29話 迷い猫オーバーキック
あっと言う間に一ヶ月が過ぎ、部屋対抗勝ち抜きトーナメントの日がやって来た。
勝ち抜きトーナメントとは言うものの、そもそも訓練生は16人しかいない。
一部屋に4人なので、四部屋しかないのだからトーナメンと言っても一回でも勝ったら決勝戦進出で、二回勝てば優勝だ。
試合のルールは簡単。
公式に行われている拳闘試合と一緒である。
違いは団体戦で、一対一の勝ち抜き戦だ。
勝ち抜き戦なら、俺が先方で一気に四人抜きしても構わないのだが、流石に8連戦はキツイと思う。
それに、試合に出る順番は既にバンディーニが決めてしまっていた。
「一番手はヤクだ。次にディック、ロワードの順番で、最後がロイムだ」
「えー、俺が一番かよぉ、やだなぁ」
ヤクが文句を言うのだが、バンディーニは譲らない。
ディックは相変わらずのほほんとしていて、順番には興味がなさそうだ。
大将が俺であることにロワードは少し不服そうだが、逆に闘志を燃やしているようにも見える。
これはたぶん、バンディーニの狙い通りだろう。
ロワードに向かって、ロイムに回さないつもりで行けと発破をかけていた。
今回の対抗戦は、言うなれば実力検定のようなものだと言ってもいいだろう。
公式の試合形式で行われる為に、全員が気合い満々といった様子だ。
マスタングも観覧に来ると言う話なので、ここで好成績を残してアピールできれば、拳闘士デビューもすぐそこまで来ていると言っても過言ではない。
練習場に訓練生全員が集められると、ピリピリとした空気が流れ始める。
普段は同じ場所で練習をしていると言っても、俺達雑草組は隅っこの方でバンディーニの指導を受けている為に、他の部屋の奴らとの交流はほとんどなかった。
まあはっきり言って、変な縄張り意識があるのか、他の部屋の奴らもそんなに仲良くはない。
何度か敵情視察に行ったことはあるけど、ことごとく追い払われてしまった為に、遠目にしか相手の実力は見たことがなかった。
しかし、はっきり言ってあいつら相手なら、雑草組は余裕の勝利をできると思っている。
ディックもヤクもそれなりの実力だし、ロワードは俺にとってもかなりの強敵だ。
訓練生に後れを取るなんてことはないだろう。
そんなことを思いながら、俺は教官達の説明を聞き流していた。
間もなくマスタングもやって来るので、失礼のないようにと注意を受けている所で、俺は尿意を我慢できなくなっていた。
「あ、あの! すいません!」
「なんだあ! ロイムうっ!」
手を上げると、教官のボンゴエが怒鳴る。
「しょんべんが漏れそうなんで、便所行っていいですか?」
「さっさと行って来いバカもん! いいか、マスタングさんが来るまでに戻って来るんだぞ!」
怒りながらも、ちゃんとトイレには行かせてくれるボンゴエは良い奴だと思った。
便所と言っても水洗ではないので、尿を入れる桶にしょんべんをドバドバと出しながら俺は震える。
「うぅぅぅ、あぶねぇぇぇ、マジで漏れるとこだったぜぇ」
それにしてもよく出るものだ。
今日は一際冷えるからな、しょんべんをすると体温が下がるので益々寒いぜ。
スッキリして便所から出てきて練習場に戻ろうとすると、通路の向こうに人影が見えた。
誰かが我慢できなくなって便所に来たのかな? と思う。
どうせ、ヤクだろう。あいつは緊張すると催す癖があるって言ってたしな。
そんなことを考えながら練習場の方へ向かうと、向こうから俺の方へ近づいてきた。
その姿を見て、俺は驚きのあまり立ち止まってしまう。
ブロンドの髪を編み上げた、碧眼の少女。
綺麗な刺繍の施された桜色のドレスを纏った少女だった。
なんで女の子がこんな所に居るのだろうと不思議に思っていると、なにやら不機嫌な様子で話しかけてきた。
「おいおまえ。ここら辺にあると聞いたんだけど?」
はい? いきなり初対面の人を相手におまえ呼ばわりとは、随分と口の利き方のなっていない女の子だね。
すぐに返事をしなかったのが気に入らなかったのか、女の子は俺のことを睨みつけると、いきなり脛を蹴りつけてきた。
「痛ってええええええええっ! な、なにすんだてめえ? 革靴の爪先でいきなり弁慶の泣き所を蹴りつけるとかありえねえっ!」
俺が涙目になり、脛を擦りながら片足でぴょんぴょん跳ねているのを、少女は相変わらず不機嫌そうに眺めている。
「いいから早く教えなさい! ここら辺にあるって聞いたんだ!」
「なにがだよぉ? いてぇよぉ、あぁぁ、皮が剥けて血が出てる」
酷い奴だ。華麗なフットワークがこれで使えなくなったらどうしてくれるんだ。
なにを言っているのかわからず女の子の方を見ると、なにやら赤い顔をしてモジモジしているように見えた。
あー、なるほど。
「おまえもしょんべん漏れそうなんだな。便所ならすぐそこだ」
言いながらニヤニヤして便所の方を指さした瞬間。
女の子はさっきとは反対の足を思いっきり蹴とばして怒声をあげる。
「最っ低っ! あんた覚えておきなさいよっ! パパに言いつけてやるんだから!」
そう言いながら足早に行ってしまった。
俺は両脛を押さえながらその場で転げ回り、なんで試合前にこんな目に遭わなくちゃいけないんだと涙するのであった。
続く。