閃刃―①―
午後8:52 ロブソン
アンティパスという灰褐色の戦士からの一撃を視認した瞬間、ロックの目の前で瀝青の雨空が広がる。
喫茶店”Perch”内で、ロックとアンティパスの膂力の激突で生じた爆風で、店の外に飛ばされたのだ。
仰け反り様に舞った体を衝撃で流して、更に一回転。
ロックは、眼下に広がる瀝青の大地に両足を打ち込む。
弾けた水飛沫の壁の向こうで、珈琲喫茶店”Perch”から珈琲蒸留器の煙と共に、残骸が粒子となって舞い上がっていた。
車の喧騒が瀝青の大地を駆け抜けている時間の筈が、沈黙が流れる。
横断歩道に人影は、皆無。
警察の装甲車両と”ワールド・シェパード社”のSUVが、四辺の横断歩道を占拠し、人の流れを遮っていた。
無数の警官と”ワールド・シェパード社”の隊員の張った非常線の向こう側で、野次馬がひしめき合う。
警察の特殊部隊が装備する軽機関銃及び突撃銃と、白と黒の装甲を覆った集団による電子励起銃は、さながら、合図を待つ狐狩りの猟犬の様だった。
銃口が捉えるのは、交差点の中心のロック。
――この騒ぎでも聞きつけて来たか……?
徒手空拳で”ワールド・シェパード社”の社員を圧倒できるロック達を、”ウィッカー・マン”と同等に捉えている為か。
尤も、”ウィッカー・マン”に
警察官が、武装を晒すことで住民を遠ざけようとしているのだろうか。
或いは、どさくさに紛れて、持ち出されない様に携行しているからか。
ロックが考えていると、警察と”ワールド・シェパード社”の作る、交差点の包囲網が崩れる。
銃器の立ち並ぶ壁を崩したのは、白い奔流――”クァトロ”の大群だった。
勢いのある跳躍から放たれる前脚は、銃火器を防ぐ強固な作りの装甲車をも横転させた。
それを皮切りに、叫び声と号令が交差点を包み込む。
軽機関銃の銃声が空気を震わせ、電子励起銃が雨の幕を突き破った。
「マジかよ!?」
ロックが驚いたのは、彼らが撃ったことではない。
大量の”ウィッカー・マン”が、ロブソン
――何処から、エネルギーが――!!
ロックの思案を遮った二体の”クァトロ”が、飛び掛かってきた。
しかし、その二体はロックに届かず、横転。
空中で、もう二体の”クァトロ”が、ロックの前に出て、襲撃者を迎え撃ったのだ。
互いに四肢を絡ませ合う、四体の”ウィッカー・マン”に、金色の三日月が落ちる。
三日月の斬撃が、一陣、4体の”クァトロ”の左胸を切り裂いた。砂塵が銀鏡色の肌を刻んだ傷口から、溢れ出る。
「兄さん、大丈夫?」
そう言ったのは、サミュエルだ。彼の持つ長柄に掛かっていた覆いは、もうない。
両手の散弾銃の銃口の先から、日本の枝垂れ桜を思わせる大鎌の刃。
“パラダイス”という、サミュエルの
ナノ加工された特殊研磨材による、砂塵噴射を散弾銃の様に放つ。
また、切断に向かない大鎌の摩擦を減らすために、砂塵噴射は接近戦で使われていた。
「シャロン。”ウィッカー・マン”を操ることの利点は、倒しやすくすることだけか?」
ロックは、サミュエルの隣に立つシャロンに吐き捨てる。
彼女は、
「
シャロンは乱暴な応答をして、滑輪板で、飛び掛かってきた”クァトロ”の頭を一つ叩きつけた。
彼女の能力は、滑輪板の機動力を活かした格闘術だけではない。
“ウィッカー・マン”を
加えて、”ウィッカー・マン”を一体に限り、長距離移動させることも出来る。
しかし、弱点もあった。
拠点を探る長距離移動に送った一体に、シャロンは意識を集中させなければならない。
仮に、この状態で残り二体制御しようとする場合、近くを操る場合は、長くて15秒が限界である。
「兄さん、気付いている? ”ウィッカー・マン”……転移した形跡がない」
隣のサミュエルが、”クァトロ”の頭部から左胸部に掛け、金色の鎌で引き裂く。
ロックは、右の肘鉄を繰り出し、護拳と翼の剣が左胸を貫いた。
