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第32話 ナビゲーターレクチェ・前編

 FOG BLAZE(ふぉっぐ ぶれいず)のゲーム内で死んだ人間は24時間の待機を命じられる。

 そこは40メートル四方の隔離された正方形の真っ白な部屋……――――。
 多数の椅子やソファーと大型のテレビが配置された、ゆったりとした空間だ。

 死しても(なお)、自分の身体を模したアバターは、その場所では存在を許される。

 フレッドを(かば)いネクロ・キメラに殺された灰賀(はいが)もここに連れてこられていた。
「よしッ……サイの化け物を倒した……!」
 テレビには現在のゲーム世界の映像が流れ、リアルタイムでそれを観る事が可能になっている。フレッド達の今程の戦いを目のあたりにし、感嘆(かんたん)の吐息を()らす。

 現在このだだっ広い部屋にはたった独りだけ、灰賀の周囲には他に誰も居ない。
〈自分以外には……誰も死んでいなかったのだろうか……?)
 灰賀が以前ここに飛ばされた時は、百人ものプレイヤーが部屋に押し込まれた。

 灰賀は居ても立っても居られずに、腕立て伏せやスクワットをして体を動かす。

 ついさっきまでの観戦で、奮闘するフレッド達に感化されたのであろう。仕舞(しま)いには、ハルベルトを振る練習も念入りに始め出した。

「……くぅッ……まぶしい!?」

――――すると純白の小箱にダイヤを散りばめたように、そこら中が一斉に(きらめ)く。

「ん……アップル君なのか……?」
 ちょうどテレビの中央に、端麗な少女の姿をした何かが発光しながら現れた。

「貴様が灰賀……明人(あきと)だな?」
 
 その美少女は黄緑髪でツーサイドアップのセミロング、胸の谷間とお腹を露出して、薄紫色のストッキングを()き、黒を基調にした衣装を着用していた。

「そう身構えなくていい……私は貴様の味方だ、ひとまず席に着いてくれ」

 説き勧められ灰賀がソファーに腰を掛けると、その黒い少女もすぐ隣に座った。 
「……少し近くは……ないだろうか?」

「うふふっ……貴様にえらく興味があってね。……なにせ、私は今日から灰賀明人の『ナビゲーター』になるのだからな……」

 その勧誘に対し消え入りそうな声で、弱々しく頼りない返事をする灰賀。

「自分は無力だ……、ゲームの知識に(とぼ)しい。ダフネ君かトラヴィス君をサポートした方が……、攻略の効率は格段によくなるのではないかね……?」
 
 その問いかけに応えるでもなく、少女は大胆にも灰賀の両脚をまたぎ、そのまま恋人のように股の間に座り出したのだ。その黒色のローライズパンツからはみ出ている、(みだ)らで誘惑的な太ももやお尻は筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい。

「貴様はフレッド・バーンズのように選ばれたのだ、胸を張っていいのだぞ?」

 漠然(ばくぜん)と魅入られたように視ると、見た目はアップルと似た背格好をしているが、明らかに胸だけは膨らんでいてた。俗に言う、『ロリ巨乳』というやつだ。まん丸目のアップルと違い、ツリ目で凛々しいのも特徴と言えるだろう。

「君の名前は……何ていうんだ……?」
 色っぽい流し目の視線をまばたきもせず、絡みつかせて()らそうとしない。
「生まれたばかりの私に名前はまだ無いのだ……何かいい案はないか、灰賀?」

 憂鬱(ゆううつ)そうにしていた灰賀だったが、普段の真面目な表情に変わっていく。

「うーむ……ル・レクチェというのはどうだろうか? 髪も黄緑だし、アップル君のリンゴに対して洋梨という安直な発想だが…………」
 
「フランス語で『ル』は男性につける定冠詞だな。『レクチェ』というのは園芸家の名前からきている。それに(みの)って収穫される頃には黄色い果皮(かひ)になっているそうだ」

