55話 俺も拳闘士だ
いけ好かないやつだと思った。
ロゼッタがグラスを受け取らないのでエドガーは肩を竦めると、近くにあったテーブルの上に置いた。
「もう気が付いているんでしょ?」
「猫を被るのはやめたのかい?」
「始めからそんなつもりはなかったけれど、あなたにはそう見えていたのかしら?」
「やれやれ、随分と嫌われたものだな。だったら俺もそうさせてもらおうかな」
急に豹変したエドガーに驚くも、ロゼッタは気圧されてはならないと気を引き締める。
エドガーは先程置いたグラスの中の酒で手を濡らすと、髪をかき上げてオールバックにする。
「実を言うと今回の話は乗り気じゃなかったんだよ」
「あら奇遇ね、私もよ」
「気の強いお嬢様だ」
エドガーはグラスの中の残った酒をグイっと煽る。
「なんでだい? 自分で言うのもなんだけど、ポートマスは上級貴族だぜ? そちらにとっては良縁だと思うが」
「父にとってはね。私にとっては相手が王家であっても関係ないわ」
ヒューっと口笛を吹いて、にやけるエドガー。
そんな仕草がロゼッタのことを更にイラつかせる。
「良家のご子息様が、まるでゴロツキのような真似をするのね」
「ははは、言えてるね。こう見えて俺は不良息子でね。親も難儀しているのさ」
「ふん、見たままよ」
「まあそう言うなよ。今回の話、親同士の間ではもう決定事項だぜ。妻を取れば俺も落ち着くだろうとか、親父は思ってるみたいだけど」
そんな気は更々ないと言った様子で話すエドガー。
たぶんそんなことはないだろうと、今日会ったばかりの相手であるがロゼッタは思った。
「うちも似たようなものね。嫁ぎさえすれば、私が諦めると思っているのよ」
「諦めるって、何をだい?」
「あなたに話す必要なんてないわ」
「そこまで話してかよ、つれないねぇ」
エドガーは大きく嘆息した。
すると、ニヤリと口元に笑みを浮かべて、ロゼッタのことを不躾にじろじろと見る。
「な、なによ?」
「まあ、その気はなかったけど。一応調べさせては貰ったんだけどね」
「どういうこと?」
「自分の婚約相手がどんなものなのか、下調べするのは当然だろう。容姿はもちろん、趣味はなんのか、交友関係から、今現在どういったことに興味を持っているのかまでね」
「最低な奴ねあんた」
ロゼッタの辛辣な言葉に、エドガーは悪びれもせず笑う。
そして、エドガーは急に真面目な表情になると、両手に着けている白い手袋を外して右拳を突き出した。
「これがなんだかわかるかい?」
突然の行動にわけがわからないロゼッタであったが、エドガーの右拳をつぶさに観察して気が付く。
拳の皮が分厚くなり、ところどころ捲れた痕があり治りかけの部分もあった。
ロゼッタはまさかと思う。視線を拳から外し、エドガーの顔を見ると。
エドガーは真剣な眼差しのまま、口元に笑みを浮かべた。
「俺も拳闘士だ」
そんなまさかと思うのだが、拳奴達と同じ拳ダコのあるエドガーの拳を見つめて、ロゼッタは黙り込んでしまうのであった。
*****
練習場にはリズムよくミットを打つ音が響いていた。
拳奴達にとってはもう見慣れた光景である。
黙々と練習を続ける俺とバンディーニのコンビ。
3日前に試合を終えて帰って来たばかりだと言うのに、俺がもういつも通りのメニューで練習を再開しているので、本当に拳闘馬鹿だなと皆呆れていた。
まあデビュー戦では、ほぼパンチを打たれることもなく相手を瞬殺したので、ダメージなんてあってないようなもの。
むしろ移動時間のほうが、俺にとっては身体を痛める苦行のように思えたくらいだ。
打ち終えて一息吐いていると、バンディーニがニヤニヤしながら俺を見ている。
うぜえな、なんだよこいつ? と思っていると、ミットを付けたままの手で後方を指した。
「なんだよ?」
「いやいや、君の帰りを首を長くして待っていたお姫様が、熱視線を送っているよ」
ああ、なるほどね。こいつ、からかってやがるんだな。
「行っておやりよ」
「うるせーな! ニヤニヤしながら言うんじゃねえ!」
そう言いながらも俺は、木の影から見つめているクイナの元へと向かった。
「よっ、久しぶりだなクイナ。てーかおまえ、あきこ姉ちゃんかよ」
「アキコネーチャ?」
こんなネタが通じるわけがないのだが、中々改心の突っ込みだったと俺は自分自身でめちゃめちゃウケていた。
「おめでとうロイム、勝ったんだってね」
「おうっ! 余裕だったぜ」
右腕で力こぶを作っておどけて見せる。
クイナは驚くくらい美人に成長していた。
サラサラの長い黒髪が風に揺れる。少し幼い顔立ちに見えるが、日本人特有の年齢の割に幼く見えると言うやつだ。日本人じゃないけど。
そして何より、女性を象徴する部分が、それはもう見事な破壊力に育っていた。
くそ、一体何オンスあるんだあれは! ムラムラしてきたじゃないか!
そんな感じで鼻の下を伸ばしていると、俺の視線に気が付いたのか、クイナは胸元を隠すように服を寄せた。
「ねえロイム、怪我とかはなかった? どこか痛めたりしてない?」
「大丈夫だよ、全然打たれてないし」
「心配だったのよ。拳闘の試合って、とても危険なんでしょ?」
「大丈夫だって、だから怪我しないように毎日練習してんだよ」
「でも……」
クイナは不安気に俺のことを見つめている。
練習場では、試合が決まると皆がピリピリしだす。
ロワードの一件以降も、試合中に命を落した拳闘士は、内外を問わず何人も居た。
ルールが変わり、その危険度が減ったとはいえ、やはり大怪我をして命を落す確率はいまだに高いものであることに変わりはないのである。
続く。