バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

47話 セコンドの思い

 ロワードとスネークの戦いは接近戦、パンチの応酬の様相を呈していた。
 ロワードの右が決まれば、スネークの右が入る。
 スネークの左フックが入れば、ロワードの右フックが返される。
 一進一退の攻防が、既に10分近く経過していた。

 ラウンド数からすれば約3ラウンド程の時間であるが、インターバルを挟まずの殴り合いである。
 スタミナ自慢の選手であっても、休みなく手を出し続けるのはかなり堪えるものであった。

「ロワード、踏ん張れ! 先に手の止まった方が負けだぞっ!」

 俺の声援に後ろのババア達も、最早反応はない。
 皆が闘技場の二人の戦いを、固唾を飲み見守っている。
 最早勝敗の行方は神のみぞ知るといったところだ。
 いつどちらが倒れてもおかしくない状況。ロワードもスネークも、精神力のみで拳を突き出し続けている。
 拳を覆う革ベルトが肉体を打ちつける音と二人の息づかいだけが、広いコロッセオの全体に響き渡るようにすら感じられた。

 そして遂に、お互いの手が止まる。ファイティングポーズを取ったまま睨み合いの状態になると、レフェリーが拳を出すように注意した。

「どうした二人とも! まだ決着はついていないぞ! 打ち合わないと二人とも失格になるぞ!」

 その言葉にロワードが前に出る。
 死力を振り絞り、丸くなるスネークのガードの上から左右の拳を叩きつけると、右のボディーブローが鳩尾に綺麗に決まった。

 スネークは腹を押さえながら膝をつく。
 もう限界の筈、スタミナも尽きかけて、呼吸が乱れている所にあのボディーブロー、息を整えることも難しい筈だ。
 もう、そのまま降参しちまえ!
 そう心の中で俺は叫ぶのだが、スネークは震える足で立ち上がると再び拳を構えた。

 負けられないのはスネークも一緒だ。
 ロワードが新人としてのデビュー戦を勝利で飾りたいのは当然のことだ。
 なにがなんでも勝ちに行く、そんな決意が滲み出るくらいのファイトを見せている。
 しかしそれは、スネークだってそうだ。
 スネークの戦績は4戦全勝だと言っていた。
 だとすればデビュー以来負けなしの期待の若手なのだ。
 これから連勝を重ねて行けば、セルスタのように英雄と呼ばれる日が来るかもしれない。
 そんな希望に溢れた未来を思い描くのは当然のことだ。
 それがこんなところで、デビュー戦の新人相手に躓くことなんて許されないだろう。

 ロワードの意地が勝つのか、スネークの意地が勝つのか。
 すごいファイトになったことは間違いない、ロワードのデビュー戦がこんな素晴らしいファイトになるなんて。
 俺は震える拳を強く握り込むと、ロワードに声援を送ろうとした時に、別の観客の怒号が会場に響き渡った。

「新人相手になにやってやがるんだっ! さっさと殴り殺せえっ!」

 声のした方へ振り返るが、誰が言ったのかはわからない。
 しかし、それを皮切りに、次第に観客達の歓声が罵声へと変わり始める。

「いつまで突っ立ってんだよ! 早く殴り合え!」

「俺はおまえに賭けたんだぞスネーク! 負けるくらいだったら死にやがれえっ!」

「殺せっ! 殺せっ!」

 俺は絶句した。
 観客達は二人の熱いファイトに、男の意地を乗せた拳のぶつかり合いに感動するどころか、いつまでも決着のつかない試合に退屈し始めていたのだ。
 そして、その退屈が過激な結末を望み始める。
 どちらでも構わないから対戦相手を殴り殺せと言い始めたのだ。

「ふ……ふざけんなよ……」

 俺はそう零すしかなかった。

 ロワードはここで勝負を決しようと、スネークとの距離を一気に詰めた。
 もうどちらも限界の筈だ。もう一度大きな一発を決めた方が間違いなく勝つ。

 スネークが気力を振り絞り左フックを打つ。
 それをロワードがダッキングで躱し、パンチを打とうと左足を踏み込んだところで体勢が崩れた。
 おそらく、地面の砂で足が滑ったのだろう。
 なんということのないスリップだった。
 だがその時、スネークの返しの右フックがロワードの側頭部(テンプル)に入った。

 本当についてないとしか言いようのない被弾である。
 直前の左は躱したんだ、そして打ち終わりの隙を突いて懐に入り、必殺のワン・ツーを決めることさえできれば、ロワードの勝ちだったのに。

 しかし、ロワードは倒れなかった。
 スネークの右フックをテンプルに喰らいながらもなんとか持ちこたえる。
 両腕で頭を覆い、その後のスネークのラッシュをなんとかガードする。
 このラッシュはそう長くは続かない、スネークのスタミナだってもう限界なんだ。
 もうすぐ止まる、手が止まったら反撃だ。

 しかし、ロワードのガードが弛み始める。
 ガードの隙間からスネークの右が入ると、ロワードはたたらを踏んでよろめいた。
 だが、倒れない、踏ん張る。
 体勢を崩しながらも右のパンチを返すのだが、酷く力のないものだった。

 スネークはここぞとばかりにロワードの顔面を滅多打ちにした。
 それでもロワードは倒れない。再びガードを固めて丸まっている。
 そこで俺は異変に気が付いた。
 ロワードの動きがおかしい、もしかしたらもうほとんど意識がないかもしれない。

 テンプルにフックを喰らった直後から、動きが緩慢になっていた。
 これは酷く危険な状態だ、一刻も早く試合を止めないと取り返しのつかない事態になりかねなかった。

「レフェリーっ! 危険だ! 試合を止めろっ! ロワードの意識がないぞっ!」

 しかし俺の声は、スネークの猛攻で再び火の点いた観客達の声に掻き消される。

「ロワードっ! もういい、もうそのまま……たお」

 倒れてしまえ。

 そう言おうとしたが俺は言えなかった。
 言えるわけがなかった。
 そのまま倒れて負けてしまえなどと、そんなことを言えるわけがないじゃないか!

 リングにタオルを投げ込むセコンド達の思いを俺はそこで初めて痛感する。
 ボクサーの戦いを止めるということが、これほどまでに苦しい決断であるということを初めて思い知ったのだ。

 そして、その時は来た。

 スネークが右ストレートを打とうとした瞬間だ。
 ロワードの、左ジャブがスネークの顔面を捉えると右ストレートが捻じ込まれる。

 スネークはゆっくり膝から崩れ落ちると意識を失い、そのままノックアウト。

 まさかのロワードの逆転勝利で、試合の幕は閉じられるのであった。


 続く。

しおり