「そッ、そうなのか……勉強不足で済まない……」
 灰賀は少し顔を火照(ほて)らせ、はにかんだように唇をゆがませる。

「くすっ……だがせっかくだし、私の名前は『レクチェ』にさせてもらおうか」
 灰賀の無精ヒゲをさすりながら、小悪魔的な微笑をするレクチェ。
「気に入ってもらえて……何よりだ……」

「さて……モニターで見てもらったと思うが現在、貴様たちの町は未曾有(みぞう)の危機に直面している。要約すると、他者からの侵略を受けている」

「敵の目的は何なんだ……? 防壁を壊して蹂躙(じゅうりん)する事が楽しいのかッ!?」

 レクチェと向かい合って質疑応答をするだけだった灰賀が、ここにきて迫力のある詰問(きつもん)をする。それはエリュトロスの町を本気で気遣(きづか)っているからに他ならない。
 
「……鼻息が荒いぞ灰賀……、意外と貴様もフレッドのように短気なのだな」
 レクチェは突然に癇癪(かんしゃく)をおこして、自分に噛みついてきた灰賀に注意をする。
「度々、申し訳ない……」

「今回の事件は異例なのだ。まず、ここに貴様しかいない事に疑問があるだろう?」
「そういえば……、あれだけの襲撃があったのに……」

「問題となっている敵はな……、死したプレイヤーの命を自らのモノにして、傀儡(くぐつ)のように(あやつ)れる能力をもっているのだ」

 その言葉は打ち付けに水を浴びせられた様に、灰賀の心を震え上がらせた。

「結論から言うと、我々はゲームマスターのひとりを敵に拉致(らち)された状態なのだ……」
「えっ……その人は大事な『管理者』なのに、このゲーム内に潜っているのか?」

「そうだ……、この世界には数人のGMが降り立っている。それぞれが精巧で特殊なフィルターが掛けられ守られていたが……、不具合が出て敵意のあるプレイヤーに見つかってしまったのが事の発端だ」

「……なにか運営側に対策はあるのだろうか……?」
「そのための『貴様』と『私』なのだよ、灰賀?」
 静閑(せいかん)がもたらす(くつろ)ぎの空間が、ものの数分で混迷の渦によって包み込む。

「凶敵の魔の手から……、貴様だけをここに残留させることが出来たのだ。私と共にその〈パペット・マスター〉とやらをを打破しようではないか!?」 
「うッ……うむ……」 
 レクチェに上目遣いでお願いをされ、断ることができずに承諾してしまう。

 そして、灰賀の股の上に乗っていたレクチェがおもむろに立ち、回れ右をする。

「これは『ネクタル』というアルコールだ。名前の由来は、天上界の神々が飲んだといわれる不老不死の酒からきている」
 その右手には直径9cm、高さ30cmの液体が入ったボトルが握られていた。
 
「これを貴様が飲めば、飛躍的にレベルを向上できるという代物だ……」
「それは……、チートというやつかね……?」
 灰賀は苦悩の表情をし、自分のヒザに両腕をつっかえ棒のように置く。
 
「今の貴様のレベルはたった5……、このままでは戦えたものではないだろう?」

「自分だけが楽をするわけには……、地道にレベル上げをしているフレッド君達に……申し訳なく思えるのだ…………」
 生来の頑固(がんこ)さと純粋さが交錯(こうさく)し、葛藤(かっとう)の振り子が止まりそうにない。

「……フレッドの代わりに殺された時、貴様はどういう心境だったのだ? 満足のいく死に方を選べたから……貴様は笑えたのか? 良ければ教えてくれないか」

  世の中を生きる人の大半は、自分の性格の醜い部分と向き合おうとは一切しないだろう。それは無意識下の感情である限り、表面に出す事のない心の闇なのだから――――。

 無骨(ぶこつ)ゆえに、不器用ゆえに、……灰賀にも背負っている(ごう)があった。


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