狂宴―⑨―
気付けば、ロックの視界に白い雨天が広がっていた。
ライラが上半身に集中させた光の爆発により、吹き飛ばされたのだ。
――レーザー……いや、ビームか!?
光は力と、そして熱も伝達する。
ヴァージニアの撃った鉱石を散らばせた後、ライラは光の速さで移動。
その時に発生した熱力量を収束。光熱力量を”リア・ファイル”で物質化させた剣に反映させながら、ロックの結界に衝突し爆破させたのだ。
ロックの体は弧を描いて、グランヴィル・アイランドのパブリック・マーケットに飛ばされる。
食品売り場の樹脂製の棚、木の陳列棚を壊した衝撃と雑音が、彼の赤い背筋を叩きつけた。
魚屋の硝子製陳列棚が、宙を舞いながら木製棚をぶち抜くロックの背中を受け止める。
背骨に強い衝撃が走り、意識が、一瞬だけ暗転。
硝子の割れる音で覚醒させられながら、ロックは、血息を口から大きく吐き出した。
仰向けに出た赤い吐息は、紅い外套よりも鮮やかに中空へ広がる。
頭がざらつく感覚と、吹き飛ばされた時に入った木と鉄の味が舌上で踊った。
上半身だけを起こすと、パブリック・マーケットの中に開いた大きな穴に気づく。
一つは、サロメを追っかけていた時に、出来たものだ。
その隣は、ロックが先ほど飛ばされた時に作られたのだろうか。
しかし、ロックは二つの穴の先で
翼剣ブラック・クイーンを構え、足元ですり潰される硝子の音が、耳をざわつかせる。
――何処から来やがる?
電気が消え、雨の鬱屈さが広がるマーケットに、魚の生臭さと、もう一つの不快なにおいを感じ取った。
――オゾン臭……?
気づいた時には、ロックはブラック・クイーンを地面に叩きつけた。
“
数欠片が煌き、宝石や鉱石ではなく、刀剣の鋭さとなり、ロックの喉を捉えた。
その煌きから生まれたのは、剣の幻影、ライラ。
ロックは、腹の底から喉へ怒気を放つ。声ともに吐き出した横殴りに一撃で、剣を迎え撃った。目の前でライラが、力を受けた衝撃を、口の端で歪ませる。刃の様に曲げた口を作りながら、彼女は霧散。
――なんで消えた?
そもそも、生身で戦うわけではない。その時点で、彼女たちに優位はある筈だ。
――三メートルの距離制限か?
しかし、活動範囲についての考えを改める必要があった。
グランヴィル・アイランドのパブリック・マーケットの天井は、硝子張りである。
閃光が走るや否や、敷き詰められた硝子が破裂。
曇天を背後に、鉱石の鏃の雨が、死んでいるように眠るサキを背後に携えたヴァージニアが舞い降りた。
「私たちは一緒です。それを見誤りましたね」
雨のしずくと共に、ヴァージニアから放たれる鏃。それが、一際大きな、周辺の硝子を含め、胴体程の大きさを作った。
巨大な硝子塊が、ロックの頭上に落とされようとしている。
彼は、護拳に熱量を込めると、結晶に“ブラック・クイーン”越しの右拳を撃ち込んだ。
重力熱力、物体熱力が、護拳から電気熱力の爆轟で、硝子塊が止まる。
電流と火花が硝子塊を爆散させ、ロックの視界を覆った。
破壊による熱力の反作用を推力に回し、ロックは背後に下がる。
粉塵から離れ、ロックは周りを見渡した。
赤い外套を纏った自分を映す、姿見が目に映る。
食品に関わる者の身なりを整える為のものだろうか。
しかし、その意図で使われることが、
ライラの急襲手段として、ロックの前にある姿見から現れる。
鏡から現れた上半身を振り絞った刺突から熱と光が、ロックの胸を右から左に一閃した。
致命傷には至らなかったが、血の焼ける匂いに彼は、顔を顰める。
だが、顰めて端に釣り上げたロックの口から、衝撃により絞りだされた空気が漏れた。
体に熱さと痛さを感じながら、振り返る。
鏃としてはなった大きな硝子塊。
その表面に映ったライラが振ることで、鏃から光が煌いた。
周りを見ると包丁、測りに硝子。
光を伝える伝導性のものが、空間を揺るがし始め、反射した光がロックへ一斉に放たれた。
「そんなのありかよ!?」
ライラの攻撃は、指向性熱力の刃によるものかと思った。
だが、それはあくまで副産物に過ぎないことを、ロックは身を以て味わう。
本当の強さは、ヴァージニアの生成した物体による、反射と伝達による移動だ。
フォトニック結晶。独特な色彩を放つオパールの様に、屈折率が周期的に変化するナノ構造体である。
光は物体にぶつかった場合、吸収されるか分散してしまう。
鏡は反射角を一定に保ち、鏡面反射を行っているので、鏡像を映す約90%の反射率である。
光を通さない白紙は、不安定な反射角、元の像の拡散反射の為、反射率は80%止まりだ。
しかし、光の屈折率を100%にする方法がある。
