scene:01 ご主人様は突然に
短い秋が過ぎ、ブリタリカ王国バラスタイン辺境伯領は長い冬を迎えようとしていた。大きく左右に広げられたガルバディア山脈の両腕には既に砂糖菓子のような雪化粧が施され、その下には山脈の
その『チェルノート』と呼ばれる高原は今、山脈の隆起以来初めてと言えるほどの喧噪と活気に包まれていた。
無数の天幕が並び、その間を慌ただしく行き来する騎士や魔導士たち。
そこは竜翼騎士団の野営地。
対帝国の最前線である。
その中を、わたしは走っている。
慌ただしく行き交う騎士たちをすり抜けるように駆け抜ける。自慢の
そこに騎士団の
「お父様っ」
わたしが呼び止めると、
全身を白銀の
「エリザベート、こんな所まで来てはいかんだろう。ミーシャはどうした?」
「お父様、どうかお考え直しください」
「何をだね」
「
父の隣にいた騎士が慌てて周囲を見渡す。騎士団長の娘が弱腰と取られては全軍の士気に関わるからだろう。
けれどわたしは言わねばならなかった。
「なぜお父様が、しかもお一人で帝国と戦わねばならないのですか? ガラン大公やエッドフォード伯爵の援軍を待つべきです。そうでなくても帝国は――」
「エリザ」
父はわたしの口に指を当てて言葉を遮る。
「いつも言っているだろう。王や貴族というものは――」
「――民草の幸せのために戦わねばならない。それが出来るから
父の口癖をそらんじたわたしに父は「そうだ」と
確かに父の信念は理解できる。ゆえに尊敬もしている。わたしもそうありたいと願っている。
けれど、ソレとコレとは違うのだ。
「ですが、だからと言って――」
「ですがも何もない。今やルシャワール帝国軍は目と鼻の先。民が
「お兄様たちもそう言って帰って来なかったのではありませんかっ!」
わたしが語気を荒らげると父は「落ち着きなさい」と笑い、フワフワと癖のある
「心配するな、エリザベート。帝国に騎士はいない。魔獣に乗った騎士もどきが何千何万いようと敵ではないよ。安心なさい。ヴィクトルとグラファールの
言って、父は
見れば、周囲の天幕から
それは千年前から変わらぬ
――そのはずなのに、騎士を持たない帝国は、既に数十の王国騎士を討ち滅ぼしていた。その中にはわたしの兄も含まれている。帝国軍は得体の知れない何かを持っているとしか思えない。
そして父も、帝国が抱える得体の知れない何かに飲み込まれるのではないか。
そうなれば、バラスタインの名を持つ者はわたし一人になってしまう。
わたしは一人残される恐怖に飲み込まれつつあった。
わたしの顔があまりに不安そうだったからだろう。空に上がろうとしていた父は、少し考えこむように
「そうだな。……そう、万が一、お前がひとりで民のために戦わねばならぬ時が来たら、城の蔵を開けなさい。そこに
「万が一なんて
「はっはっは! なに。初代様から受け継いだこの『
従者から受け取った
その姿は確かに勇ましく、千年もの昔、魔王軍と戦った初代ブラディーミアを描いた絵画を
そしてそれが、エリザベート・ドラクリア・バラスタインが見た、父の最後の姿だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
エリザベート・ドラクリア・バラスタインが、
父が死んでから、もうすぐ一年になる。
あの日――竜翼騎士団48騎と、ルシャワール帝国軍三万八千が衝突したバラスタイン会戦にて両軍は大きな損害を
その際に王政府は、帝国がすでに占領下に置いていたバラスタイン平原を含むガルバディア山脈以南を帝国へ
帝国と大貴族たちに食い散らかされたバラスタイン家は、もはや辺境伯とは名ばかりの騎士侯以下の存在だ。
そこに『西の
だが。
それでもエリザベート・ドラクリア・バラスタインは父を誇りに思っている。
騎士と領地を失いはしたが、民を守り、拡大しつつあった戦争を止めたのだから。
たとえ、バラスタイン家唯一の生き残りであるエリザのもとに残されたのが、時代遅れの古城とその城下町だけだったとしても。
その古城――町の名から『チェルノート』と名付けられた城の地下蔵で、エリザはひとつの
父が言い残した『明星の印』の押された棺である。
石造りの薄暗い地下蔵は、その広さに反して物はまったくと言ってよいほど無い。
