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ひゃっほー

僕が初めて乃木坂46を知ったきっかけは、小学生の頃、ある日みていたMステのCMだ。

「拝啓、AKB48様」のナレーションで始まるそのキャッチーなCMで、デビューシングルの収録曲である「会いたかったかもしれない」を懸命に歌うまだ垢抜けず、あどけない表情を残した彼女達は、僕の目にはあまり魅力的には写らなかったらしい。AKBの公式ライバルながら秋元康がプロデュースしているという事実も僕を苛立たせた。なんだ、結局金か、ライバルもクソもないじゃないか、と。結局、彼女達のことはすぐに忘れてしまった。

次に乃木坂46の名前を聞くことになったのはある年のFNS歌謡祭においてである。白状しよう、その頃の自分は女性アイドルを舐めていた。所詮アイドルなんか歌が下手くそな集団だろ?なんで君たちがCMやドラマにまで出てくるの?ウザくね?、これが当時の自分の根底にあったものである。その色眼鏡のもとで目にした乃木坂は―当時の自分を今となっては恥ずかしく思うが―残念ながら蔑視の対象でしかなかった。AKBとのコラボステージでの彼女達にはキモいという感想しか浮かばなかった。その歌謡祭で、確か、彼女達は単独で「気づいたら片想い」を疲労していたような気がする。今でも理由はわからないのだが、なぜかそのフレーズが僕の頭に焼き付けられ、脳内で乃木坂といえばこの曲というイメージを構成するに至った。

時は流れ、2016年、高校生になった年のことだ。かつて一時代を築いたAKB48が度重なる主力メンバーの卒業やスキャンダルを受けて没落し、ますます乃木坂46が存在感を高めてきた時代であるのだが、そんなことを当時の僕は知る由もなかった。そんな折、僕はTwitterのフォロワーの中に超絶美少女の写真をプロフィール画像に設定している人を見つけた。あまりのかわいさに急いで画像検索をかけると、「齋藤飛鳥」と表示された。しかし、ここで乃木オタになったかというと、そうではない。当時話題となっていたマウスコンピューターの飛鳥マウスを見て、なんか想像と違う、と感じてしまったのだ。(あしゅごめんよ)ここで僕の乃木坂認知度に変化が起こる。当時所持していたTwitterの勉強垢に乃木坂オタクのフォロワーができたのだ。彼のお陰で、僕は西野七瀬と伊藤理々杏を知った。今となっては不思議なことだが、彼女らもその時はたいしてかわいいとは思わなかったけど。2016年の年末から2017年の初頭にかけて全国を駆け巡った「橋本奈々未卒業」のニュースは、芸能界に疎い僕までも知る大ニュースだった。何しろ人気絶頂期のアイドルが弟の学費という理由で活動していたことが驚きだった。ついでに白状すれば、一瞬欅坂46に興味を持ったこともある。デビューシングルである「サイレントマジョリティー」とまだ中学生であった平手友梨奈の笑顔と鬼気迫る表情に魅力を感じたからだ。まあ、すぐに興味は薄れてしまったのだが・・・。何はともあれ、この頃から僕がアイドルに抱いていた嫌悪感は徐々に減退へと向かうこととなった。

明けて2017年、乃木坂は大躍進の年であった。白石麻衣をはじめとして写真集がバカ売れし、''乃木坂はキラーコンテンツ''と評され、名実ともにアイドルグループの頂点に君臨することとなった。必然的に大して興味のなかった僕の目に入る機会も増えたが、白石麻衣特集をワイドショーで見て、アイドルに対するモヤモヤを再燃させることもあった。

そんな頃、年末の歌番組ラッシュで僕に転機が訪れる。彼女達は、レコード大賞を受賞することになる「インフルエンサー」を色々な番組で繰り返し披露していたが、ある番組でメンバーの一人が僕の目に留まった。彼女は他でもない、西野七瀬であった。彼女から発される儚さや守ってあげたくなる雰囲気は、徐々に僕を虜にしていった。
そんな中で迎えた紅白、Mステに出演する彼女達を見るたびに、僕は緊張するようになってしまった。大晦日の夜、紅白の乃木坂を見終わった僕は、スマートフォンでインフルエンサーのMVを初めて見た。なぜだろうか、ハマってしまった。何回も繰り返した。別の曲のMV、YouTube上に存在する乃木坂まとめを見てはどんどん傾倒していった。僕の冬休みの娯楽は乃木坂だけであったといっても過言ではない。

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