外伝「魔導市長と極端少女(4)」
ロンドロッグ市庁舎には一風変わった部署がある。その名も「対話課」だ。名前の通り、市民との対話を行う部署である。そこのエースとも言える存在がヤミニ・ヤントだ。彼女はカランデンテ諸王国の一つ、ザンファルディーノ藩王国からの移民三世に当たる。黒い肌はその象徴のようなものだ。生まれも育ちもロンドロッグで、コミュニケーションには事欠かない。それどころか、ロンドロッグの誇るブラックダイヤモンドとも言える価値の高さを証明している。
なんといっても、彼女の状況認識力はずば抜けたものがあり、同時に傾聴や共感の能力にも優れていた。このため、クレームを持ってきた市民はいつしかその刺々しさを和らげ、むしろ彼女に感謝し、時間を割いてもらったことに謝罪までして帰るのだ。
話を聞くのは市民たちに限らない。職員ともよくよく話をし、彼らの状況の把握を行う。結果として、市役所において最大の情報通となっている。
もちろんというべきか、悲しむべきというべきか、彼女にも欠点は存在する。
酒が好きなこと。
これはいい。メドラーノは彼女を含めた対話課の職員をディナーに誘う。ディナーといっても酒場である。対話課員は皆が酒好きなため、その点で困ることはない。特に、ヤミニは酒が大好きだ。誰かと話すことと同じくらい好きなのだ。ある程度は自制も効いている。
だが、本当に間が悪い時、度が過ぎる時がやってくると、どえらいことになる。
脱ぐのだ。服を。
そう、ヤミニ最大の欠点は、その美しい肌と豊満な肉体をあられもなくさらけ出す、酒乱という部分で発揮される。
ロンドロッグの飲ん兵衛たちがまた褒めそやすものだから、彼女はますます調子に乗る。テーブルに乗って、艶めかしいダンスを踊りだす。
わかるだろう。
メドラーノと、酒に強い方の対話課員たちは、今まさしくヤミニの全裸セクシーダンスを目撃してしまっていた。
「ヤミニくん」
「どうですか、市長。私って、可愛いですか」
「ああ、可愛いさ、可愛いとも」
「嘘つきですね。ほら、こんなこともしちゃいますよ」
そう言って太ももを顔に擦り寄せてくるのから、メドラーノは必死で逃げなければならない。
こんな政治生命を危うくするような危険性をわかっているのに、なぜ彼がヤミニを飲みに誘うのをやめないのか。
ここに、第二の欠点が存在する。彼女は一定期間を酒席に誘わないと、すさまじく不機嫌になるのだ。それはもう子どもかと言わんばかりの士気の落ち込みを見せ、「全身全霊でサボる」ようになる。いや、書類仕事などをしているから業務は遂行しているのだが、彼女に期待されている市民や職員との対話はほとんど行われなくなる。
はっきり言って、こんな扱いづらい人材は他の役所ならクビだろう。
だが、メドラーノはメドラーノで困った部分があった。扱いづらい人材ほど使いこなしてみせるという使命感に燃えているのだ。実際、ヤミニが力を発揮すれば、間接的にメドラーノ再選への強力な手助けにもなる。
なおすばらしいことには、彼女は古今の礼法や作法に通じる風流人でもあり、飲まない日は必ずその修練に通っているほどなので、外交の場でも活躍する。そう、メドラーノにしてみれば、ヤミニは「隠し玉の秘書」とも呼べる切り札なのだ。使いこなしたいという思いは募る。
「皆さん、次の選挙もメドラーノ市長に投票をお願いしますねっ」
ヤミニがそんなことを叫び、酔漢どもが歓声を上げる。
酒に酔っ払って全裸になった上に投票行動を呼びかけるなど、リュウが知ったら間違いなく「阿呆の所業」として断じてしまうだろう。この世界でインターネットが発明され、世界中に情報ネットワークが張り巡らされていないことは幸いだった。
また、良い意味での「寛容さ」がある都市であることも、彼女にとっての幸福であった。例えば、アクスヴィル聖王国のようなところで産声を上げていたら、猛烈な「女性らしさの教育および強要」によって、彼女の良さは打ち消されてしまっていたに違いない。
数時間後。
二次会の後に立ち寄った広場で、すさまじい勢いで謝罪するヤミニの姿を見ることができる。もちろん、謝る相手は介抱してくれたメドラーノと対話課員たちだ。彼女はこうして「乱れた」後は、必ず二次会の途中でダウンして、目覚めた時にはすっかり酒が抜けている。
