「地震」が視える少年
2011年4月11日午後3時ごろ、その災害は起きた。突然、鷹月市を襲ったマグニチュード7の局地型地震はあっという間に鷹月市駅前付近の建物を倒壊させ、冬芽忍武の自宅もその災害へと巻き込まれて崩れ落ちた。小学3年生だった忍武は下校中で外に出ていた為、運よく家屋の下敷きとならずに済んだが、母親の真理の方はそうもいかなかった。
「か、母さん! なんでッ、どうして……!」
廃墟の街を駆けずり回って帰ってきた忍武は、冬芽家の変わり果てた姿を目の当たりにして立ち尽くす。そこでは母親の真理が家屋の下敷きとなっていて、崩れたテラスの隙間からわずかに頭と左手を覗かせていた。おそらくはさっきまで洗濯物の取り込みでもしていたのであろう、周囲には洗濯物も散乱している。真理はまだかすかに意識はあるようで、忍武が帰って来たのに気付くとゆっくりと口を開けた。
「……火が回ってきたわ忍武……、あなただけでも逃げなさい……」
真理の言う通り、どこからか出火した火がもうもうと煙を上げて、自宅にも燃え移ってきているのが見えた。
「そ、そんな、いやだよ母さん! 僕がなんとかするから一緒に逃げよう!」
慌てた忍武は必死で瓦礫をどかそうと、手の爪が割れるのも構わずに掴みかかるが、いかんせん子供の力ではビクともしない。
「ハアッ、ハアッ…………!」
泣き喚きながら瓦礫と格闘するが、その内に火の回りも早くなってきて、熱と煙で瓦礫を持っていられなくなる。
「だ、ダメだ……誰か助けを呼んでこないと……! 待っててね母さん! すぐに戻って来るから!」
絶望の中、忍武は助けてくれる大人を探して大通りへと駆け出す。すでに真理からの返事は無く、一刻の猶予もない状態だった。
「だッ、誰か助けてください! 母さんがガレキに挟まれて……早くしないと火が……ッ!」
忍武は渾身の力を振り絞って叫ぶが、周りはサイレンと火事から逃げる人たちの悲鳴で溢れかえっていて、誰の耳にも届いていないようだった。
「何をしているんだ坊や!? ひどい怪我じゃないか!」
そのうち、忍武の存在に気付いた男性の一人が忍武へと駆け寄る。いつの間にか忍武はどこかで落ちてきた瓦礫か何かで頭を打っていたようで、額から顔にかけて血が滴り落ちているのに気付いた。
「もう煙が回ってきてる! 早く逃げないと!」
どうやら忍武を怪我人だと勘違いしたらしいその男性は慌てて忍武を抱きかかえると、忍武の話も聞かずに避難所へと走り出した。
「違う! 僕じゃない、母さんを……! 母さん、母さん! うわああああああああああああッ!」
忍武の必死の懇願もむなしく、全ては地震直後の恐慌の中へと掻き消されてゆく。頭から血を流しすぎた忍武は、そのまま次第に気を失っていった。
***
「また、あの日の夢か……」
眠りから覚めた忍武はのろのろと身体を起こす。寝ぼけ眼を擦ると瞳から涙が滲み出ているのに気付いた。
「そうか……もうあれからちょうど7年か……」
スマホから忍武は、今日が2018年の4月11日になっているのを確認した。時刻は7時を回っていて、忍武はふらふらと学校へと行く身支度を始める。
世界は常に揺らいでいる。
確かなものなど何も無い。
さっきから忍武の視界が波のように揺らいでいるのは、涙や眩暈のせいでは無かった。あの日から数日後、避難所で昏睡から目を覚ました時からずっと忍武にはこう視えているのである。まるで、ずっと船の上にいるような感覚。視界に写る物全ての線がグニャグニャと波打ってるように視える。医者に見せた事もあるが、直す方法はさっぱり分からず、災害時の脳へのショックが原因だとしか言われない。
だが、忍武は長年この症状と付き合っていくうちに、どうもこの景色は単なる幻覚だけではないことに気付いていた。
そう……あの日以来、僕には――――
物の『振動』が視えるのだ。
この眼には音の振動でさえ形となって視えた。大きな音が鳴っている所からは疎密波の濃淡が陽炎のように拡がっていくのが視えるし、光は揺らいで視える。そして、それは極僅かな地震動まで視えるようだった。車が通ってる所は地面が少し波打って視え、おまけに常人ならば感じ取れないような震度1の地震でさえ感じ取れた。