ロックの刺突によって、前かがみに倒れた”ウィッカー・マン”の背を発条に、もう一体が跳躍。銀灰色の咢から突出した青白い牙が、紅い外套に迫る。
だが、銀色の板がそれを遮った。
青白い火花を出す上顎を、シャロンは後輪越しに蹴り上げる。
「というか、市内に”ウィッカー・マン”が多過ぎ。そもそも、スカイトレインの破壊が切っ掛けとは言っても、これは活動的過ぎる!」
「”ガンビー”がいないのは引っかかるが、どっちにしろ、ダウンダウンを覆う壁は、もう意味を成さなくなった」
ロックは吐き捨てながら、”クァトロ”の左胸部を得物の翼剣で裂く。
グランヴィル・アイランドで襲撃してきた”フル・フロンタル”は、バンクーバーの悲劇の被害者に変装していた。
彼らの特性を活かせるほどの熱源が、バンクェットにあったからである。
――人間の体を励起させて、やっと転位に必要なエネルギーを得られる。
しかし、見た限り、警官と”ワールド・シェパード社”の兵士の壁の向こうで、誰かが火達磨になった気配はない。
市内のど真ん中へ、”クァトロ”を転移させる程の熱入出力の源。
ロックには、皆目見当が付かなかった。
不可解さに首を傾げつつロックは、三体の”クァトロ”に向かう。
正確には、三体の”四つん這い”の背後に立つ、灰褐色の武人――アンティパス。
ロックは一体目の懐に飛び込む。左手を抑えた右側頭部の上に護拳を握った右腕を畳み、”四つん這い”の首元を目指した。
ロックは時計回りに腰を捻りながら、上体を跳ね上げる。
”クァトロ”の頭部、首と体幹がロックの肘により持ち上げられ、前脚が地面から離れた。
気合を入れ、ロックは剣を持ち直す。
剣先をロックの背面から回し、片手の鍵の構えから、”四つん這い”の左胸を穿孔した。
左足を蹴った勢いで、二体目と三体目も千枚通しの様に重ね、アンティパスに突進。
しかし、ロックの突撃が、見えない爆発に遮られる。
爆音と衝撃によって、飛び散った三体の”ウィッカー・マン”。
アンティパスの左腕に、灰褐色の光が宿る。
拳大の砲口と化した左手は、伝説の宝を守る竜が息を吸い、口腔から威嚇で炎を出す様を思い出させた。
灰褐色の左手の守護獣が、雨は愚か、”クァトロ”の残骸も貪り始める。
ロックは、”ブラック・クイーン”の護拳から、イニュエンドを取り出した。
彼は、神獣の口に向けて、銃弾を二回、発砲。
一発目は、”
高熱源であるアンティパスの左手の大筒は、水蒸気と雨、粉塵に触れると残骸諸共、水蒸気に包まれる。
水蒸気が更なる炸裂を奏で、雨滴を蒸発させながら、灰褐色の戦士を呑み込んだ。
二発目は、”
酸素は、助燃材として高熱源の熱量を増加。
燃焼反応は、一酸化炭素や二酸化炭素が生じ、相手の呼吸も止める。
二つの爆破でアンティパスの視界を覆い、ロックは彼の間合いに踏み込んだ。
刺突ではなく、右肩から振り下ろす袈裟斬り――西洋の剣術で言う、”怒りの親父の一撃”。
不貞を働いた娘の男を殺す父親を表しているという、ドイツの逸話が伝えられている。
“異性交遊の諍い”か、”金の無心”による揉め事か、定かではない。
結果は、
だが、この技には、もう一つの名前がある。
イタリアでは、”貴婦人の構え”。剣を背負う姿が、
ロックがアンティパスに放った一撃は、”
ロックの刃が、アンティパスの頭蓋ではなく、その前に現れた混凝土の壁を刻み、悔しさで奥歯を噛み締めた。
彼の一撃で罅を刻まれた灰褐色の壁が、思考するロックとの距離を一気に縮める。
移動した壁の罅に目掛けて、畳んだ右腕を撓らせた護拳の一撃を放った。
しかし、アンティパスの全身を隠す混凝土の壁から生み出された、重量と速度の乗法の力にロックは右腕を押し返される。
ロックの一撃は、混凝土壁を壊せたが、その時の移動熱量と衝撃熱量が、彼の体を浮かせた。
灰褐色の壁の破壊の波動が、ロックの腕を通じて肺にまで達し、紅い吐息が漏れる。
