策謀の夜―②―
3月21日 午後3:35
ホテル ウェイブ・スウィーパー 大会議室
カナダ・プレース・ウェイ
そのホテルの名前は、ケルト神話の光の神、”長腕のルー”の持つ船から付けられた。
波は愚か、音も立てない“
だが、ロックの目の前では、名づけ親の思いから余りにもかけ離れた光景が広がっている。
彼の遠目に映る、大会議室の約三分の二を占める、一つの大きな長机。
机を囲む、背もたれ付きの椅子に坐する人々の眼は、ただ一点に集中していた。
三次元投影機で流される、グランヴィル・アイランドの風景。
ただし、初めに
本来、週末は一層、人込みで賑やかとなる筈のパブリック・マーケット。
人混みのいるべき位置には、
乳飲み子だった炭を抱きながら泣いている親。
その逆もまた、多かった。
ロックは、長机に座るナオトに目を向ける。
長髪の銀騎士は、目を逸らさず、投影機に映る惨劇を直視していた。
しかし、整った顔は、義憤を隠し切れず、体の震えとして表れている。
ロックは、ナオトの怒りの源泉を理解していた。
“
「今回の惨劇は、“ブライトン・ロック社”との同盟関係が招いたものと見ていいでしょう!」
投影機を映す為に、薄暗くした部屋で声を上げたのは、カイル=ウィリアムス。
刈り上げた金髪の傭兵は声と共に、東洋系の銀騎士へ視線の矛槍を向けた。
長机に座る者たちは、“ワールド・シェパード社”の関係者に限られない。
バンクーバー市政府、
今回の会議は、グランヴィル・アイランドでの大惨事の結果と、“ウィッカー・マン”の市街地の侵入を緊急の議題として、開催された。
“ウィッカー・マン”に関係する騒動で、“壁”の安全性が揺らぐ事態にバンクーバー市の利益共有者たちが、腰を上げた次第である。
治安維持に関する問題は、基本的に、警察や軍の施設で行われる。
しかし、”壁”の向こう側に警察本部があり、その奪還も困難である為、ホテルの会議室が使われていた。
無論、予算は”ワールド・シェパード社”、市・州両政府から出ている。
バンクーバー市は、この結果、TPTP加盟国の企業のMICEによる利益と広告効果を得ることになるが、誰もがこの状況を甘受している訳ではない。
警察は、この状況下で銃火器が悪用されることを恐れ、武器の回収を機密理に行ったことがある。
無論、“ワールド・シェパード社”に依頼して。
ただ、この時に
現在のバンクーバー市警の装備で回収できなかった分は、他の州、政府に
同時に、“ウィッカー・マン”に太刀打ち出来る組織として、“ワールド・シェパード社”の地位も上がり、活動に協賛する外資の影響力も、相対的に強くなった。
“ウィッカー・マン”対策の会議の主導権は、地元の行政機関と治安維持機関からTPTP提携国、その関連企業に譲渡する羽目になる。
差し詰め、警察は、バンクーバー市警全体が、“ウェイヴ・スウィーパー”支所に”
カイル=ウィリアムスが投影された画面の光を受け、大きな影を揺らして吼えた。
「そして。それを強固に叫ぶハシモト専務によるものとして!」
カイルの糾弾に、ナオトが起立。
「ロック、止めろ」
ふとブルースの声が、掛かると同時に、ロックの右肩に力を感じる。気づけば、左足を一歩出していた。
「ここで出たら、俺たちもお陀仏だ」
ブルースの一言に諭され、彼は推移を見つめる。
グランヴィル・アイランドでのサロメ、サキから現れた二体の
“リア・ファイル”が損傷を回復していた所為か、目覚めた後の高熱にうなされたが、今朝には引いていた。
しかし、傷の回復度合いの変化が激しかったのは、ロックの隣で、壁に凭れ掛かっているブルースの方だった。
ロックから熱が引くや否や、同じく寝込んでいたブルースも回復に向かう。極めつけは、ライラとヴァージニアとの激戦で負った傷で、
血液などの生体標本を、ロックとブルースは提供し、専門機関による検査の結果待ちである。
ロック達を手負いにした、当のサキは今も眠り続けていた。