フォトニック結晶は、屈折率が周期的に変化する特性によって、ナノ構造が光の制御も可能にする。
ある大学の行ったフォトニック結晶の実験は、シリコンウェハーの上に、穴の開いた窒化ケイ素の膜を加えたものに、35度の角度から、赤色の特定波長の光を当てた。
その結果、光に含まれる光子を吸収・拡散させることなく、100%の精度で光を跳ね返す
フォトニック結晶の、光を吸収するが、ある角度に特定の波長の光を当てると、光源に向けて反射する性質を利用し、ヴァージニアはライラを移動させる。
金属は、光と熱を伝える、熱媒体で光媒体と言う側面を併せ持つ。
反射率100%でライラの熱源としての威力を減退させることなく、苦しめられたブルースの様に、周囲の反射物から死角のない集中砲火をロックにも浴びせた。
ライラのいる静面に向き直り、ロックは右足を蹴って後退する。
だが、ロックの左腕が光に貫かれ、二撃目は右脚を射抜いた。
木製の陳列棚に身を顰める為に、ロックは上半身から右反転。
だが、光の雨が、彼が背に置いた木製の陳列棚も打ち砕いた。
「好き放題してんじゃねぇよ!!」
更に右反転しながら、ロックは護拳から“イニュエンド”を取り出す。
サキの左右に立つ、ライラとヴァージニアに向けて発砲。
半自動装填式の7発の銃弾を、連続で放った。
撃ち終えると、ロックは装填して構える。
「銃弾なんて、効かないわよ!」
「
ロックの言葉に、首を傾げた強気のライラ。
彼の顔を読み取った、ヴァージニアの顔。その白い肌が、更に生気を無くしていく。
煌く弓の担い手の顔で、白い爆発が7回。
火花と共に、電影が歪んだ。
白い爆発と霧に、ライラの光の剣が更に乱反射を起こす。
戸惑ったライラの顔に、ロックは右手の護拳を叩きつけた。
サキを守るためのヴァージニアのフォトニック結晶の障壁が、目の前を遮る。
ロックと拳がぶつかった衝撃が、周囲を吹き飛ばした。
フォトニック結晶の盾が、ヴァージニアの前で砕ける。
ガレアの女兵士の整った口が歪み、ライラも大きな瞳に苦悶の色を示した。
ロックの猛禽のような目が、電影の守護女神たちの眼に爛々と輝いている。
炎のような眼光を彼女たちに叩きつけんと、ロックはヴァージニアの顎に左の拳を炸裂。左から右に、腰を入れた回転力を伝えるよう、折りたたんだ右肘をライラに叩きこんだ。
”リア・ファイル”の熱出力による、電磁と空間を歪ませる程の紅い拳撃が、二人の守護者を襲う。
「剣が……出ない!」
「動けませんわ……これは、一体」
ロックの放った銃撃は、
水は摂氏100度になると蒸発するが、その話には語弊がある。
例えば、熱したフライパンに水を落とすと、玉のような水滴を作る。接触する部分の水が膜を作り、そこを熱せられた場合、水蒸気が水滴の下から対流して推力を得る。
その結果、異なる物質間の摩擦力が、無くなる。
これをライデンフロスト現象という。
製鉄所や鉱山で熱した鉄に、何らかの工程で誤って水を入れ、水蒸気爆発が起きるのは、その際に気泡を多く取り込んだ体積膨張によるものだ。
ロックは、ライデンフロスト現象で変化した摩擦力が、無い水の膜を
熱せられた空気を含んで、膨張する高温の水を
本来このような攻撃は、煙幕くらいにしかならない。
雨の中で、火花を散らせながら像を歪ませているライラとヴァージニアの姿を見て、ロックは考えた。
どれだけ、
彼女たちにとって、それが水だっただけだ。
「さっさと、消えやがれ!!」
ブラック・クイーンに銃を戻し、左袈裟斬りの斬撃を放つ。
破壊から生じた斥力で、サキと二人の守護者が吹き飛ぶ。
その背後では、ヴァージニアが右手の弓を構えてロックに照準を合わせていた。
「させるか!!」
”
サキを守る電磁障壁の温度上げ、白色にして抉る。
二つの力の拮抗が摩擦を呼び、力の波が周囲を震わせた。
本来、戦闘の時、拮抗した場合、後ろに下がり距離を取る。
まして、ライラがその間合いに現れたのならば。
しかし、ロックは違った。
右足へ掛けた全体重で、ライラの刺突を護拳で止める。
護拳の中で、全てを貫かんとする熱力を電気に変換。発生する磁場が、空間を歪ませた勢いで、護拳越しに拳を振り切った。
苦悶のライラが更に驚愕する。
ロックの怒号と共に、ライラの剣が折れた。
電磁の肉が、雨の中で電散し、腕が衝撃で折れ曲がる。
ライラの方が競り負け、後へのけ反った。
ロックはその間に、電体の女剣士へ右殴りに剣を叩きこむ。
武器一つ一つの粒子を弾かせながら、二体の電影の守護者と一人の少女を光の波が覆った。
食品売り場の棚どころか、床も引き裂きながら、三体は、空に放たれる。
――逃がさねぇ!
