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1.5 調理係の子供

 どんな人が来るのかたずねようと息をすったところで、視界のすみで戸がひらいた。ふかくフードをかぶったあの方が出てきた。両手でフタつきの茶碗がのる盆をささえながら、トロトロ近寄ってきた。右手には手袋がしてあった。


「溶きタマゴと赤ナスの蒸しものです」


 給仕は前回のときよりもえらく流暢に言葉をならべていった。どこにもビクビクしているようなそぶりはなかった。盆を胸のところでだきしめるようにして、おじぎさえした。


 トゥエンはマーターと目をあわせて首をかたむけるばかりだった。彼はたずねることをわすれていて、マーターはウワサの話題をつづけようとしなかった。おのおのの酒のアワだけがゆったりとのぼっていった。


 妙な空気の店内に、また給仕が入ってきた。手にもっているのは盆と手袋ではなくて、一杯のグラスだった。グラスのなかはうっすらと赤っぽい色あいで、グラス側面には、やはりというべきか、アワがしがみついていた。


 頭に注目すると、給仕はフードをとっていた。しかしそのかわりに、あみものの桃色帽子をすっぽりかぶっていた。耳をかくしてしまうほどの深さまでいっぱいにかぶっていた。


 トゥエンはふぬけた目を彼女にむけた。


「あの、となりに座っても、いいですか?」


「あえ、ええ、構いませんが」


「ジーンさん、ちょっとお話しさせてもらってもいいですか?」


「まあ、うん」


 給仕は料理の左どなりに自身のグラスをおいて、それからイスに腰かけた。トゥエンに目をあわせると、ほほえみを投げかけた。


 トゥエンにとってしてみれば、このときがはじめて給仕の顔をみたときであり、女であることを確信したときでもあった。子供のようなアゴの形、唇にぬられた口紅のあかるさ。たがいに肩がぶつかるかぶつからないかの距離でなんとかとらえたのだ。やはりというべきだろう、しかし、あまりにも暗くて細かいところまで見ることができなかった。


「ええと、わたしはクレシア・ウェルチャといいます。知っての通り、ここで給仕を」


「トゥエンとよんでくだされば」


「はい、トゥエンさん。あの、前にきてくださったとき、話しがしたいっていってくれて、ありがとうございます。その、はじめてのことだったから、びっくりしてにげてしまって、そのことはすみません」


「女性の給仕となれば、そんなことはざらにあるのでは」


「ここにいらっしゃるお客さんにそんな方はいませんでしたし、何より、わたしが、正直なところ、接客はキライで」


 人を相手にするのがいやでどうして給仕をしているのか。あべこべなクレシアを分かろうと、トゥエンは頭をはたらかせた。いやなことでもしなきゃならないというのだから、いわゆる『家庭の事情』があるのかもしれない。それだったら、彼女にはわるいが、給仕をするよりも売春でかせぐほうが事情をどうにかするにはよい。


「接客はおきらいですか」


「もうしわけない話なのですが」


 売春も人を相手にする仕事だと気づいたトゥエンは、かすかに首を横に振って、蒸しものに目をおとした。クリーム色の生地にひと口大の赤ナスがのっかっているという簡素なな見た目だった。赤ナスのほかに浮かんでいるものはなく、そしてすもなかった。


 蒸しものとトゥエンとの間にある視線をみつけたクレシアは、見つめあっているさまをまじまじとみつめ、ひよわな声で、あの、とつぶやいた。


「もしかして、赤ナスはおきらいですか?」


「そうではないです。さいきんそういや野菜たべてないなアと思いましてね」


「まあそれは不摂生な。でしたらここで野菜やお肉をたっぷり使った料理を出しましょう」


「いや、お気になさらずに。明日にはきっとちゃんとした料理をたべてますよ」


 それでも炊いたあずきにネギやらコショウやらをかけてたべてしまうのだろうと半分思った。トゥエンはまた、彼女はきっと人を相手にすることが決してきらいなわけではないだろう、とのこり半分の頭で勝手に推測していた。ほんのちょっとの言葉の投げあい、人嫌いなところはどこにもなかった。それどころか、ほとんど知らない人にたいして身を案じている彼女が、トゥエンにはどうも、人相手に何かをするのがすきな風に思えてならなかった。彼の食事を気にするクレシアは、まぎれもなく人とちゃんと話そうとしていた。


 トゥエンはおもむろに手をスプーンへ運び、タマゴ色をすくい、蒸しものを口におさめた。すくったなかには具は何も入っていなかったが、その味は家で作ったらこんな感じだろうというものだった。まとめてしまえば、平凡な味だった。


 しかし、トゥエンは平凡な味をよく知らなかった。自分の舌はあてにならないと自覚していた。舌がまずいとおもってもそれがおいしいのだといいきかせている。おかしいのは味ではなく舌だと信じていたから。


