策謀の夜―④―
3月21日 午後6:23 スプリングプレイス・ホテル
12階コンドミディアム棟
バラード
河上サキにとって、「
彼女は、ソファに腰を沈めながら考える。
勉強や現地の生活に触れる為に、エリザベスから貸し与えられた一室。
薄型の受像機、寝台、浴室は愚か、台所まである。
加えて居間も広く、来訪者と共にちょっとしたパーティや映画上映会も開ける程だ。
賃貸料金に加え、清掃料金も付く高価な物件である。
加えて高速wifiもあって、日本との交友関係が保てなくなる覚悟も、いい意味で挫かれた。
余りの充実さで、目に留まるもの全てが、“別世界”と言っても過言ではない。
しかし、彼女は気づいていた。
この国で、
彼女が目を覚ましたのは、一時間前のこと。
寝台の横に、エリーの執事のプレストンの連絡先が置いてあったので、知らせるとすぐに、顔なじみの給仕の女性が、サキを浴室に連れて行った。
給仕の用意した湯船に、サキは浸かり、寝疲れた体を生き返らせた。
程よい湯加減が節々を襲う重量と不快感を洗い流した後、洗髪料の匂いに包まれる。
湯上りの余韻を惜しみながら、サキはソファに背中を預けた。
袖を通したトレーナーとジャージから醸される柔軟剤の匂いが、何処か火照ったサキの気分も鎮めていく。
「服はこれね、サキ」
笑顔の女性が、幾つかの包みを携えてくる。恰幅の良い、褐色の女性の浮かべる人好きのする笑顔は、正に南国の太陽と言えた。
サキの部屋を担当する、アニカという名前の給仕人である。
東南アジアからの移民で、現在、大学を卒業して働いている娘がいることも聞いていた。
「女性の服に関しては、どれだけ
アニカの視線が、サキの衣服に注がれた。
彼女が纏っているのも、日本から持ってきたトレーナーと気づかされる。
洗濯に出そうと、他の衣服と一緒に、籠に放ったままだったのを思い出した。
アニカの言葉の意味が分かり始めると、
「本人の前でそれを言われると、反応に困りますね」
プレストンの声が聞こえる。
何時の間にか、彼はアニカの背後に立っていた。
プレストンは苦笑して、紅茶とポットの置かれた盆を、ソファに座るサキの前に置く。
ソファのテーブルで佇む軽食。
親友の執事の淹れてくれた生姜の
食欲を意識することなく、ツナと共に入っていたオリーブの匂いに、手が先に動いたことにサキは驚いた。
自分の行動が、人を心配させないため“
ロック=ハイロウズ。そう、象牙眼の女に呼ばれた名前の少年との交流によって。
だが、
そんな
漠然と感じているが、確かに
存在を人前で言語化するには、情報量が余りにも大きすぎた。
自分の中に蓄積される、“
だが、彼女の耳に入った扉の音で、情報量の奔流が止まる。
親友であるエリーの姿。
彼女の後に続く、ロックとブルース。
アニカは、サキと彼女の主人たちを見回し、笑顔だけを残して部屋から去る。
香草茶を飲んで、サキは昂る気持ちを抑える。
甘く、少し辛みの混じる生姜の味で覚醒させながら、目の前の友人であるエリーと二人の男性――ロックとブルース――が椅子を手にするのを見届けた。
サキの座るソファの隣に、エリー。
ロックとブルースは、彼女たちの座る向いに椅子を置いて、腰かけた。
三人のサキへ注ぐ視線は、荒立てないよう、機微の入った優しさに溢れている。
しかし、留学で期待と不安に満ちた世界からの別れが、
「サキ。体調がすぐれない中……叩き起こしてしまって、申し訳ない」
サキは、カナダ生活に力を尽くしてくれた親友の謝罪に、弱く頷いた。
言葉で、謝る必要がない。
そのことを伝えたいが、伝えられない。
エリーの眼の揺らぐ湖面の輝きが、サキにそれをさせなかった。
サキが親友の視線を捉えると、ロックの姿が目に入る。
部屋にいるのは、ロックとエリーの他に、苔色の外套を纏うブルースと老執事のプレストンだった。
もう一人の人物であるキャニスの姿を探したが、ロックの逡巡する目に遮られる。
彼の視線の意味を悟り、
「まず、私はお前に隠し事をしていた。そして、危険であることを承知で放置してきた。許されることではない。しかし、お前を日本にいる友人たちのところに帰す。それまでは、時間が惜しい」
エリザベスの言葉を聞いたサキは、彼女の一言を吟味するかのように頷いた。
「もしかして……サロメのこと?」
サキは返して、
「ロック……に対して、執着をしているようだった。でも、手を出そうとせず、私を捕らえた。ある時から眠らされていたから、全く分からないけど」
彼女の言葉に、エリーは首肯し、
「サロメのことから話そう。サキ、“ウィッカー・マン”は知っているな?」
エリーの言葉に、サキは関連する言葉を頭の中で並べてみた。
突如現れた機械生命体。
人間の銃火器が通じない。
対応できないので、世界の中の幾つかの町が閉鎖都市と化していることをオラクル語学学校で習っている。
頭の中で羅列していた言葉で、サキは、
「謎の機械生命体……」
「“
そう言われて、サキは気づいた。
