第74回「家長シェルドン」
「君たちがこの街に関して、恐るべき企てを持っているのはわかっている。私はそれを止めに来た」
シェルドンは非常に聞き取りやすい声でそう語った。大柄な彼が座ると、二人がけのソファが彼のために設えられたもののように思えた。
プラムと僕は彼の対面の一人がけソファにそれぞれ座り、彼の声をしっかりと聞いていた。
「恐るべき企て。何だか、僕らが破壊の種子を撒き散らしに来たみたいだ」
僕はわざとおどけてみせて、それから背中を曲げた。
「シェルドン。僕は老齢の君に対して無礼を働こう。代わりに、誠心をもって事に当たることを約束する。僕がここに来たのは、間違いなくアルビオンの依頼によるものだ」
この老齢の戦士にまごころを見た。そう言ったら、プラムなんかは僕の正気を疑うかもしれない。
しかし、僕の考える限り、シェルドンという人物が「アイリアルを巻き込んだ全面戦争」を望んでいるようには思えなかった。そこには家長としての責任と苦悩がにじみ出ていて、手を差し伸べる時は今だと感じさせるのに充分だった。
「ルンヴァル一族がアルビオンの支配に歯向かうことについて、彼は憂慮していた。そして、故あって僕に依頼を行ってきた。もしも交渉によって妥結点を見出すことができるなら、最小限度の犠牲でこの状況を解決することができる」
僕はシェルドンが口を開こうとするところに、さらなる言葉を被せた。
「君たちが蜂起を決断した理由について、僕は知らない。だが、おそらくは、単なる臣下としてのわがままではないはずだ。アルビオンは明らかに自分の勢力を強めようとしている。ならば、このアイリアルという都市の力を独占するルンヴァルに対して、何がしかの犠牲を強いるような要求をしてきたんじゃないか」
シェルドンはヒゲを撫で付け、一度深く目を閉じてから、「そうだ」と言葉を返してきた。
「陛下は我らに過大な軍事上、ならびに財政上の要求を重ねてきた。父祖伝来の土地であるアイリアルを明け渡し、ただ戦う機械であることを望んだ。それが彼の目指す魔王像であったとしても、容認するのは困難だった」
「アイリアルとその軍隊を接収しようとしたんだな」
「君……」
「リュウだ。今回は理由があってアルビオンの使いをやっているが、僕は極めて中立的な立場だと思ってもらいたい」
「『雷声シャノン』とともに旅をしていた賢者がそう言う名前だったな」
シャノンがそのように呼ばれるのを、僕は久しぶりに聞いた気がする。彼の美点として、声が大きいことがあった。それは単純な技能のように思えるが、リーダーシップという点ではこの上ない効力を発揮する。
この世界でも僕がいた世界でも、フォローミー、「俺に続け」は常に部下を心酔させる行動である。シャノンは生まれが高貴な家柄であったためか、貴族的な義務を果たすことに熱心だった。彼は困難に率先して立ち向かうという意味において、まさに勇者だった。
「ああ」
その懐かしさを噛みしめるように、僕は目を細めた。
「かつて賢者だった」
「すさまじい力を持っていたと聞く。この街を丸ごと消し去ることも、不可能ではないだろう」
「不可能ではない。ただし、現実的でもない」
これは謙遜でもなく、全くの事実だった。さすがにある程度の規模の街を破壊するとなると、一個の城塞を破壊する以上の魔力を消耗するのだ。たとえルテニアのローレンス城を容易に壊せても、アイリアルという広範な地域を「地ならし」するのは簡単にはいかない。だが、できないこともない。
「アルビオンはどのような要求を持っている」
「シェルドン、エンリケ、ディー。三名の支配権の剥奪」
「死ねということだな」
いや、と僕は即座に否定した。なぜなら、そこまで可能性を限定する必要がないことを知っていたからだ。
「アイリアルについての実効的な支配力を失うだけでいい。そのために、わざわざ死を選ぶこともない。例えば、現在の地位から退いて、田舎に隠棲するのもいいだろう。アルビオンはその可能性を残している」
「どうかな。彼のことだ。必ず我々に向けて刺客を放つだろう」
ありえる話だった。アルビオンが周到な人物あるならば、間違いなく「地縁血縁を持つ輩」を生かしておくことはないだろう。
