゃんは、首根っこをアルデンタスに掴まれてプランと宙吊りにされた。


「ちょっと、何で逃げるのよ」

「いや、何か、ろくでもないことが起きそうな気がして」


 失礼しちゃうわね、とアリサとアルデンタスが口を揃えると、ビットが「今日の予定だが」と割って入った。それによると、今回の健康診断は〈死神ちゃんを元の姿に戻そう研究〉のためのデータ取りも兼ねているらしく、|十三《じゅうぞう》姿でもアレコレと診るという。


「元の姿でアルデンタスが身体チェックしたあと、私が同じくデータ取りをする。その後、幼女に戻ったらそのまま私のもとで昨年も行ったようなチェックを一通り行い、最後にまたアルデンタスがお前を診る。――というわけで、早速着替えてくるのだ」


 死神ちゃんはアルデンタスに首根っこを掴まれたまま説明を聞き、はあ、と生返事を返した。するとアリサが満面の笑みを浮かべて死神ちゃんを抱きかかえ、更衣室へと連れて行った。
 死神ちゃんは抵抗したのだが、アリサは離してはくれなかった。一緒に更衣室へと入ろうとしてきたアリサを何とか追い返し、ため息をついた死神ちゃんは小さな室内に視線を巡らせて眉根を寄せた。


「ビット所長、すみません。検査着が見当たらないんですが」

「お前がメタモルフォーゼすると服もそれに伴いサイズやデザインが変わるのだろう? 今、お前が検査着を着た状態でメタモルフォーゼして、検査着を脱いであれこれと受けている最中に変化が起きてしまったら、つまるところ検査着だけはデザインやサイズが変わったままとなってしまうだろう。それだと備品の数に狂いが出て管理が面倒だからな。そこに置いてある紙ショーツだけ身につけて、あとはタオルにでも包まっていてくれないか」


 死神ちゃんはため息をつくと指示に従った。更衣室のカーテンから顔を出してアリサを呼びつけると、死神ちゃんは元の姿に戻す作業を依頼した。彼女は嬉しそうにいそいそと更衣室に入ってくると、喜んで首筋に噛み付いた。
 更衣室内から漏れ出る死神ちゃんの苦悶の声と発光が収まると、おっさんと美女の悲鳴がこだました。


「何でお前、出ていってないんだよ! ――馬鹿、やめろ! そんなところ、触るな!」

「いいじゃないの! ことあるごとにマッコイに邪魔されて拝めなかったジューゾーのヌード、ようやく拝めたわ! うふふふふふ! ああ、ジューゾー! このまま押し倒してもいいかしら!?」


 二人がギャアギャアと騒ぎ立てていると、ビットが問答無用でカーテンを開けた。


「時間の無駄だ、統括部長」

「何でよ、ちょっとくらい良いじゃないの! 元の姿に戻ってもらって、甘いホワイトクリスマスを二人っきりで過ごしたいな~とか、そういうの全部我慢して魔力貯め続けてたんだから!」


 言いながら、アリサはビットに担ぎ上げられた。じたばたともがいて抵抗する彼女を、ビットはしっかりとホールドした。


「そもそも、この世界にクリスマスなどという行事はないだろう。そういうことは研究に成果が得られてからにして頂こう」


 そのように返しながら、彼はスタスタとアリサをどこかへと連れ去った。既にぐったりと疲れた表情となった十三はタオルを羽織ると、笑顔のアルデンタスに連れられて検査室のひとつへと入っていった。そこには、マッサージサロンに置いてあるものと同じベッドが用意されていた。


「アタシと所長は、この貴重な時間をきっちり半々で分け合っているの。とっとと始めないと、時間がもったいないわ。――さ、まずは俯せになって」


 言われるがまま、十三はベッドに寝転んだ。アルデンタスは骨や筋肉の異変だけではなく、体中を巡るエネルギーの滞りなども感知し、正常に直すことができるらしい。
 彼の説明によると、これから定期的に〈|小花《おはな》|薫《かおる》という人物の身体のズレやエネルギーの淀み〉を完全に把握するために、死神ちゃんは施術を受けることになるそうだ。もちろん〈幼女の時の姿との比較〉をするために、十三の姿でも施術を受けてもらうことになるという。研究のためのデータ取りを兼ねているので、料金はタダだそうだ。
 十三が気持ちよさ気な息の混ざった声で「何だか申し訳ないな」と言うと、アルデンタスがマッサージに使用するオイルを追加しながら返した。


