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入社以来、お世話に成り続けた先輩格の方が転勤になった。
後輩の俺を庇い、業務を支えてくれた恩しかない方だ。
敏腕な方。お名前が木下さん。役職は課長。
この商社で、会社が機能するよう司る商品部の柱だった。

辞令が出る前に呼び出され「五辻(いつつじ)くん、先に話しておくけど。僕は本社に異動なんだ。お世話になったね」と告げられた。
「そんな、俺・いえ自分があなたに苦労ばかりさせました。突然のお話で仰天しましたが、どうかご活躍を。いつかご恩をお返しします。自分はここで必ず成果を上げて、あなたにこの姿をお知らせします」

気力を振り絞った。
想いのたけを話すと「そう言ってくれてありがとう」
穏やかな表情だ。いつもと変わらない。
ご本人は納得されての異動なんだな。
『行かないで下さい』なんて言わなくて良かった。
これは業務だ。私情を挟むべきではない。堪えます。

「可愛いきみが縋らないのを見透かして、話す僕は卑怯だよね」

「え、だって、あなたが支社でおさまる格ではないと存じてました。いつか本社に召集されると思っていました。あなたを頼り尊敬しながら、別離の予感はしていました。卑怯ではありません。事前に自分を呼び出して話してくれた事に感謝しています」

「きみには感謝しかないね。出会えてよかった。でもその手を離すことには正直、ためらうんだ、」

どうしよう、喉元まできた言葉が飛び出しそう。

「きみの事、好きだったよ。元気でね、五辻くん」
は、まさかだ。
泣いて縋れば良かったのか、違うよな、これは業務だ。この方は上へ引き上げられたんだ。迷うな。
「……好きでした。尊敬していました。もうお会いできないかもしれませんが、どうかお元気で、」
目に涙が滲んだ。見せたくなくて俯いた頭を撫でるこの手に、縋りつきたいのを堪えた。


「ちゃんと、ごはん食べるんだよ。痩せているから心配だ」
「それは、あなたです。いつも食事をとりませんよね。自分が、話しても、あなたは時間が無いからと、業務を優先されました。もう、そんな事はしないで下さい、あなたに差し入れする者はいません、どうか、食べて下さいね。お元気で居て下さい。……堪えますから。俺は平気ですから、1人で立てます」
1人で立つ自信はなかった。
でもここで踏ん張らないと折角の好意を無下にする。
「五辻くんが入れてくれた紅茶はいつも美味しかった。気持ちがこもってた。ありがとう」
止めて下さい、やさしすぎる!

木下さんが支社を後にされる姿を見送ると、覚悟ができた。
これからは1人で立つんだ。
いつか、木下さんみたいな方に出会えるかもしれない。
その時は、手離さないように強くなろう。二度と、辛い想いなんて御免だ。


しかしだ。
己の固執が醜い。何日過ぎたと思うのか、自分に問いただしたい。
木下さんが好きだった紅茶にやたらと詳しくなる。未練が隠せない。なんてことだ。
「おい、五辻 。おまえ、紅茶よりコーヒー派だったよな」
言うな。同僚、やかましい。
「趣旨替えか。五辻が紅茶を飲む姿なんて初見だ」
止めてくれ。
「おう、来週はたしか誕生日だよな。茶葉でもプレゼントしてやろうか」
追い打ちかけるな。
「テーブルに顔を埋める辺り、拘りがあるな。見透かしたぞ、そんなおまえに朗報だ」
「え、」
「アマゾンなら何でもそろうぞ。楽天もいいな。午前中なら翌日配達だぞ」
知ってるよ。何だよ、要らぬ期待をさせるな。


「おまえくらいの器量で悩むなんて、まさかだ」
「は?」
「五辻は可愛い顔をしているのに、相手がいないとか、有り得ないよな」
またいわれた。
「分かった。もう何もいうな。オレはおまえの同僚だ、言わずともだ」
え、
「おまえが何を悩むかくらい、把握している。なにせ同僚だ。だんまりきかせても、分かっている。おまえを救うぞ」

おまえ、感謝するぞ。何をしてくれた?
会わせてくれるのか。

「褒めちぎろう」
は?

「おまえは雑誌モデルより幼気隠せぬ器量よし。しかも無造作ヘアーときた。街を歩いてみろ。怪しい勧誘が名刺を渡すに違いない。だから営業職が天職だ。取引先もおまえなら・と任せているじゃないか。よう、会社のホープ」
「黙れ」

「違うな。ああ、オレの勘違いだ。おまえの腹を読んだ。辛かろう。だが、悲劇は繰り返えされない。天の神様は非情ではない。チャンスだ」
こんどこそか!
「包装資材の納品を依頼された。問屋へ急げ。取引先へ他社より先に提案だ。さあ、管理職への道が見えて来た。迷うな、さあ行け、出世頭」
「押しつけるな、おまえが行けよ!」

社用車で問屋街を目指しながら想う。こんな納品すらも、あなたは買って出てくれた。
本来なら営業部の管轄なのに、商品部が携わっているからと、多忙なのに時間を割いて下さった。
渡された包材はいつも色鮮やかだった。まるで木下さん。あなたの心の中のように奥深く、惹かれた。
いつも側で励まし、未来なんて気にしなかった。
くだらない事でも笑ってくれた。俺が上に出世するよう、尽力して下さった。
あなたに甘えていた。
痛感する。でも縋らなくて良かった。あなたの困った顔だけは見たくなかった。
木下さん、俺はあなたに紅茶を入れる事が叶わない。
未練がましい。
こんな思いをするなんて、もう生涯ありえないだろう。

好きでした。
これだけは言えて良かった。

ああ、問屋街が見えて来た。振り切ろう。
俺が前へ進まないとならない。あなたの努力を無駄にできない。

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