「サロメが動かしている……」
グランヴィル・アイランドでの出来事。
殆ど”ウィッカー・マン”は、生理的だが機械的な要素――
サキの目の前で“ウィッカー・マン”が、死んだ子を装ったのも、最愛の人と装ったのも、
「非公開の情報だ。サロメは、ある組織に所属している。”ホステル”と名乗り、“ウィッカー・マン”を使ったテロを各地で引き起こしている。欧州で起きた“ワイルド・ハント”もそれだ。公開されればどうなるか……」
高校生のサキでも、容易に想像が出来た。
殆ど、生物と差異の無い動作を行う機械――ロボット――が兵器として扱われている。
表立って戦争が出来ない国際情勢ではあるが、兵器の目的は古今東西、共通していた。
防衛が出来、その為に、最低
更に、最悪な展開として考えられるのは、
「どの国家、武装組織、犯罪組織が“ホステル”と好きあっているのか、逆に探り合いが起きる。
ロックの言葉が、サキの考えを代弁してくれた。
カラスマの言う、“
対”ウィッカー・マン”陣営で秘密とされている技術を、敵対者に教えていることになる。
それを口実に、大国や軍需企業による技術力の没収と管理も行われるだろう。
「でも……ホステルは、どうしてテロを起こそうとしているの?」
サキの疑問に、エリーは顔を曇らせた。
「彼らの行動は、すべて解明されたわけではない。ただ、“ウィッカー・マン”を使って、人々から“魂”――“
サキが首を傾げると、
「人間の体には微弱だが、体内電気が流れている。
「エリー、じゃあ……“ホステル”は、どうしてそれを得ようとするの? テロを起こすなら、
ロックは、彼の示すサキへの眼差しに、口を歪めて
「サキ……ホステルは、リリスという存在を崇拝し、魂を集めて、復活させようとしている」
自分に斬りかかってくるロック。
それに対して、心の中で爆発する
「サキ、しっかりしろ!」
左肩に走る激痛が、サキを現実に押し戻す。目の前にいるのは、ロック。
彼の右手の五指が、彼女のか細い方に食い込んでいた。
手を離すと彼は、ぶっきらぼうに口を開く。
「俺たちは、二つの理由でカナダに来た。一つは、
最後の言葉は、溜めて放たれた。
力強い口調だが、ロックは何処かサキから視線を逸らしている。
ブルースの表情は、彼の顔を見て、沈痛さに引き締まっていた。
「守る……どういうこと?」
「サキ、お前はリリスに選ばれた。
ぶっきらぼうに、ロックはサキに答える。
だが、その理由は、サキにとって十分だった。
自分の中にあった力が、サロメが自分を狙う理由そのもの。
ロックが自分を目に掛ける理由は、そういったことだからか。
それとも、
サキは、エリーとロックとの会話を思い出しながら、
「二人の女の子の存在を感じることがあったの。大体、無視するようにしていたのだけど……最近、それが強くなって体が勝手に」
何回か
読書き、発音も出来ない言葉だが、脳に直接伝わると、サキは行動に移していた。
鋭い勘の様な物と考えていたが、七年前を機に起きていない。
だが、カナダのバンクーバーに来て、思わぬ形でそれが表れる。
“ウィッカー・マン”の動力として見える光。
二度目にロックと会った時の、語学学校。
ロックがミキを吹っ飛ばす前に、サキが肥満腹の女性に刻んだ足跡を思い出す。
“ウィッカー・マン”に襲われても少しの間、装甲は耐えられる。が、
「
ロックが、サキの吐露に淡々と答える。
「
聞かされた内容と、自分の含めた戸惑いの色の両方に、サキは驚いていると、
「大丈夫。
ブルースが、割って入る。
「パソコンでよく使うプログラムは起動が速くて、そうじゃないのは起動に時間が掛かるだろ? そんな訓練の仕方なんて、分かる訳がないから、鍛えようがないし何時、力を出していいかも分からない」
ブルースの説明で、サキは理解した。
同時に、
「安心しろ。お前はその方法を学ぶ。俺らと同じ様に、使い方を学ぶ。ただ、今回の事件で体が悲鳴を上げているってことだ。普通の
サキの目の前で、ロックが笑顔を作る。
彼の笑顔の奥から来る眼光。
サキがその正体を探っていると、電子音が居間に鳴り響いた。
ブルースの携帯通話端末が発信源だと分かると、苔色の外套を翻らせながら、部屋の入口に移動。
「ロックの言うとおりだ。ただ、お前がそれを学べるようにする準備が必要だ。ただ、今は“ホステル”が狙っている。だから、念を入れて学校には欠席の連絡をしておいた」
エリーがサキに話しかけると、ブルースがやってくる。
エリー、ロックの順に耳打ちして
「ロック、暫くここにいろ。ブルースと話してくる。プレストン……ロックが何かしたら」
「大丈夫です。私の関節技なら、事に及ぶ前に止められます」
ぞんざいに言って、ロックは周囲を睨みつけた。
だが、彼から殺意はない。何時もの冗句なのだろう。
そうやって、“
ロックがブルースから耳打ちされた時、サキへ一瞬向けた眼差し。
彼の眼に伏せられた眼光の
彼との出会いに見せた、繊細さの正体であることを知り、サキの中に疼痛が訪れた。