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1.3 シモフ

 朝になった。


 白く濁った丸い板ガラスが何十個も並んでいる窓から光が差し込んでくる頃には、トゥエンはすでにうごいていた。かなり分厚い綿のチュニック、それも膝をかくすほど長いものを着て、背中は汗でぐっちょりだった。剣を焼くための炉――火床にはもう火がいれられており、中をのぞきこむだけで熱がおそってくる。トゥエンは時々炉に備えつけられたふいごで空気を送り、熱がより高くなるようしていた。


 トゥエンの左横には剣が十本以上並んでいた。右側にすこし離れたところには、黒い色あいをした剣が十本ならべられている。剣先から柄頭まで、全てが金属で作られていた。左手の刃は焼きなましをすませてこれからきたえるもので、右手は仕上げの前まで終わっているものだった。


 トゥエンが朝一番でこなさなければならない仕事は、その剣をきたえなおすことだった。ただしそれは切れるようにできているものではなく、だからといって部屋に飾るものでもない、むしろ真正剣よりも地味である。それらは王宮を守る騎士団が使う訓練用の剣だった。切れないこと以外すべてが本物とかわらない。むしろこれだけでも撲殺ぐらいたやすい。


 水をためたしかくい鉄の釜、剣を叩く台と金づち、火床をトゥエンはそれぞれを目で確認してから、二十三本目の剣をとった。刃の、特によくぶつかりあうところが焼けるよう火床につっこんだ。真っ赤になってからは、まず表面の不純物をとるために叩く。


 叩く。


 叩く。


 剣を金づちでうつたびにたくさんに火花が散り、トゥエンの服にとびかかった。しかし気にとめずにつづけ、邪魔なものがなくなってからは、補強の鋼をそえて焼き、鋼がなじむよう、形をととのえながら叩く。最後には一気に冷やして組織をかたくする。これを何度もくりかえさなければならなかった。


 トゥエンは鉄とのやり取りを面倒とは考えていなかった。むしろ何も考えていなかった。ひたすらに赤く熱せられた剣をにらみつけて、ここぞというところでひき抜いてたたき、火床に戻す。ふいごで火の力を強くして、刃を赤くして、叩いて、砂をまぶして、鋼をそえて焼き、鋼が赤くなったところで叩いて一体化させる。むだなうごきもむだな思索もない、給仕の姿さえもが彼の無心に追い払われていたのだ。たまに桶の水をかえるけれども、それでも彼女が顔をのぞかせることもなかった。


 夕方になった。全ての剣の焼き入れを終えた。火床とは別にある炉とその上のしかくく浅い釜。釜の中いっぱいの油を使って仕上げをするところまできていた。炉の火は消した。火床で温めた剣を熱した油の中に入れ、あとは油もろとも常温に戻るのを待つだけだった。


 トゥエンはというと、いまにも死にそうな顔をしてイスに座っていた。胴体はテーブルに任せていて、手がその下でぶらぶらと揺れた。独り言、


「はやく冷めないかなア」


、と独り言を漏らして、腰をあげた。


 油の中でおぼれる剣の様子を眺めていたら鈴がなった。どこの鈴かといえば、戸口につけてある、トゥエン自作のもの。


「おオいトゥエン、きたぞオ、しかしあいかわらず熱いな」


 中に入るなりそう声をあげた男は、黒く染めあげられた、この時代ではかなり貴重なスラックスを履いていた。シャツには貝殻で作られた基調そうなボタンが輝いた。そのシャツの上から腰に帯をまいて、剣をさげていた。


 トゥエンはというと、男を見ることもなく、油を見ていた。とはいえ意識はしているようで、ちょくちょく目を左側に向けていた。


「シモフよお、仕事はどうしたんだよ仕事は」


「今日の仕事はもう終わった」


「で、なんの用でここにきたんだよ」


「別に理由なんかないが、じゃあ、王宮の中じゃやることがない、とでもしとこうか」


 そりゃあいい、トゥエンは男にようやく振りむいた。目のゆく先はシャツの右胸にある紋章の刺繍だった。一羽のタカを真ん中にして、そのまわりを剣が取り囲んでいた。アストヴァイシャ王国の王族であるハプスブーグ家のタカの紋章を基に、いくらか手をくわえたものだった。


「で、きのうの騎士団の新入りについてだが、どうだった、指導してみて?」


「そうだな、オレがいえることは、技術に関してはオレが教えるほどでもないってこと。技術はシモフから教わる方がいいだろうな。でも、心構えについてはまだまだたたきこまなきゃいけないことはたくさんある、王宮騎士団団員としてじゃなくて、剣にちかいをたてた一人の剣士として」


 トゥエンは剣の焼き入れに使ったしかくい水だめで手を洗いながら、口をとめることはなく、新入りの心構えを述べた。彼は剣士の指導をしているといえども、技術を教えることを主としていなかった。剣での戦いにおける理論や心構えなど、またいくつかの大きな壁を考えさせる。大きな壁というのは、具体的に、自分が国のしていることが正しくないと思ったときどう行動するか、ということを考えさせる。要は到底起きることのない極限に身を置いたときのことを考えさせるのである。


