第一話
始めて彼が意識してスキルを使ったのは、およそ五年前の事である。
「おい、何か食い物をよこせ!」
(え、何この人達怖い)
人間領と魔王領、その境目に位置する森に家を構えていたヴィルヘルム。長年両者が争っているという事実など露知らず、日々森に現れる獣を狩ったり、果実を採取する事で自給自足の生活を送っていた。
両親も物心ついた頃に失い、それからは人らしい人と話すことも無く、毎日同じようなルーティーンで糊口を凌ぐ日々。軒下に巣を作った小鳥達が唯一独り言をぶつけられる先であり、寂しさを紛らわす唯一の方法でもあった。
偶に森で人影を見つけても、『アア……』としか話さないような腐った死体だったりしたが、なんだったら人が居たんだと一周回って感動する位には人に飢えていた。
つまり、到底コミュニケーションが取れるような状況には無かったのである。必然的に、彼のコミュニケーション能力は日を追う毎に下がって行った。
そんなある日、ドンドンドンと木製の古くなったドアを叩く音が部屋に響く。はて、この森にノックをするような知能がある奴はいなかった筈だと思いつつドアを開けると、そこに居たのは見たこともない金髪の青年達だった。
「聞こえなかったのか! さっさと飯を寄越せ、俺たちは選ばれし勇者なんだぞ!」
勿論、聞こえているが関わり合いになりたくない輩であった為声も出したくないだけである。人寂しいのは事実だが、誰でもいいと言えるほど悪食でもない。
とはいえ、彼のレベルではとっさに気が利いた返しが出来るわけもなく。だからといって敵意丸出しで迎えるというのも躊躇われた結果、彼が行なえたのはだんまりを貫くというコミュ障丸出しの対応だった。
元々気性が荒い青年達。更にそこへ空腹が加われば、些細な事にも腹が立つ。玄関先で立ち尽くすヴィルヘルムに無視をされていると感じたのか、苛立ちながら彼を突き飛ばそうと手を伸ばす。
「チッ、もういい。さっさとそこをどけ!」
しかし、幾ら相手が怖くとも無抵抗でいる訳にはいかない。伸ばされた手を思わず掴むと、勇者はジロリとヴィルヘルムを睨む。
「ああ? テメェ、勇者の俺に逆らおうってか?」
「……去れ」
ようやく絞り出せた言葉がその二文字。彼からしてみれば『帰って下さいお願いします』という意味を込めているのだが、言葉とは難しいものでいくら意思を編めても伝わらないことの方が多い。
ヴィルヘルムの言葉を実質的な宣戦布告、喧嘩を売られたと解釈した勇者はすぐさま激昂。掴まれた手を振り払い、そのまま拳を振り上げる。
「テメェ、舐めんのも大概に……ドッフォ!!?」
次の瞬間、抵抗して手を出したヴィルヘルムにより彼は星になった。
「だ、ダリル!? この、やりやがって……グフゥ!!?」
「てんめぇ、何しやがった!! ……ゴハァ!!?」
仲間の敵討ちにと襲い掛かってきた残りの二人も、腕の一薙ぎで遥か彼方に吹き飛んでいく。
一瞬。無我夢中で繰り出した両手は、男達に弁解の暇すら与えず、強烈な一撃で相手を葬り去ってしまったのだ。
気付けば先程までいた男達は遥か空の彼方。あっという間に唯一の話し相手を失ってしまったヴィルヘルムは、遠くを見据えながらポツリと呟く。
「人は、脆いもんだな」
悟った仙人か、あるいは人間の心を持ったまま生まれた化け物みたいな事を言うヴィルヘルム。目を明後日の方向に逸らして自分は関係無いとでもいう風に構えているが、やったのは紛れもなく彼だ。
勿論、彼らは仮にも勇者達である。幾ら態度が付け上がっていたとしても、勇者として選ばれるからにはステータスランクは勿論SSS。どれだけ彼らが油断していようと、疲弊していようと、ステータスオールE−のヴィルヘルは、逆立ちしても本来なら勝てる相手ではない。
しかし、現に勇者達はヴィルヘルムの一撃で吹き飛ばされた。勿論これは偶然ではなく、ヴィルヘルムの所持しているスキルが発動したからに他ならない。
《ジャイアント・キリング》。相手とのレベル差があればあるほど、自身のステータスをプラスするという強者殺しのスキル。幼い頃から過酷な環境に身を置いていた彼は、そんな生活を送る中でいつしかこのスキルを獲得していたのだ。