ロックの体が、緩やかな紅い放物線を描いた。
苦悶を耐えながらも、ロックは瀝青の道に着地する。
更に、ロックは目と口を引きつらせたのは、アンティパスの傍らに控えていた二つの混凝土壁。
まるで、地面から浮いているかのように、紅い外套の戦士に向け、二柱が滑り出した。
「口があるなら喋れよ、アンティパス!?」
そういって、相手が口を開く理屈を持ち得ないのは、ロックには分かっていた。
分かり切った事実への徒労感と共に、”ブラック・クイーン”の大きな鍔へ銃を入れる。
柱と壁よりも速く動いた二体の”クァトロ”に、ロックは翼の剣を振るった。
一体は、両断。
二体目を護拳で殴って、頭部を左手で掴む。
両腕を”クァトロ”の長く伸びた首に巻き付けると、二体目の”クァトロ”の胴体を、アンティパス大のコンクリート壁に放り、右足で踏みつけた。
ロックは、混凝土柱に挟まれて出来た、”ウィッカー・マン”からの斥力を脚で受け取り、距離を稼ぐ。
”四つん這い”の残骸を蹴散らしながら、二柱が迫ってきた。
しかし、其々が真二つに割れる。
撃ち抜いたのは、一迅の金色。
射手は、
「兄さん、相手の口を開くには
サミュエルが、ロックに皮肉を言いながら前に出る。
ロックは兄と呼ぶ男に、銃口を向けた。
銃口が光り、爆発が起きる。サミュエルの背後で、”クァトロ”が左胸に大きな穴を開けて、横たわっていた。
「お前は、まず、
ロックがそう言った時には、サミュエルの上空から飛び掛かる”クァトロ”二体に肉薄していた。右からの横なぎの一撃は、二体の胸部を引き離す。
「じゃあ、ロックに言葉は必要ないね。とっとと、黙ってサミュエルから離れろ」
ロックの前に迫りくる滑輪板。上背を下げると、紅い外套の背中を越えて”ウィッカー・マン:クァトロ”の頭部と胴を、シャロンは板越しに蹴りだす。衝撃によろめく”四つん這い”の上に、シャロンは滑輪板を乗せた。
滑輪板は、何条もの電流に包まれ、下にいた”クァトロ”へ食らいついた。
「取り敢えず、お前の存在も必要ないな。お前たちの言動を見ると、時々、敵と味方の判断がつかなくなってくる」
ロックは、上半身を跳ね上げながらシャロンに返す。
アンティパスの大砲の様な刀身の大剣に、ロックは意識を向けた。
”ストーン・コールド・クレイジー”。
ナノ制御から作り出されたセメントで、攻撃を行う
“ウィッカー・マン”への対抗手段として、
しかし、特定の個人にしか扱えず、大量生産に向かなかった。
普及を試みる者もいるが、兵器と言う一面を差し引いても
その扱いを巡って、武器の流出、所属組織への不信感による裏切りも重なり、”ウィッカー・マン”対策の遅れの要因となっている。
ロック達の任務の中にも、その所有者と
抵抗する場合は、所有者の拘束や殺害も厭わない旨も通達されている。
――所有者と
その任務を受けてきたロックは、その事実に驚愕していた。
適合者の意識を
非適合者が使おうとするなら、
その結果、非適合者の熱量は奪われ、自然発火となる。
条件付きで防衛機能を無効化出来るが、その場合は、代償として、
その結末は、ロックの振るってきた武器が知っていた。
彼が、アンティパスという適合者の登場に戸惑う時間は無い。
「じゃあ、私が
その声に、意識が中断させられた。
妖艶な声が、雨音と共に降ってくる。
ロックは、背後に激痛を感じながら、声の方へ振った。横殴りの斬撃を受け止めたのは、雄羊の角の女――サロメ。
彼女の肉付きの良い肢体は、支えきれずに放物線を描いて土瀝青の大地に降りる。
猫の様に、両腕を前脚の様に路地に付けながら、
「
「そっちの方が願い下げだ、黒か白かで言えば、中間の灰色――しかも、
”四つん這い”で臀部を突き上げ、女豹の恰好を真似た象牙眼の魔女――サロメに、ロックの“イニュエンド”が咆哮を上げた。
だが、着弾点にサロメはいない。