「正直なことをいえば、新入り全員が『国は正しいから従う』って答えたことには心底失望したよ、今年は冗談ぬきでだめ」


「それを忠誠心としてとらえてほしいな」


「本当の忠誠心はそれとはちがう。単に何も知らないだけさ。シモフはどうだよ、オレが間違った道に入っても、オレが親友だからって見過ごすのか?」


「トゥエンが正しいと信じるならな」


「オレは新入りにその答えを期待してるんだ。お前だってそろそろ小隊長になれるだろ、そんぐらいのオレの意図、すぐに見抜いてほしいな」


 トゥエンは水だめの横からでべそのようにつきでたコルク栓を抜いた。派手な音をたてて湯が飛びだし、湯は床に掘られた側溝へ、湯から噴き出すたくさんの湯気は部屋中にたちこめていった。 ひとり湿り気から離れたところにいるシモフを見たら、彼は天井近くまでのぼった湯気を、口をちょっとばかり開けて見上げていた。いつ見てもすごいなア、とボソボソいっていたが、トゥエンにはその光景がマヌケで、栓がぬけたように笑った。


「おいなんだよ、急に笑いだして」


「お前が湯気を見上げるその顔がマヌケで」


「うるせえな」


 シモフの声にひそんだイライラを無視して、トゥエンはニヤニヤとしながらテーブルに歩んでいった。彼にとってしてみれば、ヌボーっとした表情も、イラッときた表情も、同じおかしなものでしかなかった。それに、イラッとしているのは見るだけでわかるが、シモフがこの程度のひやかしで人を殺すような騎士でないことを十分に理解していた。そもそも、理由がないのに来ることはありえない、ということも。理由がないと言い張っても、何かしたいことがある、ということも。


 シモフとむかいあうようにしてトゥエンはイスに座った。ぬれた手をチュニックの布地でぬぐい、ぬぐったその手で服をひっぱった。背中は鍛冶の熱で汗びっしょりだった。顔にはしかし汗はなく、その代わり真っ赤だった。


「で、何か話したいことでもあるんじゃないのか?」


「まあな。最近の獣人たちのうごきだよ」


「なに、また大虐殺するつもりか?」


「なあ、頼むからそういうことをいうのをやめてくれ。俺とお前では獣人に対する考え方がちがうのはわかってるだろ? それをぬきにしてはなしたいんだよ」


「じゃあそうしてくれ」


「じゃあそうするよ」


 トゥエンは、シモフが獣人の動向について話している間、さっき火を閉じこめた釜をずっと見ていた。ずっと頭に浮かんでいるのは、獣人たちの死体の山だった。ハプスブーグ王家の名のもとに虐殺された獣人たちのあわれな姿。その残像がおそろしくて目をつぶった。なぜ人間は獣人を差別しなければならないのか、トゥエンには分からなかった。


 さらにトゥエンが気になっているのは、外から聞こえはじめた抗議の声だった。獣人たちが人間と同じ立場であるべきだという言葉が響いてきた。一人の声、ではなくてたくさんの人がさけんでいるようで、ひたすらに差別を非難して、やめるように叫び続けていた。いちどだけ、人間は獣人よりも劣ってるとの叫び声があったが、一人の声なのか、かなり弱かった。あまり大きい声ではないので、仕事場からは離れたところでやっているらしかった。


 話しがいったんとぎれると、トゥエンは釜から男に目をうごかした。


「ようは、また獣人たちがさぐりはじめているってことだろ」


「たしかにそこもだが、もっと大切なのが、積極的にうごいてる獣人がすくない」


「気づいていないだけじゃないのか」


「それもあるし、本当にうごいてる人がすくないのか」


「そこに名前はあるのか?」


「ひとり、殺戮の女王エグネ。トゥエンがいう『大虐殺』のあとに王国の中隊を二つ殺した女だよ。ただし、いまどこにいるかもわからないし、何をしてるかもさっぱりだ」


「ないのとかわらないじゃないか」


「誰も殺されてないから直接うごこうとしていないことだけはわかる」


 それはちがう、とトゥエンは思った。エグネの力は彼も知っていた。殺戮の女王が長けていることは彼女自身の戦闘能力ではなかった。むしろシモフよりも劣ると予測がつく。エグネの強みは偵察能力だった。変装や潜入については他の追随を許さず、どんなところへも忍びこみ、どんな情報でも手に入れてしまうのだ。その様を、トゥエンは目の当たりにしたことがあった。


 シモフにそのことを伝えておこうかと考えはしたものの、王宮騎士団とて偵察のことは知っているだろうからあえていわず、身のまわりは用心しろ、とだけいうことにした。あまりにも端的で、シモフにはよく意味が分からなかったかもしれなかった。


 実際、シモフは難しい顔をして湯気を見つめて目をぱちくりさせていた。まぶただけが猛烈に動く。十何回としばたいた頃あいになって、


「あんなこと、やってもムダなのにな」


と口を開いた。


「抗議のことか? ムダと知っててもやらなきゃならないほど、獣人は苦しめられてるんだ。そうはおもわないか?」


「どうしてだよ。昔は獣人が人間を差別してたんだろ? その仕返しだ。いいキミさ」


「それはかつてこの地をおさめたカトルーレ将軍が作った嘘っぱちさ。獣人は人間を差別していたことはないし、むしろ受け入れてた。それを人間は、私欲のために獣人の政治を転覆させて、人間の都合のよいようにしたんだ。その最たるのがカトルーレ将軍さ」


「かの名高きカトルーレ将軍をよくもそういえるな、獣人を粛清したあの人を」


「ヤツは虐殺魔だ。オレの体にすこしでもそんな血がまじってると思ったらヘドがでる」

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