「アタシだけじゃなくて、鉄砲玉にもお礼を言っておきなさいな。出身世界や人種によって、エネルギーの感じにクセがあるのよ。この小さな裏の世界じゃあ〈世界だけでなく人種まで同じ〉というのは貴重な存在でしょ? 中々ない得られないデータだから、先にクセ掴んでおこうと思って、何度か来てもらったのよね」


 それは知らなかった、と十三が驚くと、アルデンタスは一転してニヤニヤとした声で話題を変えた。


「ところで、元の姿に戻りたいって、魔道士様にもお願いしたんですって?」

「何でアルデンタスさんが知っているんだよ」

「直接本人から聞いたのよ。魔道士様はアタシの最上顧客なの」

「女神さんが顧客とか、凄いな、おい!」


 そうでしょう、と言いながら、彼は誇らしげに笑った。そして少し間を置いて「で?」と続けた。十三がそれに若干戸惑いを見せると、アルデンタスはせっつくような調子で言った。


「何で元の姿に戻りたいってお願いしたのよ。聞くところによると、破廉恥な理由だそうだけど」

「破廉恥じゃねえよ!」


 十三は思わず身を起こしてアルデンタスの方を振り向いた。彼は十三を捩じ伏せると、施術を再開させながら「だったら言ってみなさいよ」と含み笑いを漏らした。十三は不承不承ながら、もごもごと小さな声で理由を言った。すると、アルデンタスは施術の手を止め、腹を抱えて大笑いした。


「やっだ、破廉恥ー!」

「だから、破廉恥じゃないだろうがよ!」


 十三が怒り声を上げて再び身を起こすと、アルデンタスはタオルに手をかけて「仰向けになって」と声をかけてきた。不機嫌なしかめ面で仰向けになりながら、十三は「理由はそれだけじゃあないし」と唸った。
 幼女の身体でいると、どうしてもそれに引きずられて喜怒哀楽が激しくなってしまう。もちろんそれは悪いことばかりではないが、ストーカー被害に遭った際にパニックに陥り、自分で対処出来なくなるなどのことがあると、どうしても自己嫌悪を覚えずにいはいられないのだ。


「何かあった際に守られる立場になりっぱなしなのは、やっぱり、男としては恥ずかしいし。しかも、どちらかと言えば〈守る側〉になりたいのに」

「そんなの、気にしなくていいと思うけれどねえ。だって、あんたが幼女の姿にさせられて、そのせいで、どうしても幼女のようにしか振る舞えない時があるというのは、周知の事実なわけだし」

「他にも、もやもやする時があるんだよ。たとえば、さっきのアリサのような対応をされた時とか。デートなんて幼女姿でもできるだろうに、あれじゃあまるで〈元の姿の俺〉にしか価値がないみたいじゃあないか。逆に、ケイティーは俺のこの姿見て〈悪夢モード〉とか言うし。天狐は、同一人物だと認識していないし」

「どっちの姿でいても、気にしない人だっているでしょうに」


 そうだけど、と言葉を濁すと、十三は情けない声でぼそぼそと話し続けた。
 アルデンタスに打ち明けた〈理由〉に至った気持ちが、果たして本物かどうか。――十三はそれに対しても自信が持てずにいたのだ。こちらの世界に来てある程度性根を正されたがために、十三は様々な〈思い〉を感じられるようになった。しかし、それは本当に〈本物〉なのだろうか。こちらの世界が|転生前《いままで》よりも幸せに感じるから、舞い上がって勘違いしているだけではないのだろうか。はたまた、幼女という喜怒哀楽の激しい生き物に変えられてしまったがために、思い込みも激しくなってしまっていて勘違いしているのではないだろうか。そのように思うたびに、何事にも尻込みしてしまう自分がいるのだ。
 それが、十三にはとてももどかしかった。――元の姿で少しでも生活できれば。大人な姿で感じたものなら本物であると、きっと自信をもって思えるから。そうすれば、自信をもって行動にも移せると思うから。だから、元の姿に戻りたいと願ったのだ。