世界はこんなにも『波動』で満ちている。
額の傷跡隠しに使っているバンダナを鉢巻きのように頭に巻いて、身支度を終えた忍武はアパートの外へと出た。元々母子家庭で、現在は一人暮らしである忍武は、防犯の為、しっかりと鍵を閉めて鷹月北高校へと向かう。
「はぁ……今日も疲れた……」
やっと授業を終えた忍武は机に顔を伏せる。まだ入学式から数日経って間もないので、クラスの皆は友達作りに躍起だが、忍武はいまいち気分が乗らないでいた。大分慣れたとはいえ、グニャグニャ歪む視界のせいで疲れるのはもちろん、この季節は昔を思い出してしまって憂鬱になるのである。
「ねぇねぇ、聞いた? 今朝のニュース! またこの街で怪死事件が起きたんだって、こわいねー。全身から血を噴き出して倒れていたんだって」
「ええーっ、なにそれこわーい!」
「やっぱり噂通り、これもあのお社様の祟りなのかな? 最近なんか地震も多いしねー」
近所の女子グループたちの噂話が聴こえてくる。
忍武は床を見つめながら黙ってその下らない都市伝説を聞いていた。どうやらクラスメイトの間では、7年前の新名神高速道路開通工事で取り潰された神社の祟りの噂とやらが流行っているらしい。
「あれ……? この『振動』は……!?」
その時突然、忍武には以前にも視た覚えのある『振動』パターンの波が床の上を這うのが視えた。それは忍武にとって、今まで何度も繰り返し味わせられた恐怖の対象だった。青ざめた忍武は、慌てて机から顔を上げて立ち上がる。
「みんな伏せろ! 『地震』だ!」
忍武はそう叫ぶと急いで机の下へと潜り込んだ。
「……は? 何言ってんだコイツ……?」
傍の男子学生の一人が怪訝そうに忍武を見ているが、そんなことは気にもせずに忍武は膝を抱えて震える。
「お……、ホントに来た……?」
そのうち教室がユサユサと揺れるのが分かった。机はカタカタと揺れ、クラスの皆に少しの動揺が走る。
「震度2ってところか……」
「こんくらいよくあるって……!」
やがて、振動が収まると、クラスの皆はすぐに落ち着きを取り戻して通常営業へと戻ってゆく。
「うわあああああああ!」
しかし、忍武だけは違った。耐えられなくなって教室を飛び出し、トイレへと駆け込んで吐いてしまう。それはまるで船酔いのようだった。この厄介な眼のせいで忍武には震度2,3クラスの振動も大海の荒波のように感じられてしまうのだった。
「何やアイツ……確か冬芽忍武やっけ? ビビりすぎやん……」
「でもアイツ……何で地震が来るとわかったんだ……?」
「さぁ……、なんや知らへんが敏感でもあるんやないの?」
どうにか忍武は教室に戻るが、男子学生たちが自分の噂話をヒソヒソとしているのが聴こえてしまい、気まずくなった忍武は鞄だけサッと取ると学校を出てしまう。
「うう……なんかもう今日は散々だ……」
しかし、このまま帰るのもなんだか気分が落ち着かなかった忍武は少し悩んで、母さんの墓参りに寄る事にした。丘の上の校舎裏を回って坂を下り、高速道路高架の下を通って、向かいの丘である安満宮の鷹月霊園へと向かう。
ここ鷹月市は大阪と京都のちょうど中間あたりに位置する中核都市である。北区には森が、南には街が広がっているという、田舎と都会の境界線のような町だ。別名『墓場の町』と呼ばれているくらい古墳と墓地が多い。元々、高齢化の進んだ町ではあったが、7年前の鷹月地震で2560人もの死者が出てしまったのも影響として大きいのだろう。 ちょうど被災地が見下ろせるここの安満宮の丘では慰霊碑と鷹月霊園が作られ、忍武の母親もここで眠っていた。
震災があったとはいっても、7年前の出来事なので既にほとんど建物の復興は終わって、高速道路も開通しており、今では地震の爪痕も見当たらない。
「7年か……随分と変わったなこの街も……」
