第3話 迷宮救助隊
冒険者ギルドの中心的機能である迷宮管理課、大勢の冒険者たちで賑わうフロアの片隅に、随分と古く薄汚れた一枚のドアがあった。
フロアの華やかな賑わいとは打って変わり、もの寂しげに佇むドアの横には、これまた黒く変色して歪んだ表札が掲げられていた。
『迷宮救助室』
ところどころ掠れた達筆の筆書きで、確かにそう書いてあった。
一見すれば、そこが冒険者に対する救命処置や救出行動に関する部署であることはすぐに察しがつく。
しかし、どれだけ時間が経ってもそのドアの前に立つものはいない。
まるでそこにドアなど存在しないかのように、すぐそばを歩く冒険者さえ一瞥もくれない。
やがて日が暮れて迷宮管理課が最も忙しい時間がやってきた。その時間は冒険者たちが一日の探索を終え、多くの冒険者たちが収穫物と共に迷宮都市へと帰ってくる。
迷宮管理課ではクリスタルの買取、迷宮具の鑑定および買取、そして所持スキルの確認など、冒険者たちが列を作って受付カウンターに殺到する。
冒険者ギルドの職員たちも、毎日のようにやって来る嵐のような混雑を前に気を引き締めて待ち構えているのをよそに、一人の男が冒険者ギルドの扉を開けてフロアの隅へと歩いていく。
「ふわぁ〜〜あ」
一際大きなあくびをしながら目を擦り、明らかに寝起きですと言ったその男は、年の頃は30代後半の長身で、スラッとした細身の体格からは到底冒険者とは思えない。
かと言って冒険者ギルドの職員が着ている制服とはまた違い、薄い布地のシャツに黒いズボンと言ったラフな格好で歩いている。
その男の向かう先は、誰しもが気にも止めない古びたドアの方だった。
迷宮救助室のドアの前で足を止めると、シャツの裾から中に手を入れてポリポリと腹をかき、ドアを開けずにその周囲に何かを探すように見渡す。
男の目的の物はすぐに見つかった。ドアの下から少し横へずれたところに、紐の付いた小さな板が転がっていた。
それを拾い上げると、誰かがつけた足跡を手で払って落とし、迷宮救助室のドアに一つだけ飛び出た突起に紐をかける。
その板の両面には『出動中』と『待機中』の文字が、ドア横の表札同様に達筆で書かれていた。
男は板の向きを『待機中』にしてドアを開けて中に入っていくが、閉める前に手だけを伸ばして板を『出動中』に変えた。
迷宮救助室——そこは迷宮内部で帰還不能なほどの怪我や危機的状況に陥った冒険者を、自ら迷宮内部へと降りて救出活動を行う部署だ。
その性質上、この部署に配属される職員は最低限でもスキル【治癒】の所持が求められ、救出活動を行う救助員には、危険な階層まで降りることが可能なサバイバル能力と戦闘能力が求められる。
だが、迷宮内部と地上との連絡手段はそれほど多くはない。遠距離会話を可能とする貴重な迷宮具は数が少なく。
冒険者ギルドの依頼を受けて高ランク冒険者に貸し与えているのが現状だ。迷宮内部からのSOSは、遠距離会話を可能とする迷宮具を所有する冒険者と運よく出会って冒険者ギルドと連絡を取ってもらうか、地上まで帰還できる者が直接『迷宮救急室』まで来るしかない。
そんな不幸中の幸い——とも言える事態は、中々に訪れることはない。
ほとんどの冒険者が迷宮内部で命を落とし、救助要請が間に合ったとしても、現場に駆けつけた時には手遅れなケースも非常に多い。
そして何より、迷宮救助隊の出動は無料の奉仕活動ではない。出動するだけで多額の出動費が請求され、運良く救助できた場合には治療費に救助費が別途請求される。
このような現状では、迷宮救助室を利用する者はほとんどいない。これならむしろ、地下迷宮内部で出会った冒険者たちに救助を求める方が安上がりであり、持ちつ持たれつの関係でお互いに手を取り合える。
怪我の治療に関しても、都市の病院で治療してもらう方がよっぽど安上がりなのだ。
ゆえに、この迷宮救助室を利用するものなど——そう例えば、今まさに息を切らして迷宮管理課の扉を勢いよく押し開けた少女のように、ほかに頼る伝手も知り合いもいない、新人冒険者くらいなものなのだ。