 だから、どこにもありそうな味を、トゥエンはおいしいといった。けっしてお世辞ではなかった。


「とてもいい味だと思いますよ」


「ありがとうございます、お気に召したようで」


「はい、家で作ったらこんな感じだろうなって」


「それって、ありきたりな味ってことですか?」


「いえ、安心できるんです」


 トゥエンは木をけずって作られたスプーンを椀のへりにおいた。自然にグラスへと手がのびたが、彼はやめた。口のなかにのこっているクレシアの料理が、マーターの酒でながされてしまう。まだ彼女との時間を楽しみたかった。そこで気になってきたのが、クレシアがもっているグラスだった。


「ウェルチャさん、そのグラスにあるものはお酒ですか」


「いえ、メルヒェンドの水にざくろの|シーペ《シロップ》をまぜただけのものです」


「そうでしたか。となると、お酒は苦手なタチで」


「別にそういうことではないのですが、たまにしか飲みません」


 クレシアが下をむいた刹那、ほかに話したいことがあったのかもしれないと、トゥエンは不安になった。ほんのちょっとしか話をしていないのに、そこまで考えることができるようになっているのはさすが騎士団を指導する騎士といったところだ。が、何を話したいのかは、騎士でさえも分かるものではなかった。


「あの、先ほどお話しされていたことなのですが」


「ああ、獣人のこと」


「すみません盗みぎきしてしまって」


 若い女性の口からそのような言葉がでてきて、トゥエンの顔は豆鉄砲をくらったかのようだった。まさかこれを話したかったのか? と信じられないきもちになったが、話のタネがたっぷり入った引き出しは、どれも鍵がかけられてしまっていた。ただ獣人ネタの引き出しだけ、不用心に開けっぱなしだった。


「何をききたいのです」


「獣人って、どう思います?」


「とっぴょうしもないことをたずねられるのですね」


「すみません、獣人の話をされてたので、つい」


「獣人ですか、まあ、飲みながら話をしましょう」


 かくいってトゥエンがもつのはグラスではなくスプーンだった。蒸しもののなかでちょこんと頭をのぞかせている赤ナスにつきたて、黄色いプルプルもいっしょにすくいあげた。すいこむようにして口にいれた彼は何度かかんで、胃に送った。わざとらしくアツそうなそぶりをして。酸味がまたなんともいえませんなア、とクレシアに笑みをなげかけて重苦しくなった場を和ませようとした。クレシアの口元は、けれども、かたいまま。


「ざんねんながら、獣人のことは人間と同じようにとらえています」


「人間と同じ、ですか」


「はい、『獣人は地より生まれ、人間は天より降臨せり』なんて一節が、ルトーシェの教典のものなんですが、あるわけですけれども、天も地もかわらないんじゃないかなと。けっきょく、人である獣人も人間も、同じ場所に暮らすことになったわけですから」


 クレシアはかすかにトゥエンの方を向き、あいづちをつぶやくだけだった。まえに顔を戻して、飲み物を見下ろしてから飲む姿もまた、あからさまにこなれていない、ぎこちなかった。


 やはり政治的で繊細な問題は、酒の場で口にすべきではなかった。


「この話題はむずかしいものですし、このような席ではやめておくべきでしょう。ですから、別の話題にしません? そうですね、趣味とかはいかがです?」


「趣味、ですか」


「ええ趣味です」


「趣味とよべるものかどうかは分からないんですが、料理を考えることですかねえ」


「立派な趣味じゃありませんか」


「ですが、注文がないかぎりしません。それを趣味としていいのか」


「十分ですよ」


 トゥエンはすくった。プルプルのかげにようやく赤ナス以外の具を、鶏肉のかけらを見ることができた。


 でしたらトゥエンさんはどうなのですか、とクレシアがグラスから口を話してささやきかけた。口角がほんのり湿り気をおびていて、そこにわずかな明かりが反射して、すいこまれてしまいそうなぬめりとなっていた。


 トゥエンは視線をぬめりから逸らすことができないまま、スプーンをたべた。


「基本的には金属にさわってることですかね。ですから小さいころは親に無理いって鉱山につれていってもらいましたよ。そこから剣、剣術とか鍛冶っていうものになって」


「ですから剣術と鍛冶なんですね」


「ですが、いまは剣術を使う機会はないんですね。使い道といえば、王宮騎士団をきたえることだけです、弟子になりたい人がいるというわけでもありませんし」


「王宮騎士団ですか」


 おもいっきりグラスをカウンターにたたきつけた。そのせいでのみものがこぼれて彼女の手をぬらして、カウンターにつたっていった。早口ぎみの言葉であり、驚いているようにも、怒っているようにも聞こえた。


 明るい調子ではなく、だからといって、クレシアの口からとびでた言葉トゥエンを攻撃しようという気迫がなかった。怒っていないのだからびっくりしているのだけれど、よい方向でのそれというわけではないのは顔を見なくても分かる。すこしでもそのネタを言葉にしてしまえば、しかしクレシアの表情がくもってしまうのはまちがいなかった。