右手の半自動装填式拳銃に、銃弾を装填しながら、ロックは右腰の回転と共に右肘鉄砲を放つ。
紅の一撃と、サロメの放つ雄羊の頭蓋骨の刺突が激突。
その寸前で、ロックは左手で額の右側を抑える。
折り曲げた右肘を延ばし、ロックの”イニュエンド”の銃把で、サロメの圏に施された羊の護拳を砕いた。
目の前のサロメは、狼狽えた様子を見せない。
彼女は、ロックの肘を延ばした際に開いた胴へ、
ロックは左腕で掃おうとするが、空しくもサロメの圏を左胸に受ける。
だが、背後の激痛によって、左腕に力が入らなかった。
前後の痛みに顔をゆがめるロックを、熱波が撫でる。
サミュエルの”パラダイス”は、長柄の鎌の形ではなかった。
腕の様に折りたたまれた鎌の下で、散弾銃の銃口が覗く。
発砲した後なのか、硝煙が立ち昇っていた。
「兄さん!? シャロン、頼む」
サミュエルが口を大きく開いたにも関わらず、その声は小さい。
弟の張り上げた声が小さく聞こえるのは、与えられた痛覚がロックの聴覚に勝っているからかもしれない。
シャロンが駆け寄り、
「ロック。サミュエルが嫌がるのを見たくないから、じっとしていて」
そういって、ロックは座らされる。
彼の前で、シャロンはしゃがむと、右手でロックの胸を触る。
力が抜けると、背後からも光と温かさを感じた。ちょうど、ロックはシャロンに抱えられる様な形だった。
「アンタは、今、
”ウィッカー・マン”の強化及び再生能力は、”リア・ファイル”というナノマシンの活動である。
それが肉体を構成している為、既存の銃火器では傷つけられない。
ロックたちの攻撃の手段は、”ウィッカー・マン”を構成するナノマシンを破壊できる”
機械を倒す為に、機械を使っている。
当然、機械が
ロックは、ブルースに起きたことを思い出す。
ライラとヴァージニアの攻撃をブルースが受けた時、彼の再生能力は働いていなかった。
だが、ロックが目を覚ましてから、ナノマシンは正常な治癒機能を取り戻した。
「サロメの力が、俺の
「厳密に言うと、”
”ウィッカー・マン”の急所自体、
シャロンはそこに、素手で干渉出来る。
触覚を通した洗脳ばかりでなく、
「少し前にサロメ、サキを守る
検査の為に、ブルースとロックの生体標本が、市内の研究機関に送られたが、結果はまだ得ていない。
それに、”ウィッカー・マン”も
「私たちも、サミュエルと”壁の向こう”の”ウィッカー・マン”を調べたけど、
シャロンの疑問にロックは首を振り、彼女の右手から、明かりが消える。
ロックの感じていた左肩と背面の痛みは、引いていた。
「悪い。感謝する」
「謝るなら、サミュエルに。私は、
ロックの言葉を、シャロンは突き放した。
「それに、あんたが
――随分と言うよりは、眼中にも入れたくねぇってことか?
ロックは、常人なら心を砕かれるシャロンの言葉を心で苦笑いしながら、立ち上がる。
サミュエルに目を向けると、彼の”パラダイス”の散弾銃が、両腕を失ったサロメの頭を撃ち抜いていた。
刹那、妖艶な均等の肉体が
その歪み方は、ロックにも見覚えがあった。
サロメだった肉体は、銀色の扁桃頭――
「兄さん、僕たちは
「
サミュエルにロックは答える。
シャロンは何も言わず、両足を乗せていた滑輪板を、両手に持ちかえた。
ロックは、サミュエルとシャロンと背中合わせに、目の前の灰褐色の武人を見る。
雨粒を受けても、アンティパスは一切の感情を見せない。
彼の持つ大砲の様な剣の煌きが、血と雨の違いが些末であると語っている様だった。
隣のサミュエルの眼は、”フル・フロンタル”の大群を率いるサロメを反射。
しかし、扁桃人形は道路から溢れるどころか、
扁桃人形が、一歩刻むたびに、ロック達の立つ円を狭めていく。
ロック達と距離を縮める度に、”フル・フロンタル”の集団、全ての頭部から雄羊の角が生え、眼が”
その場にいる
包囲した一体から、声が上がる。
「燔祭、第二幕……始めましょう!」