第69回「コンスタンティンの正体」
腹は満たされ、時は来た。
今、僕はチャンドリカ城の広場にいる。周りには先日降伏してきたアクスヴィルの兵士たちや、チャンドリカの中にいる魂たちが揃っていて、めいめい楽しそうに話をしていた。いつの間にか幽霊と生きている人間が打ち解けあっているわけで、奇妙な光景には思えたが、きっとこれが「平和」というやつなのだろう。
彼らが集まっていて、しかも僕を遠巻きに見ている理由は目の前にある。コンスタンティンだ。彼がこのように解呪の瞬間を皆に見せたい、ただし危険が及ばないようにある程度の距離を取ってと注文をつけたので、その通りにしてやった。自分から見世物になるあたり、へんてこではある。
ここに来るまでに、気になることがあった。
プラムが僕の袖を引いて言うのだ。
「神、あいつには気をつけろ」
「コンスタンティンか」
僕はすべて想定内だったと言うように、彼女に答えた。
「君には何かが見えているんだな」
「ぼんやりとしたものが。あれは単なる中年の人間じゃない」
「わかっているさ。わかっているとも。だけど、呪いを解けば魔王や僕でも手に負えないような化物が出てくる……ってわけでもないだろう」
プラムはなおも不安と不満を織り交ぜた表情で、僕の目を見た。
「だが、何かがあるとわかっていてやることは」
「経済ではない」
「そうだ」
僕に言葉を取られたが、別に気分を悪くはしていないらしい。彼女は袖を引いていた手を離し、僕より先に歩き始める。
「わかっていれば、いい」
「気をつけるよ。ありがとう」
「さっさと済ませて、スカラルドに行くぞ。それが経済だ」
仰せの通りに。
僕は大げさに答えてから、彼女と肩を並べた。
それからほとんど時を置かずして、この通りにコンスタンティンと向き合っているというわけだ。
「いよいよ君の呪いを解くことにしよう」
僕が告げると、コンスタンティンは片眉を上げた。
「槍がないようだが」
「ああ、槍ね」
コンスタンティンは昨夜の出来事を知らないのだ。わざわざ深く教えてやる必要もないだろうから、僕は自分の胸に手を置いた。
「あの魔力、僕が吸った」
「へっ……とんでもない御仁だ。さすがは兄弟ってところか」
「君に掛かっている呪いがどんなものかは知らないが、きっと打ち破ってみせる」
「頼んだぜ」
僕は手に入れたばかりの力を、まるで本棚に入れたばかりの新品を取り出すかのように、慎重に両手に込めた。
魔法というものは、単純な無から有を生み出す力ではない。むしろ科学と等しく、れっきとした理論の上で成り立っている。その上で習得できるかは、魔法の「構文」とそれを読み解くための「乱数表」を手に入れられるかどうかに掛かっている。
確かに、僕はかつて賢者だった。世界で並び立つものがいないほどの大賢者だ。
それでも、まだ使えない魔法はある。知らない魔法だってある。
なぜならば、その存在を知覚できておらず、またたとえ知り得たとしても、その魔法を自由に使えるとは限らないのだ。
今から使おうとしている解呪の魔法についても、今はまた錆びた槍になってしまった聖女にして魔王の槍に触れるまで、「構文は知っているが、乱数表がないから読み取れない」という状態だった。
これは単語を知っているが、文法を知らないというよりも一段と複雑だ。
例を挙げるならば、「私は・ロンドロッグに・買い物に・行きます」という平易な文があるとする。これを理解できないのは生まれたての赤ん坊くらいなものだろう。
しかし、別言語で学習を始める場合、「私・は・ロンドロッグ・に・買い物・に・行く・ます」と分解して覚える必要があり、さらには正しい順番に並べた上で、文法に応じて活用を行う必要が出てくる。
魔法の場合はこの単語、さらには区切りすらも暗号化されているため、「××××××××××××××××××××××××」という状態になっていると想像してもらえればいいだろう。これでは何も唱えようがない。試し打ちをしてみたところで、何が起こるわけでもない。魔力の無駄遣いだ。あの槍にはこの「×」を解読するための文書が入っていた、と思ってもらえればいいだろう。
かくて、僕はここに魔力式によって、心の内で宣言する。「この男に掛けられた呪い、およびそれに類する封印の一切を解き放て」と。
たちまち僕の両手に燐光が現れ、それはコンスタンティンの全身を包み込む。
今こそ、彼は真の姿を取り戻す時が来たのだ。
ふいに、彼の体が弾け飛んだ。周囲から驚きの声が上がる。
「ようやく元の姿に戻れた……」
そこに立っていたのは、男ではなかった。それどころか人間でもなかった。明らかに魔族の女だった。
しかも、だ。僕の知っている女だ。グラビアモデルみたいに抜群のプロポーションで、常に魅了の魔法を発動させている厄介な敵。紫色の髪。瞳の中に浮かぶハート。すべてが独特なその女の名前は、サリヴァ。
そうだ。かつてシャノンたちとともにムーハウスを解放した時、副官エディンと仲違いさせてようやく倒した相手だった。