間合いを詰め、ライラとヴァージニアに肉迫。
瓦礫を撒き散らせながら、守護者を追ってロックは雨天の空を飛ぶ。
”リア・ファイル”の攻撃で、
サキを傷つけてまで戦う程、
しかし、ロックは、その考えが誤りだと知らされた。
「アンタも”リア・ファイル”を使っているなら……」
ライラの眼に煌きが戻った。その眼に作為は無いが、サキを守るための
ロックの周囲で巻き上がった瓦礫の中で、スパンコールのような煌きが混じった。
――まさか、フォトニック結晶を極小のレベルで砕いていたのか!?
息を呑んだロックの視線に、ガレアの女戦士の眼光がぶつかる。
「ヴァージニア……!!」
声を出した時には、サキの周囲に光が煌き始める。
無数の粒子からの光の刃が、ロックの背後を抉った。
灼熱が体幹から続けて全身を蝕み、脳から激痛が全身に伝わる。激痛は痛覚を麻痺させ、ロックの脳は重力に落ちる感覚しか感じえなかった。
重力の軛から解放されたばかりの、足が頭と反転。
頭から海に落ちていく。
その上には、サキを守る二体の守護者。
彼女たちは、落ちていくロックを見下ろす。
「サキに危害を加えないとか言いながら、殴りまくってバカみたい!」
「でも……あの人の力。何かが……」
別々の反応を示す二人の守護者が、グランヴィル・アイランドのヨット乗り場に降り立つのが、ロックに見えた。
ライラの敵意は、ロックという命に係わる、お節介焼きを退けた優越感で作った蔑みの眼差しに染まっている。
眼差しに映るロックは自分を、天から落ちてきた天使の姿へ不意に重ねた。
しかし、ヴァージニアは現状に疑問を持ちながらも、ロックのことは既にないかのように話している。
二人の対話が遠ざかるにつれ、ロックの内で、
『貴方は常に手が届かない。今もこれからも。そして、未来永劫ね!!』
サロメの言葉が、パイプオルガンの演奏の様に響きあう。
雨の音が聞こえなくなるほど、その声が大きくなり、力が入らなくなった。
手の力が失われたまま、“ブラック・クイーン”が離れようとした時、二体の守護者に引き連れられたサキの姿が映る。
苦し紛れに見えたサキの横顔。
何も分からず、寝ているかのようで、その均整な横顔は先の行事で見せた、作られたものを思わせる。
だが、
彼女の頬を伝う雨粒。
それが、涙の様に見えた。
それに気づかない幻の守護者。虚像を滴る雨粒が、その体に波紋と小さな花火を作りながら地に還っている。
ただ、サキは見ず、ロックに目を据える。
ロックの視線が、二対のそれと交錯し、目の裏に光が宿る。
光は像を作り、人を描き、世界の断片を描き出した。
断片の中にいるのは、三人。
一人は、光と血に染まりながらもロックを抱きしめる少女。
一人の少女の背後には、二つの影。
影には、象牙色の星が二つと紅い石榴の三日月が一つ。そして、もう一人の顔も、影の上半分が割れ、吊り上げた笑みを浮かべていた。
海面に入るが、水の弾けた音がロックの耳に届かない。
水の冷たさも感じなかった。
ただ、大きな
彼の中を流れるのは、高炉で溶かされた銑鉄か、地脈を巡る溶岩か。
はたまた、脈動する自らの
目の前を雨と共に落ちる、”ブラック・クイーン”を見て、一際大きくなった
紅黒い光が、ロックの体から一斉に噴き出た。
ロックの頭の中の思考は、血色に染まり、激痛がのたうち回る。
――止めろ……!?