だが、彼はスキルを手に入れた事自体を知らない。勿論スキルの恩恵により、狩りをする際にステータスが底上げされ随分とやりやすくなっていたのだが、その事実を『なんか最近は調子がいいな』で見過ごしてきたのである。
彼の無精と話し相手がいない環境が合わさった結果、ヴィルヘルムは自身の異常性に一切気付かないまま育ってしまったのだ。
◆◇◆
「お疲れ様ですヴィルヘルム様! 本日のご活躍も大変参考になりました。流石人の身にして魔王軍の幹部を務めるお方、勇者などものの敵ではありませんね」
「……ああ」
時は戻って現在。いつも通り斬鬼からの賞賛を受けつつ、期待が重いと言葉少なに返事を返す。
あれから無礼な勇者が訪れる度にワンパンで撃退、ワンパンでお星様を繰り返している内に、付いたあだ名が《瞬刻》。一瞬を刻む間に既に敗北しているという、過去の勇者達の経験談から付けられた名前である。
結果気付けば人類の敵認定。あれよあれよという間に居城と部下まで用意されて、知らぬうちに魔王軍の幹部にまで。これが全てヴィルヘルムの与り知らぬ内に起こった出来事だというのだから、知った時の彼の衝撃は凄いものだった。
本日訪れた勇者パーティーも無事ワンパンで追い返し、今日も人類の敵としての段階をまた一歩進めたヴィルヘルム。噂もだんだん独り歩きを始めており、最近は三千年生きている不老不死の吸血鬼だとかなんとかという噂もある。完全に横にいる斬鬼と混じっている。
耳や尻尾があれば忙しなく動いているのではないか、という斬鬼の様子を横目で伺いつつ、静まり返った居城の廊下を進む。
ちなみにこの城、住んでいる者はヴィルヘルムと斬鬼の二人しかいない。魔王からすればこの二人だけでも戦力過多なのであるが、それを理解していないヴィルヘルムはブラックな職場だと眼のハイライトを消しながら日々の生活を送っている。
「目にも留まらぬ速さの一撃……そして一切の抵抗を許さないそのパワー。まさに二つ名の《瞬刻》に相応しい立ち回りでした! 私、この身が昂ぶって仕方ありません!」
「そうか」
いくら魔族といえど、見目だけは麗しい乙女である。先ほどの闘気に当てられて、顔を赤くしながら興奮する様は実に艶かしいと言える。
とはいえ、そこでどうこうするほどヴィルヘルムには度胸もやる気も皆無だった。言葉少なに返事こそしてみせるが、内心では早く戻って寝たいという欲望しかない。対人経験の無さから、一周回って鋼鉄の精神になったとでもいうのか。
「ああ、もう我慢なりません……ヴィルヘルム様、一つ今夜お相手を願えますか?」
上気した表情で、僅かに目線が上のヴィルヘルムを見上げる斬鬼。勿論今夜のお相手というのは只の手合わせの事である。決してそれ以上の疚しい意味は無い。無いったら無い。
「……今日は無理だ」
「そ、そうですよね……無理を言ってしまい申し訳有りません」
露骨にシュンとする斬鬼。さしもの鈍感といえど麗しい女性にそんな顔をされて思うところが無い訳では無い。だが、そういった手合わせを受けるわけにもいかない事情が彼にもあった。
彼のスキル、《ジャイアント・キリング》は一切の加減が効かない。ゼロか百かという両極端な発動条件であり、ステータスオールEの超絶クソザコ状態で戦うか、超強化が施され大体の相手をワンパンで終わらせられる状態になるかという二択しか無いのである。
無論、達人の領域に足を踏み入れればそれを上手く扱うことが出来るのだろう。だがあくまで人より少し狩りが出来る一般人でしかないヴィルヘルムには、そのような芸当は不可能であった。
そんな斬鬼の様子に若干の罪悪感を覚えていると、唐突にヴィルヘルムの腰に提げられた紫の石が光り輝く。
「む……」
「魔王様からの招集ですか。最前線に立つヴィルヘルム様も呼び出すとは、余程の異常でも起こったのでしょうか」
面倒臭い。一切顔には出さずそう思ったヴィルヘルムだが、魔王は仮にも上司である。居住地も(半ば無理やり)与えられ、職業も(ほぼ無理やり)与えられたのだから。
……従う必要もなさそうだが、それでも一応はヴィルヘルムの上司、そして一国の長である。命令違反でも犯してみれば、禄でもなく面倒なことになってしまうのは目に見えている。
仕方なく自室へ進めていた歩みを止め、魔王城へと移動する転移魔法陣が設置された部屋へと向かった。