そして、散々に大暴れした事実を完全に覚えていて、またやってしまいましたと謝る。こういう通例になっているのだ。
「今度こそは本当に、本当に節酒します……」
そう言って頭を下げるヤミニに配慮して酒席を控えたところ、痛い目に遭ったことがあるのがメドラーノである。
「いいさ。君も心身ともに負担があることだろう。こういう時にでも発散しないとな。昼間にあんなことをされたら大変だが、なあに、夜の世界は別だよ」
これは半ば本当だった。ヤミニの息抜き、および飲ん兵衛たちの集票、ならびに平常時の働きを考えると、この出来事が噂になることで生ずるイメージダウンを埋めて余りあると、メドラーノは断じているのである。
まあ、彼としてもこんな欠点は消えてくれることを望んでいるし、「今度こそ」と言いながら何度も乱痴気騒ぎを起こしているのだから、実はヤミニは「市役所で最良の人格者で最悪の知性の持ち主」ではないかと思うこともある。一度目の失敗は誰にでもあるが、二度目の失敗は迂闊者の所業で、三度目以降は学ぶ知能がないというわけだ。
それでも、メドラーノは人間としてヤミニを憎めない。他の課員たちも同じだった。そういう点では、やはりヤミニ・ヤントは特別な存在なのである。
「しかし、反省してくれたら嬉しいのは確かだ。無理のない程度にね」
「はい。今度という今度は節度ある行動で……市民の模範となるような」
「それが無理しているというのだ。君はお酒が好きだろう」
「好きです」
「その正直さを忘れてはいけない。好きなものを封印して得られる人生に何の意味がある。君は何のためにこの人生を過ごしているのだ。我慢して朽ち果てるためにか。違うだろう。少なくとも、私は成したいことを成すために生きている。君にもそうあってほしい」
これで、ヤミニがまた泣いてしまう。
メドラーノとしては泣かせるつもりはないのだが、彼女にとってはよほど救いとなるようで、ならば声を掛けなければならないという気になる。たとえそれが同じことの繰り返しであってもだ。
なあに、人間も魔族も、同じことの繰り返しじゃないか。
メドラーノはこう考える。自分はそれを正すために生まれ、生きてきた。だから、正されるまで何度も挑むのみだ。ヤミニのこともその試練の一つに過ぎない。
そういうふうにして、彼女にハンカチなどを差し出していると、暗がりからやってくる者がある。財務課長のチャズ・ラマチャンドランだ。彼も肌は黒い方だが、ヤミニほどではない。
「市長が対話課のみんなと飲みに行くのが見えましてね」
そう言う彼は、今まで残って仕事をしていたのだという。
だが、メドラーノは知っている。確かに残業もしているが、同時に自分たちのことを慮って、出てくるタイミングを伺っていたのだ。そのことはなんとなくわかっていたが、口には出さない。
代わりに、ラマチャンドランが持参してきていた籠から小さいビンを取り出す。
「水です」
中身はいずれも冷水だった。
ラマチャンドランは皆に配り終えてから、満足そうに黒ひげを撫でた。それから、自分も残りの一本を持って、渡したビンに一つ一つカチンと当てていく。
最後にメドラーノのビンに当てて、空に向けてビンを掲げる。
「乾杯しましょう。今日の良き月に」
そう言われて、誰もが空を見る。煌々と、満月に程近い月が輝いていた。それは満ちきっていないがゆえに、今後の希望を思わせるものがある。
「今日の良き月に」
メドラーノがそう言う。
良き月に、と誰もが唱和する。
最後にヤミニが、涙顔に笑みを浮かべて、ビンを掲げる。
「いい月です」
それから、皆で水を飲む。
メドラーノには、それがどんな酒よりも美味い逸品に思えた。
世界は風雲急を告げている。いつまでこのような平和が続くかどうかもわからない。今日の良き日が、明日の悪しき日に取って代わられるかもしれない。
だが、少なくとも、今日は良き月が出ている。
風が吹き、皆々の間をすり抜け、感情を運んで飛んでいく。
舞い上がれ、我が心。
メドラーノはそう念じながら、最後の一滴までを残らず飲み干した。