彼の頭に、かつて
ロンドンとダンディーで、失った悲しみと共に上げた咆哮で、血に染め上げた路地。
ただ、破壊を行う
――
ロックは、過去を振り払う様に、右腕を突き出した。
海中を漂うブラック・クイーンを手に取り、血の色の光に包まれる。
ロックの周囲を、血色の光が、水の壁を築く。壁はブラック・クイーンの護拳を中心に、水の渦を巻きあげていた。中心に力を感じ、熱と電気がロックの全身を駆け巡る。
彼の体から電子が励起、ブラック・クイーンを左から右へ振り上げた。
水飛沫と電流の奔流が、フォルス川で紅と黒の爆発を打ち上げる。
ライラとヴァージニアは、その爆心地にいるロックに茫然とした。
ロックは、茫然とする彼女たちの二対の目に焼き付けた、自らの会心の笑みを認める。
二人の守護者の目に映るのは、紅黒い竜巻とその中にいるロックと、彼を囲む沸騰し切った水だった。
水の沸点は、摂氏百度。しかし、海水の沸点は、水のそれよりも高い。
ライデンフロスト現象の様に破裂せず、熱力を長く維持し、その形を保つことを可能にするのだ。
熱量は、ロックの体を浮かせる推進力を与える。
荒れ狂う海がロックを守る様に覆い、聖書の海獣の様な咆哮を上げながら、赤黒い竜巻が突き進んだ。
巻き上げられた波が、サキの守護者の眼の中で、赤黒い龍の体を作る。
ヴァージニアの鏃が、ロックのいる赤黒龍の咢めがけて、放たれた。
だが、届く前に、灼熱の波風に遮られる。
ライラの剣が、ヴァージニアの前に出て、ロックを突き刺さんと伸ばした。
しかし、光の刃が海の熱出力によって消える。
だが、サキに近づけさせんと、体全てを張ってロックに突っ込んできた。
刹那、ロックは、渦の中で一回転。その海の渦が、大きくなるや否や、赤黒い胴体をのたうたせる。
グランヴィル・アイランドの近くで停泊しているヨットを壊しながら、サキの
紅黒い龍の胴体の鞭を、ヴァージニアが受ける。
攻撃を防ぐ為に出したフォトニック結晶が、光を散らして砕かれた。
ライラも加勢するが、その身を削られていく。
ロックはそれを見て、力を加える。
渦が三人を巻き込みながら、グランヴィル・アイランドのパブリック・マーケットを進んでいく。
赤黒い竜巻が、魚をまき散らし、美術館の絵画や彫刻もそのあとに続いた。
ロックを纏う海水が、剣を覆う。そして、紅黒い海竜の尾の一撃として、守護者たちに放たれる。
力が可視化され、電気熱量が血の様に四散した。
ライラはジャケットと剣、ヴァージニアはガレアと胸部装甲を剥がされ、力の奔流による爆発に巻き込まれる。
光に変わり、ロックの前に広がった。
光の中で力を失い、肌を晒しながら消えていく二人の守護者。
その中の一人、ヴァージニアと目が合う。
「まさか……あなた。いや、これは――!」
鎧が弾け飛び肌を露わにした、弓使いの守護者の叫びが消える。
ヴァージニアが消え、サキの前に現れる光。
光がロックの前で爆発し、視界と言葉が閃光に覆われた。
※※※
雨天の齎される雫が頬に打たれて、ロックは目覚めた。
そう気づいた時、彼の背中に激痛が走る。
微かに鼻腔を擽る鉄と肉の焦げた匂いに、顔を顰めながら目を開ける。だが、全身を駆け抜ける激痛で、瞼は半開きに終わった。
その代わり、右の頬と腹が濡れていることに気付いた。
雨音と共に駆け付ける、ブルースの足音が響く。
彼の眼で、俯せて居る紅い外套を纏ったロックの姿。
何かを言っているようだが、聞こえない。
激痛を感じさせながら、ブルースに仰向けにさせられた。
転がる視点の先に、サキがいた。
彼女はエリザベスによって、抱えられている。
制服が雨に濡れ、肌が浮いてきたので、エリザベスはジャケットを被せていた。
だが、ロックは、そんな二人に目を見開いた。
エリザベスがサキを抱えている背後にいる、一人の女の存在。
二人を見下ろした彼女の顔が、弧を浮かべる。
つまり、笑顔。
まるで、雨と夜の帳に浮かぶ下弦の月。
弧月が、サキの体に向けて近づくと消える。
ロックは、光の中でヴァージニアの
『これは、
弧なる嘲笑を浮かべた女の影に、ロックの意識が暗転する。
雨に冷えた体に伝う冷気と、