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一通目

ゴールデンウィーク初日。誰にも住所を教えていなかったのに、両親から手紙が届いた。ほんとに八十二円で送れたのか疑うような分厚い手紙に自然とため息がこぼれた。正直に言えば、読みたくない。でも、捨てるのも気が引ける。保管しておく場所はない。

きっちり三十分迷ったあげく、深呼吸をしてから封筒にはさみを入れる。シャキシャキと小気味のいい音がして封筒に切れ目が入る。逆さにしてなかみをだすと出てきたのは一通の封筒と、一枚の便せん。訳が分からなくてとりあえず便箋を開いてみるとそこに並んでいたのは懐かしい母の字だった。

『元気にしていますか?ご飯ちゃんと食べてる?
朝ご飯は特にしっかり食べなきゃだめよ。
今日、手紙を出したのは、夏恋宛に手紙が届いたからなの。
坂崎 洸くん、覚えてるわよね
彼からあなた宛てに手紙が届いたので送ります。
                        母』

「こ、う」

無意識に名前が口から滑り出る。自分でつぶやいた名前に心拍数が上がって、胸がギュッと痛む。坂崎 洸は私の幼馴染でこの二十五年間の中で唯一付き合った人物だ。でも、彼から手紙が届くわけないのだ。彼は手紙もメールも、電話すら届かないところへ消えてしまったんだから。そんなこと母だって知っているはずなのに、どうして。いぶかしく思いながらも好奇心と、小さな期待に背中を押されて震える指先をもう一つの茶色い封筒に伸ばす。

封筒を表面にかえして目に入った文字に息をのんだ。

『姫崎 夏恋様』

たったの五文字。それだけでもわかるくらい何度も見てきた洸の字。少し右上がりで角ばった、洸の字が、封筒の上にきちんとまっすぐに並んでいた。曲がっていないところが、几帳面な洸らしい。はやる気持ちを落ち着かせるためにひとつ大きく深呼吸してから、封筒にはさみを入れる。入っている便箋は一枚。なんのイラストもない、普通のシンプルな便箋だ。

そこにも、大好きな洸の字が並んでいた。

『夏恋、元気にしていますか?
今日は、夏恋の誕生日だな。ちゃんと覚えてるか?
夏恋は人のことに夢中ですぐ自分のこと忘れるからサプライズのし甲斐があった、うん。
今日のこの手紙も驚く夏恋を想像しながら書いてます。まあ、その顔を見れないのが残念だけど。
今日のサプライズは、この手紙だけじゃ終わらないから勘弁してくれよ。
あ、あと俺がいなくても誕生日はちゃんと祝えよ。

P.S
この手紙を読んだらすぐに、地元のカフェに向かうこと。いつものところだぞ。』

涙で、字がにじんいく。手紙をぬらさないように端によけると、我慢していた涙がぼろぼろとあふれ出す。洸は、七年前に信号無視のトラックに轢かれて亡くなっている。事故の、はずなのに。どうして、自分がいないことが前提の手紙をかけたんだろう。洸からの手紙には、住所も切手もなにもなかった。事前に、亡くなる前に誰かにこの手紙を預けていないとこの手紙は私には届かない。………自殺だった?私は洸が追い詰められているのに気が付かなかった……?
嫌な想像が膨らんで止まらなくなる。

このままここにいても始まらない。

私は、身支度を整えると家を飛び出した。


地元へは、電車で三駅。
三十分もかからない。電車に揺られながらの三十分は混乱している頭をまとめるには短すぎて、頭の中が整理できないまま地元の駅についてしまった。
洸が指定していたいつものカフェというのは、駅近くにあるおしゃれなカフェのことだ、多分。名前はメルシー、フランス語でありがとうっていう意味らしい。学校の帰りのデートでは必ずと言っていいほど、メルシーでパフェを半分こして食べた。洸が好きなのはチョコバナナパフェ。私のお気に入りはミックスベリーパフェ。いつも、どっちも食べるかでもめてはじゃんけんで決着をつけていた。楽しかった、もう戻ることのない思い出だ。胸の痛みと一緒に懐かしい思い出を心の奥深くに沈める。もう、簡単には上がってこないように。でも、忘れてしまわないように。丁寧にしまい込む。鎖骨の上で、輝きを失ったリングをぎゅっと握りしめてから、私はメルシーのアンティーク調の扉を押した。

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