第8話 俺とお嬢様。
雨粒が頬を伝う――冷たい。
なんだ、この感覚…… 誰かに引きずられている? 分からない、身体に力が入らない。
俺は確か、銃で撃たれて…… あれ、俺の足ってこんなに短かったっけ?
それにこの服、いつも執事服じゃない。これは、俺が日本に居た時の私服だ。
「エリー、探したぞ!!」
聞き覚えのある声が聞こえる。これはそう、アルタイル様の声だ。
ああそうか、これが走馬灯って奴か。となるとこれは10年前の、俺がブリュンスタッド家に拾われた時の記憶か。
ん? だとするとおかしいな。俺を見つけたのはアルタイル様じゃなかったっけ?
だったら俺を現在進行形で引きずっているのは誰だ?
「疲れた」
これも聞き覚えのある声、いや聞き飽きた声だ。
「エリー、その少年は一体……」
「そこで拾った」
「いや、拾ったって……」
「妾の遊び場で拾ったのじゃから、これは妾の物じゃ。お父様、コレ屋敷に置いてもいいじゃろ?」
このクソ生意気な物言い、やはりエリザベートだ。
身体も動かせないし視界もぼやけて顔は見えないが間違いない。
この野郎、人を捨てられた子犬みたいに言いやがって。
8歳の時点でコレって手遅れ感がヤバイだろ。あー、タイムリープしてコイツを育て直して~
「なぁ、いいじゃろお父様。妾はコレが欲しいのじゃ」
「分かった分かった。ともかくその少年は酷い怪我だ、ジェーン。すぐに手当てを」
「畏まりました旦那様」
そして俺はその場にいたメイドに抱えられ、屋敷の中へと運ばれていった。
なんとまあ思い出してみると子供頃の記憶ってのは都合よく改竄されてるものだ。
走馬灯で真実を知るだなんて、これじゃあアイツにお礼の1つも言えないじゃないか……
それに俺が居なくなったら誰がアイツの面倒を見るんだよ、何でもできる癖に1人じゃなんにもしないんだぞアイツは。
誰かが起こさないと何時までも寝るし、洗濯なんてした事もない。
友達だって片手の指で収まるくらいしかいないし…… まあ俺もそうだけれど。
それにアイツが世界征服する所だってまだ見ていないじゃないか。
神様でもなんでもいい、お願いだ。俺にもう一度エリザベートをお嬢様と呼ぶチャンスをくれ……
「ッ――!!」
突然浮上した意識、最初に目に飛び込んできたのは見に覚えのある天井だった。
これはブリュンスタッド家の、それも俺の自室の天井だ。
身体も動くし、視界も良好、どうやら走馬灯ではないらしい。
「俺は…… 生きてる、のか? ってなんだこりゃ!?」
シーツから出した俺の右手にはこれでもかというくらいの包帯が巻かれていた。
邪王炎殺黒龍波を撃ってもこうはならない。
「それに右手だけじゃねえ、なんだこれ……」
俺の身体中には滅茶苦茶に巻かれた包帯や、明らかにそこは怪我してないだろという部分にもガーゼが張ってあり、もう完全に妖怪みたいになっていた。
「たく、どこのやぶ医者に頼めばこんな事になるんだよ……」
俺はとりあえず身体に纏わり付いている包帯とガーゼを取っ払い、銃で撃たれたであろう箇所をチェックする。
記憶は曖昧だが、そこだけラーメンの大盛りチャーシューみたいにガーゼが張ってあったので場所はすぐに分かった。
「ん、治ってる」
傷は跡形もなく完治していた。
あのガーゼで傷が治癒するとは到底思えないので、恐らくどこかの誰かさんが治癒魔法をかけた後にパニック状態で張っ付けたといった所だろう。
「う、ん……」
ここで漸く俺は床に座ってベッドの端の方に寄っ掛かって寝ているエリザベートの存在に気付く。
目の端を真っ赤に腫らして寝息を立てているその金色の前髪を俺はゆっくりと指でなぞり、そして……
「へたくそ」
と小さな声で呟いた。
◇
今朝の朝刊の日付で気付いてのだが、どうやら俺は銃で撃たれたあの日からまるっと1日寝込んでいたらしい。
そしてその朝刊の一面はこうだった。
【お尋ね者の奴隷商人グループ逮捕、森で起きた巨大爆発と関係か?】
「お嬢様、この爆発ってもしかして……」
「さてな。妾は何も知らん」
紅茶を飲みながら知らん顔をするお嬢様。
「いやでも『奴隷商人のほとんどは酷く錯乱しており、心身ともに喪失状態。しかし1人だけ「赤い悪魔がくる……」等と意味不明な供述をしている』ってありますけど」
「何の事だが皆目見当もつかんな」
「……」
まあ本人がそう言うのならこれ以上追求するのはやめておこう。
触らぬ神に祟りなし、いやこの場合は悪魔か。
「それよりもお嬢様、今宵の会議は如何なさいますか?」
「なんの事じゃ?」
「世界征服会議ですよ、まさかもう飽きられたので?」
「……お前は、あんな目にあってもまだ妾に着いてくるのか?」
紅茶のカップを置いて少し俯くお嬢様、恐らく俺が撃たれた事の責任を感じているのだろう。
やめてくれよな、そういうらしくないの。調子が狂うったらない。
「俺はあの日、お嬢様に見つけて貰った日からお嬢様の物なのでしょう? ならどこまでだって着いていきますよ」
「!? お前、あの日の事覚えておったのか?」
「というよりは思い出したと言った方がいいかもしれませんね」
そう、確かに俺をこの屋敷に置いてくれたのはアルタイル様だ。その恩義は今でも変わらない。
だけどあの時、俺を見つけてくれたのはエリザベートだった。
そして俺はエリザベートの執事になって、エリザベートは俺のお嬢様になった。
「ふんッ! そういう事なら地獄の果てまで着いてくるがいい!! 言っておくがもう2度と途中下車するような真似は許さぬぞ?」
お嬢様は邪悪な笑みで俺に問う。
俺はこういう時の返しで言ってみたかったセリフを思い出した。
ちょっと格好つけすぎかもしれないが、是非傾聴願いたい。
「イエス、マイロード」
たぶん俺はこれから先もこのお嬢様の執事として生きていくだろう。
我が儘で目立ちたがり屋で自信過剰、傍若無人で世界征服を企てる悪役のこのお嬢様の――