記録2 とりあえず、踏み台を明日にでも買ってくると約束した
「ありがとう、タクロー。助かりました」
俺は驚きのあまり、言葉を失っていた。何故なら、先ほどまで態度のデカい幼女がいたところに、麗しのエルフのお姉様がいらっしゃるからだ。そして、俺は目ざとく気付いてしまった。――この人、ノーブラだ!
とても簡素で生地の薄いワンピースだから、余計に胸元がこう、ツンとしているのが分かる。思わず、俺は吸い寄せられるよにそのツンとしたものを見つめた。すると、彼女は俺がどこに気を取られているのかに気づいたようで、みるみるうちに顔を真っ赤にし、そして怒りで声を荒らげさせた。
「どこを見ているの! 汚らわしい!」
「汚ッ!? 汚らわしいって、あんまりだろ! そんな目に毒な格好をしている君が悪いんだろう!?」
「私は、儀式の時は衣服も装飾品も極力身に着けないようにしているのよ! つまりこれは、神事を執り行う際の神聖な姿なの! それを〈目に毒〉だなんて――」
怒りに怒る彼女は、勢い良く捲し立てていた。しかし、ボンッという音が彼女の言葉を遮った。そして、どこからともなく発生した煙に彼女は包まれた。煙が立ち消えると、彼女は麗しのお姉様から幼女に戻っていた。
俺も彼女も、今起こったことにギョッと目を剥いた。彼女は幼女姿に戻ったことが大層ショックだったらしく、愕然とした表情の顔を青ざめさせた。
「折角元の姿に戻れたのに! これでは元の世界に帰れないわ!」
絶叫する彼女の口を〈ご近所迷惑だから〉と塞ぎつつ、再びギャン泣きしそうなのを宥めると、俺はアレコレと質問をした。〈儀式〉とか〈元の姿〉とか〈元の世界〉とか、その|文言《ワード》だけでも十分に〈勇者様、よくお越しくださいました。どうか、助けてください〉なアレが想像出来たからだ。
「とりあえず……この〈おうどん様〉を食べきってからでいいかしら……」
彼女は鼻をグズグズと鳴らしながら、もう少しで完食の肉うどんを切なそうに見つめていた。
彼女はうどんを食べ終えると、しょんぼりとうなだれながらポツポツと話し始めた。
彼女は名前を〈ルシア〉というそうだ。彼女の能力は生まれながらに高く、いつか世界が危機に瀕した時に光をもたらす者になるだろうということで、その名が付けられたのだとか。そしてその予想通り、彼女は群を抜いて優秀な神官となり、世界の危機を救うべく儀式を行おうとしていたらしい。
「でもその途中で、神殿が魔王軍の攻撃を受けてしまったみたいで。気がつけばここで倒れていて、あなたに起こされたというわけ。しかも何故か子供の姿になっているし。おかげで、魔法は使えるみたいですけど、〈門〉を開くほどの力はないみたい。だから一刻も早く、元の姿に戻らないと――」
俺は心の底から歓喜した。俺の読み通り、彼女はきっと、こちらとあちらの世界を繋ぐ〈門〉を喚び出して、世界を救う勇者を召喚しようとしていたのだ。そして〈門〉が繋いだ先であるこの部屋に住まう俺こそ、その勇者なのだ。――こんにちは、チーレム人生! こんにちは、素晴らしい〈第二の人生〉!!
