③
ロイズに機密事項を聞いた直後、エリーは少し打った腰をさすりながら商業ギルドを後にした。
だが、このまま拠点にしている家に帰るわけではなく、ようやくスバル達に報告出来るのでパン屋に向かう。
その前に、目と鼻の先の距離でも伝書蝶を使う事に。
『巡り巡り、彼のもとへと飛べ』
冒険者が主に使う、ぶどう酒のような赤い色の蝶はエリーが告げるとすぐに飛んでいく。
そして、エリー自身は気を落ち着かせるためにもとゆっくり歩き出した。
(…………どっちも普通の人じゃないとは思ってたけど)
普通どころで済む話ではない。
ロイズが言ったように、世界をまたいできた時の旅人とも呼ばれる存在と、世界を創造した神々の配下とも言われる大精霊。
そんな二人が、僻地とまでは言わないが王都よりだいぶ離れてるこんな田舎街に居ていいのだろうか。
その事実を知るのが、二人のギルドマスターと、スバルの師である錬金師のみ。
街でもそれなりに地位の高い彼らが何故隠したまま、しかもごく普通の生活をさせているのか、真実を知った時にエリーは分からなかった。
だが、あの二人を思えば、王都には連れていけない。
(スバルはパン作り以外ぽややんとしてるし……ラティストの方も興味の向く方向が極端だし)
そんな二人が王都に行っても、追い出されはせずとも今のようにのんびりとした生活は出来ないだろう。
加えて、咲き狐まで家族になったのならなおのこと店からは離れられない。
「さて、着いたわ」
この前はイレインに連れられるまでは、終始逃げ腰状態でちっとも足が動かなかったが。
今日は、ほんのちょっと歩いただけであっさりと。気分も無理せずに、すがすがしいままやって来れた。
時間帯を選んだわけではないが、特に行列もなく店の中は主婦層の客が数人いるだけ。
込み入った話もあるし、少し外で待ってておこうかと思ったその時。振り返る直前に、扉が開いた。
「…………………………………………遅い」
「は……はい」
出てきた人物の気迫に押され、思わず返事をしてしまった。
闇夜に溶け込みそうな長い黒髪に、鋭い深紅の瞳。
美の結晶が集まったかのような風貌は、何故かとても不機嫌でエリーに対して怒ってるようにも見えた。
「…………報せは、聞いた。だが、事前に俺達に伝える事も出来たはずだが?」
「ご、ごめん……なさい。少し、驚かそうと思って」
「充分驚かされたが、連絡くらい寄越せ。…………これから仕事をする間柄になるならな」
「……そう、ね」
世界を創った神の僕でも、今はヒトと変わりないらしい。
そう思えば、秘密は守るにしろ、きちんと向き合わねば。
彼が言ってくれたように、これから共に仕事をしていく仲間になるのだから。
「またあの部屋で待ってていいのかしら?」
「あとで、裏口の経路とかも教える。ひとまずは応接室にいろ。スバルが食べてほしいものがあると言っていた」
「ポーションパンを……そんなほいほいタダでいいの?」
「別に構わないそうだ。それと、
「常連多いじゃない」
「いるにはいるが、皆美味いとしか言わんのでな」
「なるほど」
確かにどれも美味に違いないが、エリーのように意見を言ってきた輩はいなかったらしい。
冒険者ギルドのマスターであるルゥはともかく、ロイズは休職中であるから自分の役職を意識している。
あと、これまた時の渡航者の一人であるヴィンクスも、懐かしい故郷の味に囚われ、商品側の意見はあくまで効果の値について。
エリーのように、実家のお陰でそこそこの美食を網羅してきた者の意見はあまりなかったようだ。そこは、
ひとまず中に入ると、会計机の所で主婦らと語らっているスバルが目に入った。
一瞬だけ視線が合うと、彼は微笑んでくれて、また主婦達の輪に戻った。
(…………び、びっくり、したっ)
ただの挨拶がわりとはわかっていたが、ああも綺麗な微笑みを向けられると落ち着かない気分になる。
彼の何倍も美しい先輩冒険者や貴族にも会ったことだってあるのに、どうも落ち着かない。
時の渡航者だからかと思いかけるが、転移ではなく転生してきたヴィンクスと比較すると間違いだと思う。
「鍵は空いている。先に行っていろ」