ロックも、初めて
「カイル隊員。“ウィッカー・マン”対策においては、我々はやっと一歩踏み出せる状態となりました。それは、“ブライトン・ロック社”との協力関係なくして、成しえるものではありませんでした。バンクーバーのインフラも、彼女たちの尽力無くして――」
「協力……背信関係の間違いでしょう、これをご覧ください」
カイルの促す先に、映像が流れる。
場面は、グランヴィル・アイランドの船着き場である。
そこに映るのは、グランヴィル・アイランド内に設置されたバンクェット。それよりも、
ロックが巨大な女神像を壊した瞬間、光が走る。
バンクェット像の中にいた、サキ。ライラとヴァージニアという、
「あなたは、サキ=カワカミに何かがあることを知っていた。それを知りながら、今回の留学を受け入れた。違いますか?」
ナオトの表情が、強張る。
その経緯は、半ばロックたちも関わっているので、反論が出来なかった。
「それだけでは、ありません! これは、サキ=カワカミの射撃訓練です」
カイルは更に、次の映像を出した。
映像は、物陰に隠れた“ウィッカー・マン”を避けるための訓練である。
“ウィッカー・マン”ではなく、それっぽい四足歩行のロボットを使い、訓練生に構えさせるというものである。
映像で、サキは壁に差し掛かった後に、背後を向けた。
彼女が、偽“ウィッカー・マン”に銃口を突きつけた場面で終わると、他の訓練生の反応が映し出される。
何れも、左右だけでなく前後、上からもロボットを出した後、反応できずに突き飛ばされる。或いは、乗りかかられた。
「我々が戦うのは、人間の理解を超えた何かです。それに対しての訓練として、人間の反応時間の限界を超えるよう、訓練ロボットのAIの深層学習は調整を受けました。彼女はそれに対して、迅速に反応できた。先ほどの映像を見れば明らかでしょう!?」
「それは、言いがかりです!!」
眉目秀麗なナオトの顔に、怒りが灯される。
「我々の訓練内容やマニュアルは、まだ改定もされていません。深層学習のデータの見直しも行われていない。加えて、深層学習に基づいた訓練内容の客観的評価――数値の分布も偏りが大きく、正規分布すらできていません。我々のマニュアルの改定の遅れと、訓練の不備を、彼女に押し付けないで貰いたい!!」
ナオトが吼えた。
“ウィッカー・マン”から守るための人員の確保で、アメリカ本社にいる隊員を無暗に呼びつけるわけには行かない。
警察や軍隊に提供できる情報ばかりか、訓練できる人員も限られている。
訓練結果や内容を増減するにしても、分析結果が少なすぎる。しかも、人員は、原則、現地調達か
サキの場合、その試験は日本国内で行われた、筆記と実技の統一試験によるものである。だが、偏差値で判断出来る程、回数は行われていない。
現地で雇った人材に関しても、基本的に――教授する側の人員不足の状況も鑑みて――語学と実技訓練は、雇った後の実地訓練に頼らざるを得なかった。
加えて、業務内容故に、昼夜不定期となりがちである。
志願者は、生活困窮者、女性の単身親世帯に加え、帰化したものの
同時に
加えて、作業標準書に記載されている訓練内容は、対症療法的な是正がやっとで、予防と改善、検証までの過程の承認も追い付かない現状だった。
しかし、カイルは、酷薄な笑みを浮かべる。
「マニュアルの改定は滞り、訓練の有効性も疑問もある。認めましょう。しかし、そう想定外を何度も持ち込まれては困りますね」
短く髪を、切りそろえた傭兵が、反撃と言わんばかりに次の動画を投影。
『みんな、このままでは倒せないわ。せめて、一撃で行動不能にするのよ。“クァトロ”は左胸部、”ガンビー”は胴体の中心を狙って!!』
投影幕に映る場面に、ロックの背筋が凍る。
サキが“ワールド・シェパード社”の面々に弱点を教えている場面だった。
動画は、地上ではなく、サキを見下ろす形で撮られている。
――ドローンでも飛ばしてやがったか!?