俺はガッツポーズをとりながら、心の中で「イエスッ!」と叫びまくった。するとルシアが不思議そうに首を傾げさせ、一転して深刻な表情を浮かべて口を開いた。
「ねえ、ところで。タクローに尋ねたいことがあるんですけれど」
「はい、何でもどうぞ!?」
「……何なの、そのべらぼうに高いテンションは」
「いえ、何でも!? それで、尋ねたいことって何でしょうかねえ!?」
俺は意気揚々と胸を張って、彼女の言葉を待った。すると彼女はゴクリと生唾を飲み下し、真剣な面持ちでゆっくりと言った。
「あなたは知っている? 聖剣クインディネイトを……」
俺は思わず、間抜けな調子で「は?」と返してしまった。すると、彼女は再び話し始めた。
「〈門〉の先に、あると言い伝えられていたのよ。聖剣クインディネイトが……。だからきっと、この部屋のどこかに眠っていると思うんですけれど」
「は? 勇者をお招きすべく儀式をしていたんではなくて?」
俺がそう尋ねると、彼女は心なしか怪訝な表情を浮かべた。俺は狼狽《うろた》えながらも〈この部屋の住人は、どうやらたびたび異世界に転移しては世界を救っているらしい〉ということを説明した。だからきっと、俺を迎えに来たのではないかと思ったと。
すると、彼女は小馬鹿にするように鼻を鳴らして笑った。
「いや、あなた、あの魔力量で勇者になれるとでも思ったの?」
「は……?」
「さっき、私、あなたと唇を合わせたでしょう? あれね、こちらの世界の言葉を習得すべく〈あなたの情報〉を頂いたのよ」
どうやらあのねっとりとしたディープキスは、〈俺の情報〉とやらを抜き出すべく、俺の中に眠る魔力を|頂く《・・》ために行ったらしい。だから俺は何かが抜け出たような感覚を覚えて、少々疲れたのだとか。――|頂く《・・》って、物理的にかよ。もちもちと美味しそうに食べやがって。
「まあ、とにかく、あなたの魔力量では到底魔王軍とは戦えないわよ」
「いやでも、ステータス盛々とかスキル大量とか、そういうの、ありますでしょ?」
俺は負け惜しみのように、そして縋り付くようにそう尋ねた。すると彼女はしかめっ面で「何それ」と小さく呟いた。――さよなら、俺の輝かしい異世界ライフ!
しかし、諦めるのはまだ早い。その根拠は、聖剣だ。異世界のヤツらが、俺以上にアレを扱えるとは到底思えない。聖剣を扱えなければ、勇者だってただの人。逆を言えば、聖剣を扱えし者こそ勇者なのだ。
俺は早速ルシアにそのことを伝え、勇者への第一歩を掴み取ろうとした。しかし、俺は何も話せず仕舞いだった。何故なら――
「どうしたんだよ、そんなにもじもじとして」
「あの……お、お手洗いは……」
この後、俺とルシアは阿鼻叫喚の大パニックに陥った。
「嫌よ、そんな! 侍女ならともかく、さっき会ったばかりの男に手伝われるだなんて!」
「そう言ったって、君、この便座の高さは無理だろう!? ほら、諦めて! パンツ脱いで! 俺が抱っこして、便座に座らせてあげるから!」
「……ない」
「は?」
「……穿いてない! さっき言ったでしょう!? 儀式の時は極力何も身に着けないって! ――あっ、やだ! 何を想像しているのよ! さっき元の姿に戻った時のような、汚らわしい表情を浮かべて! ――もう、だから嫌なのよ、男にこんなことを手伝わせるだなんて!」
「いや、ごめん! ごめんって!! でも、とにかく、君一人じゃあ無理だろう! ほら、抱っこするから! 脚広げて! じゃないと穴に落ちるよ!?」
「嫌ああああああああッ! もうヤダああああああああッ!」
「ここでギャン泣き始めるなよ、ワイドショーおばはんが喜び勇んで来ちゃうだろうが!」
「何よそれええええええええッ! あああああああああああッ!」
ギャンギャン泣き、暴れまくる彼女を無理やり便座に座らせると、俺はとっととお手洗いから退散した。しばらくして、ドス黒い恨みつらみを抱えているというかのような酷い面構えのルシアがお手洗いから出てきた。彼女は俺を精一杯睨みつけながら、ブチブチと呪言のように文句を垂れた。
「今度私にあのような屈辱を与えたら、その時は覚悟しなさいよ……ッ!」
「いや、俺、今回ばかりは悪くないだろう!? ていうか、〈今度〉って!?」
「元の姿に戻らなければ、帰れないんですもの! ここに居る他ないでしょう!?」
こうして俺は、幼女なエルフを保護することとなった。そして俺は〈俺を勇者と認めさせて、素晴らしい異世界ライフを手に入れよう〉と思うよりも先に、踏み台を用意してあげなければとぼんやり思ったのだった。