「あ、うん」
ラティストに言われ、立ち止まっててはいけないと思い直して奥に足を向けた。
黒い扉にはたしかに鍵もかかってなくて、簡単に開いた。
中に入ろうと大きく引くと、薄茶の塊が飛び出してきたが。
「キュ!」
「わっ!…………えと、サクラ?」
「キュ」
出てきたのは、クレイアの花を首回りに咲かせている咲き狐。
たしか、スバル達が呼んでいた名のようなモノを口にすれば、そのまま腕にしがみついてたサクラは頷くように首を縦に振った。
あまり咲き狐との面識はないが、ヒトの言葉を理解すると言う情報は本当のようだ。
「お前も、ここで待つように言われたの?」
「キュ」
開けたままの扉を振り返っても、主人らしいラティストの姿はない。
この前は、スバルはこの部屋でお茶を淹れてくれたが、食べてもらいたいと言ってたのを取りに行ったのか。
とりあえず、立っててもなんだろうと、サクラをしっかり抱えてから扉を閉め、この間ぶりのソファに腰掛けた。
「このソファ、下手すると国宝級よね……」
理由の一つに、大精霊が使用済みと言うのもある。
国造りにも関わったとされる大精霊ともなれば、使用済みのフォークですら競売にかけると金貨を万枚積んでも足りない。
まだ彼らには直接口にしてないが、エリーは彼らの秘密を共有する一人に加わった。
話だけでも奇跡に近いのに、この前も含めてただの一般人の状態。
野放しにも出来ないが、職人なスバルを思うとこの方がいい。そのロイズの考えには、エリーも真実を知った後でも賛成だと思った。
「……それに、今日は何を食べさせてくれるんだろう」
契約
今日は、一度実家に報告も兼ねて買いにも来たのだが、出てくるパンも非常に楽しみ。
「お待たせ、エリーちゃん」
うふふ、と声が出そうになったところで、何故かラティストではなくスバルが入ってきた。
思わず、サクラを強く抱きしめそうになってしまったが、彼はエリーの様子に気づきもせず布をかぶせた皿を持って入って来た。
「聞いたよ? うちの専属
「お…………驚かそうと、思って」
「うん。すっごくびっくりしたよ。エリーちゃんの蝶が来る前に、ロイズさんからも来たんで安心してたんだ」
「そ、そう」
ならば、エリーがスバル達の秘密を共有したのも聞いているのかもしれない。
それを確認しようと口を開けようとしたら、スバルが何故か自分の口に人差し指を当てた。
「まだ外にお客さん達がいるから、僕達の事は家に上がってもらってからね?」
「う、うん」
その仕草ひとつが絵になり、思わず見惚れそうになってしまったが。スバルは、また小さく笑ってから持って来てた皿の布を取った。
「これが、新作予定の『あんぱん』だよ」
皿にあったのは、焦げ茶色の焼き目が美しい丸パン。
通常の丸パンよりも大きめなのと、天辺に黒い粒が張り付いていた。粒が胡椒の粉末かと思いかけたが、よく見れば種のような形をしていた。
それと、パンの名前には少し覚えがあった。
「あんって……前に食べさせてくれた『アンコ』を使ってるの?」
「そうだよ。僕のいた国発祥の、代表的な菓子パンなんだ」
「……その割に、シンプルね」
けれど、よくよく考えればこのパン屋の商品は、果物を除けば派手さを追求したものがない。
もともと、サンドイッチがあればいい方のパン屋が主流な世界だから、時を超えても上手く溶け込めたのだろう。
それに、あの餡子を使われてると言うことは、とても美味と言うはず。
「お茶もいいけど、これには牛乳がいいんだよ」
あんぱんに見入ってた間に用意したのか、卓に牛乳入りのグラスを置く。
エリーは交互に見ても、この組み合わせがいいのかまだ信じられなかった。
「牛乳も味が濃いのに、相殺するの?」
「物は試し、だよ。見定めてくれるんでしょう?」
「っ、そうね」
そして、開発者でなくとも自国の文化を惜しみなく伝えてくれるスバルにも、疑ったままでは失礼に値する。
だが、その前にもう一つ。
「スバル、このパンの効能は?」
「あ、そうだった。……はい、メモ」
サクラを隣に座らせてから受け取ると、メモにはこれまでよりもシンプルな効能しかなかった。