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【追記】

 見てくれている人は、きちんと見てくれている。ルシアはそう教えてくれたが、本当にその通りだった。彼女がいなくなってから九ヶ月目を過ぎて少ししたころ、俺は部長に呼び出されて昇進の内示を受けた。結構な躍進の出世話だったのだが条件付きで、最低一年から最大でも数年ほど出向して欲しいとのことだった。何でも、俺に支社立ち上げのメンバーになって欲しいのだとか。
 俺を評価してくれているからこその内示だったので、とても嬉しいことではあった。だが、俺は最初、降格やクビを覚悟で断ろうと思っていた。あの部屋から離れてしまっては、もう二度とルシアに会えない気がしたからだ。でも昇進して給料が上がれば〈競馬場事件再び〉を回避して、俺の稼ぎだけで不自由なく二人で暮らしていけるのも事実だった。そのことについてそれとなく|大島《おおじま》に相談すると、「だったら、私が代わりにあの部屋に住みましょう」ということになった。

 大島がいないときにルシアが帰ってきたとして、ひと目見て〈タクローの部屋じゃない!〉とならぬよう、大島にはほぼ〈俺の部屋〉そのままで住んでもらうことになった。なのでルシアが使っていたもの一式も全て大島に託し、スーツケースに収まる程度の身の回りのものだけ持って赴任先の小さなアパートに引っ越すという算段だった。――ルシアと出会った部屋は、ワンルームであるにもかかわらずリビング部分だけで十畳以上もあった。しかし〈いわくつき訳あり物件〉ということで、驚くほどの破格値だった。同じ価格帯で探すとどうしても〈ミニ冷蔵庫・ミニコンロつきで、洗濯はコインランドリー。広さはキッチン部分込みで五畳以下〉というような狭苦しいワンルームが関の山だったため、そもそもが全ての荷物を運ぶということ自体が無理であったというのもあるのだが。
 
 ルシアが帰ってきた日は、ちょうど俺と大島の引っ越しの日でもあった。大島は「新天地の新居で、新妻とさっそく新婚生活スタートですか。〈新〉づくしでいいですね」と囃し立ててきたが、部屋の事情もありそうもいかない。その日はとりあえず荷物持たずに身ひとつで俺と一緒に出向先の土地へとルシアも帰ったが、さすがにこの狭さで二人暮らしは無理となって、結局彼女はしばらく〈元・俺の部屋〉で大島と暮らすこととなった。
 大島と生活している間、ルシアはイシークさんと大島の三人でオフ会をしていた。しかもかなり気が合って盛り上がったらしく、週イチでしていた。ちなみに、俺は不参加だ。じゃあ俺は休日に何をしていたかというと、物件探しに終始していた。何度もあっちとこっちを行ったり来たりさせるのもと思い、新たな物件は俺が先に一人で探して、候補をいくつかに絞ってから二人で見て回ろうと決めていたからだ。つまり、俺がせっせと情報収集に励んでいた間、ルシアは女三人でお楽しみでしたというわけである。――くっ……。悲しくなんか、ないんだからッ……!

 そんなこんなで、ルシアが帰ってきてから約一ヶ月して、俺はようやく異世界妻とのイチャラブ新婚ライフを始めることができた。――異世界妻ですよ、異世界妻! みなさま、ご待望の異世界妻ですよ!!

 ルシアの帰還が遅くなったのには、きちんとした理由があった。あちらの世界でハンドブレンダーを動かすには相当の魔力量が必要だったというのと、「私の英雄はタクローだけでいい」との思いから、ルシアは〈俺のハンドブレンダー〉を他の誰かしらに触らせたくなかったそうだ。だからルシア自身が勇者となり、精鋭揃いの猛者とともに世界を平和に導いてきたらしい。そんなことしてりゃあ体のここそこに傷もできるだろうし、筋肉質にもなるだろう。そしてきっと、習っていた空手が少しでも役に立ったに違いない。――しかしながら、そんなに愛していただけて嬉しいことこの上ないんだが、何モノかの血でドス黒く変色し、さらには怪しげなオーラまで発するようになった〈もはや調理には使えないハンドブレンダー〉をご返却いただいてもですね。ちょっと、取り扱いに困るといいますかね。いっそ〈でんせつのぶき〉として神殿にでもご奉納したら良かったんじゃあないですかね……。

 というわけで、俺はいろんな意味で逞しくなって帰ってきた愛しい妻が食器を洗うのを眺めながら、食後のカフェオレを堪能していた。すると、スマホがピロンと音を立てた。ちらりとだけ見てみたら大島からのチャットだったので、俺はあとでゆっくり返そうと思いスマホを放置した。しかし、スマホはピロンピロンと音を鳴らし続けた。ピロピロ、ピロピロ。ピロピロピロピロ……。


「だあ、もう、うっせえな! 何だよ、一体!」

「何か、緊急の用なんじゃあないの?」

「だったらチャットじゃなくて電話してくるだろ。何なんだよ、本当に!」


 俺はイライラしながらスマホを確認した。しかし大量のスタンプが送りつけられていて、何を伝えたいのかがいまいち分からなかった。しかも、見ている間にもどんどんとスタンプが送りつけられてくるではないか。――落ち着けよ。何なんだよ。怒涛のスタンプ嵐だけじゃあ分かんねえよ、マジで。
 憮然と画面を睨みつけながら俺はカフェオレを煽り、スマホを持っているほうの親指をついついと動かしてタイムラインを最新のところまで持っていった。そしてちょうど最新にたどり着いたのと同時に送られてきた画像を見て動揺し、マグカップを落っことして盛大にカフェオレをぶちまけた。


「いやだ、タクロー、大丈夫? どうかしたの?」


 布巾を持ってキッチンから慌てて飛んできたルシアにスマホを見せてやると、ルシアも布巾をボトリと落として呆然とした。


「まさか、嘘でしょう……?」

「すごいな……。さすがは〈いわくつきの、訳あり物件〉なだけあるわ……」


 大島から送られてきた画像は、自撮り写真だった。そこに写っていたのは興奮した面持ちの大島と、大島に無理やり抱き寄せられて不服そうにしている〈銀髪に褐色肌、紫の瞳が美しい尖り耳の少年〉だった。




*** 次週、〈|♂《おさ》なエルフ保護観察日記〉 始まりません! ***

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