 トゥエンはスプーンを椀のうえにのせた。話題をかえなければ。


「ところで、クレシアさんには興味のあるものってありますか? ほら、料理と金物って関係ありますし」


「興味があるもの、そうですねエ、トゥエンさんがどんなものを作ってるのか、なんていうのはどうでしょう。トゥエンさんの言い方だと、料理道具も作っているのでしょう」


「作ってるものですか? 何かを切るためのものであればだいたい作ってますよ。剣はもちろん、訓練用刀剣に包丁にナタに、そんなところでしょう」


「多才なんですね」


「このぐらいはどこの鍛冶もやることです。それよりも、みるだけで足がすくんでしまうような、そんな剣を作ってみたいものです」


「ではその剣、わたしにイチバンで見せてください」


 クレシアが首をかたむけながらも笑いかけた。笑んだ口もとは世界がとろけてしまうほどにやわらかだった。口角のぬめりもあいまって、あらゆるものをすいよせてつつみこもうとしているかのように訴えかけていた――さあおいで、といわんばかりに。トゥエンは耳もとでささやきかけられたような気がして、首をのばして顔を近づけていった。


 どうかしたのです、というしとやかな声にはっとした。背中が声におののいて、びくんと頭がひきもどされた。身勝手な想像だった。


「すみません、何も」


「でしたらいいのですが」


 クレシアはグラスの中身を一気に飲みほして、イスを立った。


「ではわたしはそろそろ」


「話しをしてくれてありがとうございます。あと、お礼にこれを」


「金貨だなんて、そ、そんな、おきもちだけで十分ですよ」


「これで何か料理の材料や道具をかってください」


 クレシアはもっとも高価な金貨を前にしてあたふたした。マーターに救いを求める目を送るものの、うなずきをかえされるだけだった。おそるおそる、こきざみにふるえる手をのばし、金貨を手にした。金貨の手を胸の谷間におしつけて、これ以上ないほどにお辞儀したかとおもうと、走って扉の奥へいってしまった。


 トゥエンは何が起きたか分からなかった。金貨を見た瞬間に動揺して、手をふるわせてしまう彼女を頭のなかでおもいかえしながら、赤ナスを口にした。


「いまお客さんがわたしたのは、アークレイ金貨じゃありませんか」


「ええ、そうです」


「アークレイ金貨っていったら、貴族が使うような高価なものじゃありませんか。いったいどこからそんな」


「先日、鍛冶の報酬で王宮騎士団からぶんどったんです」


「そんな大金、彼女にわたしてもよろしいのですか?」


「あと四枚ありますから」


 トゥエンは椀に指をのばして、熱くないかどうか腹でたしかめた。スプーンをプルプルにつきさしてぐちゃぐちゃにすると、椀をつかんでながしこんだ。赤ナスと鶏肉以外は、ぜんぶが胃におさまってからも見つからなかった。


「お客さんが王宮騎士団とつながりのある人だとはおもいませんでした」


「マーターがジーンという名前だともおもいませんでした」


「なるべくいわないよういってるのですが、あの子ったら。で、どうなんですか? 王宮騎士団ははぶりがいいんですか?」


「まちまちだとおもいますよ。騎士団にとって剣はたとえ訓練用でも特別大事なものですからひときわ高いわけですし。もしかして、メルヒェンドの水をうりこみにですか?」


「いえ、そのつもりはありませんよ。王宮にはあいたくない人がたくさんいますので」


 トゥエンは、マーターがどうして獣人の情報を知りえたのか、ここにきて察した。王宮につかえる『人間』のうちにあいたくない人がいるということは、ひっくりかえせば王宮に出入りしていたことがあるということになる。あいたくない人がいるという限定的なものいいには、あってもいい人はすくなからずいるということだ。ようやくいっぽんの筋がとおって、トゥエンはクレシアの笑みがずっとそそがれているような満足感にいっぱいとなった。


「そういえば前に、騎士の指導をしていた、ともおっしゃっていましたが、それももしや騎士団ですか?」


「はい、そうです」


「そうなると、有能な騎士もいることでしょう。どうですか?」


「心はまだおさないですね。もっと心が強くなければ、もちろんこれは新人の話ですが。そうですねえ、中隊長ぐらいになれば強いっていってもいいかなってぐらいですよ。それでも『おさない』人はいますし」


 トゥエンは手にするものをスプーンからグラスにかえて、アワの見えなくなった酒を口にする。待っていましたといわんばかりにアワがうかびあがって、トゥエンの唇をつっついた。


「食事にあわせて作ったつもりなのですが、あの子にぜんぶもってかれましたね」


「すいません、ついつい」


「そんなにあの子の作る料理はおいしいですか? ほかの常連さんも、正直なところわたしも、ごくふつうの味のようにしかおもえないのですが」


「ふつうの味が、一番おいしいです」


 半分以上のこっている酒を喉の奥にながした。そうしてからグラスの底をのぞきこむようにして、中に何もないことを見た。カウンターにおいて、椀のとなりにならべた。今日はこれぐらいに、といいつつ、トゥエンはグラスの横に、ヒェルイ銀貨を数枚ならべた。

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