「考え過ぎだと思うわよ~? だって、あの日。アタシは見たもの。あんた達が〈もう、幸せすぎて死にそう〉って表情をしていたのを。もう本気で『今すぐにでも爆発四散しろよ、この野郎』って思ったもんねえ」

「あの日っていつ!? あんた達って、俺の他は誰!?」


 一部ドスの利いた低い声でそのように言いながら、アルデンタスはフウとため息をついた。十三が仰天して勢い良く起き上がると、アルデンタスはホホホと笑いながら再び十三をベッドに捻じ伏せた。


「それにしても、あんた、いい年して〈悩める男子〉だったのねえ」

「年は関係ないんじゃないかな。むしろ、年いってるほうが、そういうことに億劫になると思うんだが」


 肯定するように笑いながら、アルデンタスは施術の終了を告げた。愚痴や弱音を吐いてすまなかったと十三が謝罪すると、アルデンタスはニッコリと笑って言った。


「別にいいのよ。マッサージは身体だけでなく、時には心も解すものですから。辛い時にはいくらでも吐き出しに来なさい。オネエサンがたっぷり聞いてあげるから」



   **********



「あら、泣いた跡があるわ。何があったの?」


 バクのユメちゃんをしっかりと抱え込んで寝息を立てる死神ちゃんを見下ろして、マッコイが表情を暗くした。彼はアルデンタスから連絡を受け、業務終了後に〈あろけーしょんせんたー〉に死神ちゃんを迎えに来たのだ。
 アルデンタスはため息をつくと、呆れ果てた顔で言った。


「ビット所長が〈こんなチャンスは早々無い〉とか言って、かなり無理させたみたいよ。最後にあたしがもう一度診る予定だったのに、ボロボロの状態で泣きながら帰ってきたものだから、何もせずにユメちゃん貸して寝かしつけたわ」

「泣きながらって、去年の比じゃないじゃないの。本当に、何があったのよ……」


 マッコイは顔をしかめさせると、紙ショーツ一枚の死神ちゃんを抱えて起こした。そして、更衣室から運んであったワンピースを死神ちゃんに着せてやった。ブーツと下着類を用意してきた袋に入れて帰り支度を整えると、マッコイは死神ちゃんを抱えて申し訳無さそうに笑った。


「お手間とらせてごめんなさいね」

「い~え~。悪いのはあの機械野郎だから。むしろ、迎えに来てもらっちゃって悪かったわね。まったく、ことあるごとに|上司《あんた》まで呼び出されて、本当に大変ったらないねえ」


 マッコイが苦笑いを浮かべると、アルデンタスは心なしか優しげに目尻を下げた。


「あ、そうそう。渋ダンディー、何やらいろいろと悩んでるみたいだったから、ちょっと気にかけてやって」


 お節介かもしれないけど、と言いながら遠慮がちに笑うアルデンタスに、マッコイは頷き返した。それと同時に、死神ちゃんが苦しそうに呻き声を上げた。――先ほどまで静かに寝息を立てていたのに、ユメちゃんを手放したからだろう。死神ちゃんは悪夢を見始めたようだった。
 夢の中で、死神ちゃんは暗い中を素っ裸で必死に走っていた。目を赤くチカチカと光らせ、マシンガントークを続けながら全速力で追いかけてくる大量の機械人形に追われながら。もう、悩み事なんてどうでもいい。一刻も早くビットの群れから逃れたいと思いながら、死神ちゃんは苦悶の表情で寝言を言った。


「もう二度と……健康診断、受けたくない……」




 ――――さっきまでうじうじと人生相談をしていたことが遠い昔のようだと、アルデンタスのもとに帰ってきた死神ちゃんはこぼしたという。しかも、何をされたのかを尋ねたら、死神ちゃんは震えだしてだんまりを決め込んだのだとか。なお、健康診断自体の結果は異常なしでした。……ビット所長の空気読まなさと容赦の無さは天下一品の恐ろしさなのDEATH。

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