いや、今となっては、倒したはずの相手と呼ぶべきだろう。
「久しぶりだな、サリヴァ。生きているとは思わなかった」
サリヴァは僕の顔を見て、とても、嬉しそうに、笑った。それがまたどこか人間の少女のあどけなささえ感じさせるが、これもまた彼女が生来持つ魅了の賜物である。決して屈してはならない。
「やっと会えたよ、兄弟。私の名前を覚えていてくれて嬉しいね」
周囲のざわめきが、すっと静まった。
サリヴァの声にもまた、人を聞き入らせる効果がある。彼女ほど人間の都市の支配者として適した存在もいないのだ。
「もう、待ちくたびれたんだから。貴方に殺されかけて、ますます憎くなった。あのいけすかないエディンの肉を貪って、人間の姿に擬態してまで生き延びた」
「前とは比較にならない力を感じる」
「貴方を超えるため、わざと自分に呪いを掛けた。解かれれば比類なき力を手に入れられるが、解かれなければ一生人間のまま……私は賭けに勝った。今、最高の気分」
大きな胸を張って、サリヴァは僕をじっと見つめた。
「一日一日が、貴方への憎しみを募らせる日々だった。本当に待ち焦がれていた」
「そのために協力者を装ってまで、ここにやってきたのか」
「アクスヴィルでの『小遣い稼ぎ』のつもりが、まさか出会うことになるなんて思わなかったけれどね。運命を感じる。私の星は、やはり貴方とぶつかり合う宿命」
「運命でも宿命でもいいが、僕としては前のままの方が良かったな。僕にいい提案ばかりしてくれたから」
これは正直なところだった。またブレーンを一から見つけなければならない。それを思うと、少し気が重かった。
「あら、貴方は男の方がお好みかしら」
「少なくとも、君は好みじゃない」
「嬉しい。また貴方への憎しみが募る」
「サリヴァ」
プラムだ。彼女が輪の中から進みだして、語りかけている。
「お前は何を望む。神の死か」
「私はただこの人間を憎む。賢者として私を虚仮にしたリュウを憎む。この憎しみが愛でないはずがない」
そいつはずいぶんひねくれた愛だ。僕はもっとわかりやすい愛情の方を好む。
「だがね、サリヴァ。君は失敗したよ」
「失敗。何が」
「実は昨夜、君とほぼ同じ企みをしたやつがいてね。撃退したばかりなんだ」
「な」
サリヴァがよろめいた。リアクションが大げさなので、僕は嬉しくなった。彼女のこういうところは好きになれそうだ。
「つまり、君は完全に被ってしまったんだよ。唐突に出てきて驚かせようとしたんだろうが、プラムは君の不穏な動きに気づいていたし、まあ、何か起こるんじゃないかなって気にはなっていた」
「そんな、今日のためにめちゃくちゃ耐えてきたのに」
あ、ショックを受けている。
そういえば、彼女はこういうタイプだった。かつてムーハウスで戦った時も、こういう感じだったのだ。
「私はどうすりゃいいの。貴方に復讐するためだけを考えて、ここまで生きてきたのに」
「知らん」
プラムの言葉は辛辣だったが、僕は違う考えを持っている。
「僕の立場は知っているだろう。今は魔族と争っていないばかりか、むしろ魔王アルビオンとは共闘関係にある。君とは決して対立するものではない。もっとも、君は僕に個人的な恨みを抱いているだろうから、そこまで否定するつもりはない。ただ、現実を見て判断してほしいというだけだ。ほら、さっきも言った通り、僕らはこれからスカラルドに向かう予定なんだ。一緒に帰ろうか」
「アルビオン様……私は合わせる顔がない。任地を守れなかったばかりか、命令に反して個人的な恨みで逐電してしまった」
どうにもいびつな将だった。人格的には問題があるが、実力的には遊軍を任せたいタイプなのかもしれない。だからこそ、ムーハウスの攻略に差し向けられたのだ。組織で生かすタイプではなく、個人の能力を発揮させた方がいいタイプということになる。
「サリヴァ、サリヴァ=ポル」
「誰だ。私を完全な名前で呼ぶのは」
サマーだった。
彼女は今まさしく軍団長の威厳を持って、毅然と歩いてきていた。
「お嬢様」
おお、サリヴァの口から思わぬ言葉が飛び出た。
どうやら彼女とサマーの家であるトゥルビアスとは、何らかの関係があるらしい。
サマーは茫然とするサリヴァの両頬に手を当て、自分の顔へと引き寄せた。
「私はリュウから信任を受けている。ここで私に従え。貴方が一個の戦士であるならば、ここで何を成すべきかはもうわかっているはずだ。わかっていないのなら、力ずくでわからせる」
「そんな、お嬢様」
「貴方もここに、チャンドリカという場所に夢を見たはずだ。ここには魔王様が求めた理想が詰まっている。だから、今まで人間の姿をしているうちから協力してきた。今朝だってそうじゃないの」
従え、とさらにサマーは言った。
これが決定打だった。堂々とステージに現れたはずのサリヴァは、今や悪いことをして怒られる飼い犬のようにしょぼんとして、サマーに承諾の意を伝えるのみだった。
人も魔も、どういうふうに縁が繋がるかわからないものである。