「その可能性がある。だから、僕は提案する。君たち三名を、僕の勢力で匿おう」
「勢力とは」
「人類領域の都市、ロンドロッグの近くにチャンドリカという城がある。今はそこに、全く新しい組織を築こうとしている。君たちにはそれを助けてもらいたい」
「チャンドリカ……人形城か」
「説明が省けて助かるよ。そうだ。人形だらけの城は生きていて、これからかの地域に大規模な迷宮要塞を建築する予定だ」
面白い。シェルドンはそう言った。
「夢を見るにはすばらしい環境だ。だが、夢は覚めるものではないかな」
「僕は夢を見ているんだ。その夢が現実になるという夢を、皆と共有している」
「この地でむざむざ死ぬよりは、それもまた一つの選択ではあるか。しかしながら、君の言葉が真実である保証もない」
「そうとも、シェルドン。だから、何ならこの地にいる軍勢すべてを率いて合流してもらっても構わない」
「神、それは」
「軋轢が生まれるかもしれない。しかし、僕が目指すものはアルビオンの理想の姿に程近いものがある。種族の別なくゆるやかに過ごせる理想郷の建設」
プラムを制してまで続けた僕の言葉を受けて、シェルドンが椅子に座り直した。
確かに、アイリアルの軍を丸ごと頂戴するというのは虫がいい話であり、あるいはチャンドリカに余計な争いの種をもたらす行為かもしれない。それでも、そんなデメリットを埋めて余りあるメリットがあると感じていた。
「この世は不平等だ。それでもなお夢を見るのかね」
「この世は不公平だ。だからといって、不平等と決まったわけでもない」
そうか、とシェルドンはこぼした。静かに、長く息を吐く。まるでドラゴンが谷の底で息をしているかのようだった。
「私はその夢を見ることができる。だが、我が弟エンリケと我が息子ディーは違う。すぐに承服することはないだろう」
物分りの良さから、僕は裏の事情を垣間見た。ルンヴァル一族の蜂起というのは当主であるシェルドンではなく、弟のエンリケと息子のディーが主導して行っているのではないか。おそらく、この推測は当たっているものと思われた。
ならば、話はそのような形で進めるべきだ。
「エンリケとディーはそこまでアルビオンを恨んでいるのか」
「我々が立ち上がれば、必ずや各地の反アルビオン派が一斉に蜂起すると信じている。バカバカしい。内諾を得たわけでもないのに、そんなことに期待するのは自殺行為だ。たとえ内諾があったにしても、実際にスカラルドの親衛隊が動けば、蜂起をためらう者たちもいるだろうに」
「なぜ二人はそこまで強硬になれる。軍事的、または経済的な後押しがあるのか」
「両方、ある」
シェルドンは親指と人差し指で目頭を押さえた。まるで見たくない現実をすべて覆い隠してしまいたいと願っているようですらあった。
「人間かな」
「人間だ」
その短い答えで、僕は何者かがこの「ルンヴァル一族の反乱」を支援していることを確信した。もっとも、アルビオンはアルビオンで、取り潰すいい理由ができたくらいに思っている可能性がある。
だとするならば、シェルドンたちは被害者という見方もできたが、反乱を画策したことに変わりはないとも言える。
では、黒幕は誰か。最も考えやすいのは対魔族を標榜する人類国家だ。シェルドンもそう言っている。魔族が相争うことは人類にとっての利益になるわけで、ここに来てようやく工作が実を結んだと言えるだろう。
ただ一方で、魔族側に黒幕がいる可能性も否定できない。アルビオンとしてはルンヴァル一族のような土豪は潰してしまいたいはずなのだ。土着勢力を一掃した後に待ち構えているのは、きらびやかな絶対主義への道である。その点において、人類と魔族の利害は一致している。
結果として考えられるのは、人間と魔族が共謀して今回の騒動を演出しているというものだ。ならば、彼らの意図を挫くことは困難を極める。であればこそ、僕という中立的な立場が利益を得ることが、最大の反撃になり得るとも言えた。
つまり、シェルドンたちの勢力を丸ごといただいてしまうのだ。
「聞かせてくれないか。君たちを支援している者の名を」
「我々を支援しているのは……義賊ロジャーだ」