壁の向こう側へ、“ワールド・シェパード社”は“ウィッカー・マン”の活動を抑制する為のEMPドローンを送っている。
自爆用のドローンの他に、自分たちの戦闘状態を撮影出来る、
「何故、サキ=カワカミは知っていたのでしょうか? いや……この動画の前も見てもらいましょう」
カイルによる次の動画で、シーモア
『それもそうね。弱点くらいガブリエルに聞いても罰は当たらないんじゃない?』
キャニスの愚痴と動画が、流れた。
映像は、キャニスの路地に立つ姿を捉えていたことから、現場の隊員からだろうか。
市、州関係者に加え、加盟国家の関係者のいる暗がりから、騒めきが流れ始める。
しかも、続けて放映されたのは、
『馬鹿野郎、そいつは”ウィッカー・マン”だ!!』
救急隊員が担架に乗せていた日本人――ケンジ――を巡って、もみ合いを起こしていたグランヴィル・アイランドの一場面だ。
「そもそも、カワカミ隊員にしか見えないものが、そこの
その視線が全て、ナオト=ハシモトだけでなく、その背後にいるロック、ブルース、エリザベスにも注がれる。
「これでは、我々は何の為の協力関係か、分かりません。私たちの
カイルの言葉に、ロックは渋面を作った。
四年前の”ウィッカー・マン”占拠に対処する為に、バンクーバーでは警察や軍隊が投入された。
しかし、
政府の要請を受けて、“ブライトン・ロック社”の
どちらも犠牲が出たことには変わりない。
しかし、サキに関しての事情は、単純に損得で片付けられる問題ではなかった。
下手をすれば、先の
そのことを考えて、サキのことは機密にするしかなかったのだ。
「お待ちください」
疑惑を追及する沈黙の刃を切り裂いたのは、女性の声だった。
「しかし、彼らは私たちバンクーバー市民の為に戦いました。もし、“ウィッカー・マン”と協力関係にあったなら、私たちをその場で殺すことも出来たのでは?」
異議の声は、オラクル語学学校の校長、自然の沼の様な黒髪を持つカラスマからである。
「そもそも、“ウィッカー・マン”に損得勘定は愚か利他主義を理解できているかもわかりません。カイル隊員の言うのは、何れかを理解できている前提では?」
ロックは、カラスマの言っていることを理解している。
カイルの糾弾は、ロックとサキの奇行の意図を“ウィッカー・マン”が、汲めている前提だ。
それなら、わざわざ倒さなくても、目の前で大袈裟に振舞って、一体も傷つけずに追っ払えばいいだけの話である。
二人と“ウィッカー・マン”の関係が明らかでない内は、カイルの言い掛かりでしかない。
仮に事実とした場合でも、検証を行う慎重さを要する。
現時点では、ロックとサキへの疑いは、カイルの疑心暗鬼の内でしかなかった。
だが、ロックは
彼の横にいるブルースとエリザベスも、歓迎から程遠い態度だ。
ロックは、隣のブルースとエリザベスと共に眼光を研ぎ澄ましながら、カイルとは違うカラスマからの
「我らは
彼女の言葉に、沈黙させられる黒い権威の人波が“
打ちひしめく波の中心のカラスマ。
ロックの隣のエリザベスが、微かにカラスマの紡ぐ口の動きを、合わせ始める。彼女が思案に入る時の癖だった。
カラスマの沼の様な目から紡がれた言葉に、ロックは
「“ブライトン・ロック社”の皆さん。この様な状態で我々は“ウィッカー・マン”を倒すことはできないのは事実。貴女方とも、穏便な関係を続けていくために、乗り越えるべきものがあると思います――つまり、“ウィッカー・マン”と協力関係にない“