丘の麓の石材店で献花用の菊の花を数本買い、丘の坂と階段を登り切った忍武は、納骨堂の横に少し座って、小学生の頃とはすっかり変わってしまった街の景色を眺める。霊園の傍にはたくさんの桜が咲き誇っていて、陽日の中で花びらが舞っている様子はとても幻想的で美しい。向かい側には鷹月北高校と鷹月駅前のビル群があり、その下を鷹月ジャンクションとインターチェンジの高速道路がウネウネと這っているのが見えた。右手側には鷹月霊園の斎場からもくもくと火葬の煙が上がっているのも見える。これだけ離れていれば、忍武の眼にもあまり『振動』は映らないので、遠くの景色を見るのは好きなのであった。
「はー休憩終わり……」
忍武は、まるで年寄りのようによっこらせと立ち上がると目的の母親の墓へと歩き出した。
「あれ……、誰だあの人は……?」
そこで目撃したのは異様な格好をした女性だった。歳は背丈からして同い年くらいの女子だろうか? 顔には狐のお面を被っており、肩と胸の上部がはだけた露出度の高い白と赤の着物を着ている。着物の丈はかなり短く、下着が見えそうなくらいスラッとした足が出ていた。
「あれは……巫女……なのか?」
忍武はもっと近くで確かめようと足を踏み出す。しかし、その瞬間、足元の地面から異変を察知した。
「なんだ!? また地震!? いや、違う……こんな振動パターン今まで見た事が……」
地面がまるでミルクのように、跳ねて波打っているのが視えた。さっき視た初期微動とはまるで違う。
「なッ……、なんじゃありゃあああああああああ!」
いきなり、水から何かが飛び出したようなザバ―ンという音がしたかと思うと、その怪物は姿を現した。
それはどう見ても巨大なナマズだった。口には太くて長い触手のような一本髭をたくわえ、身体はまるで幽霊のような半透明で、大きさはそこらの家屋程もあった。
そんな巨大ナマズが地面から飛び出して高く跳躍し、宙を泳いでいるのである。
「やっと、見つけた……。さっきの地震を起こした『波動鯰(ナマズ)』……」
どうやら狐のお面の彼女にも地面の振動や、そのナマズは視えているらしい。彼女は忍武の方など気が付きもせずに上空のナマズを見上げていたかと思うと、次の瞬間には常人とは思えない高さで跳躍していた。彼女が操ったのだろうか? なんと、波打った地面がまるでトランポリンのように彼女を押し出したのである。
「波動関数(ファンクション)! ψ(プサイ)!」
彼女がそう叫んだ瞬間、彼女の左手からは十字架のような赤い刃が出現していた。その刀は鍔の部分に丸い鏡盾が付いており、左手に固定されている代物だった。
そのままナマズへと突進していった彼女はその刃をナマズへと突き立てる。
「くっ、浅いか……!」
剣先はナマズの横腹を斬り裂いたが、まだ致命傷には至らないようで、そのまま地面の上へと着地したナマズはプカプカと浮かんで、着地した彼女の様子を伺い、ゆっくりと低い声で喋りだした。
「ほう……貴様が話に聞く放射能力者(ラジエイター)という奴か……、よくもこの儂に傷をつけてくれたな……!」
ナマズが喋る非現実的な光景を見て腰を抜かす忍武だったが、彼女はそんな事もおかまいなしにナマズへと向き合った。
「わたしは葬儀屋『妖牙』が長女、榊美保。人智を超えし災厄の化身よ、あなたには母の仇の一端として消えてもらうわ!」
そう言うと彼女は再び刃を構えて、ナマズへと駆け出していく。
「生意気な小娘だ! 貴様の魂の波動、残らず喰ろうてやる!」
激昂したナマズは自らの口の2本の髭を交互にムチのように繰り出して叩きつけてくる。
「我が波動関数(ファンクション)よ! わたしと共鳴せよ!」
だが、彼女はそれらナマズの攻撃をものともせずにヒラリヒラリとかわしてゆく。
「『波動斬』!!!!」
ついにナマズの懐へと入り込んだ彼女は、そのまま思いっきり刃を振りかぶる。
「ぐおおおおおおおおおおおおおお!」
その刀身は今まで見た事が無い程の『振動』を帯びていて、その斬撃を縦に喰らったナマズはあっという間に雨散霧消してしまった。そのあまりにも見事で、美しい姿を目の当たりにした忍武は、見とれてその場で呆然とする。
それは桜吹雪舞う墓地の上―――
僕は彼女と出会った。