かつての領地にあったものはほとんどが召し上げられてしまったし、それ以外のものはエリザ自身が生活費のために売り払ってしまったからだ。本当なら天井の
それでもエリザが棺とその中身を売らなかったのは、ひとえにそれが父の形見だからだった。
「まあ、それがまさか
エリザは棺の中から取り出した魔導書をパラパラとめくりながら
いまや蓋を外された棺の中には、等身大の女性型人形が納められていた。白木と球体関節で構成された少し大柄な身体に、軟樹脂の皮が
――だがその価値は
現在では失われた魔導式によって製造された、錬金術師たちの秘技の結晶。
今でも発掘された
だが、そのたびに父の言葉を思い出したのだ。
『万が一、お前が一人で民のために戦わねばならぬ時が来たら――』
その日まで、エリザは棺の蓋を閉じることに決めた。
そして今日。
ついに、その時が来たのだ。
エリザは魔導書に従って、
ただ、
――死者の魂を、呼び寄せるのである。
そして何より、困ったことにここから先については魔導書も成功を保証していない。
既にエリザの
『死者の魂を冥界から無理やり引き戻すことはできない
あくまで死者が『契約』に同意することで召喚が可能となる』
他にも色々と書いてあるが、要約すれば『冥界に向かって大声で叫んで、興味もったやつがいれば成功するよ』というものだ。しかも叫ぶ内容は魔導式に組み込まれているため一言一句変えてはいけないのだとか。せめて交渉内容を自分で考えられればマシだったのに、とエリザはため息をつく。
だが、やるしかないのだ。
「死にゆく者よ、いま一度、その魂を役立てて欲しい――」
エリザは自身の
「――死後、我を主人とし尽くすのならば、
たった、二節の
契約の文言の短さに反して、その意味は非常に重い。
これに応える者がいなければ、この
エリザは祈るような気持ちで、
と、
「――ッ! 来た、」
エリザから流すばかりだった
魂が、定着したのだ。
途端、役目を終えた魔導陣から順に棺へと折り畳まれていき、干渉光も収束していく。数瞬後にはあっけなく光は消え去って、術式の完了を示すように
エリザは息を
魔導書に記された通りなら、これで魂の定着は完了。今は魂が
まだか。
エリザは不安に駆られ、棺の中を
――その時、
バッチリ、目が合った。
「…………」
「お、おはようございまーす……?」
と、唐突に
「――白人ッ!?」
「ハクジン? ――って、うぇええッ?」
聞きなれない単語を叫んだかと思うと、
エリザの背の上からは、
「ニホンゴ? ごめんなさい、その単語は知らないの。あなたの国の言葉?」
「お前何言って――」
と、急に
エリザの言葉が理解できるだけでなく、自分の口から知らない言語が飛び出していることに気付いたのだろう。
魔導書によれば
それでもブリタリカ公用語に存在しない単語は、元の言語のまま発せられることになる。『ハクジン』や『ニホンゴ』といった概念が、おそらく現代には残っていないのだろう。
「おい、ここはどこだ?」
「ねえ、わたしはあなたを傷つけたりしないわ。解放してくれないかしら」
「無理だ。このまま質問に答えろ」
言いながら、
「……ブリタリカ王国、バラスタイン辺境伯領チェルノートよ」
「王国? 地域は? 中央アジアか?」
「――あなた、ブリタリカを知らないの?」
今度はエリザが驚く番だった。
ブリタリカ王国の歴史は千年を超える。なにしろ人類種すべてと魔族すべてがぶつかり合った千年前の『人魔大戦』において活躍した十三騎士が作った王国なのだ。それを知らないということは、この女性が死んだのは千年以上前ということになる。
だが、それはありえない事なのだ。
魂というものは、死んで肉体という器を失ってしまうと急速に劣化していく。冥界に送られて人格が保てるのはせいぜい百年前後だ。千年も前の魂が、ここまでハッキリとした意識を持っているはずがない。
そもそも『チュウオウアジア』などという地域を、貴族として歴史や地政学を学んできたエリザでさえ聞いたことがなかった。家庭教師すら知らないような、どこか遠くの国なのか。それとも――
ふと、エリザの頭にひらめくものがあった。
「……あなた、ファンタジアの人間なの?」
「ふぁんたじあ?」
「このままでいいから、自分の腕を見てみてくれない?」
途端、エリザの背後から「うわぁ」という情けない声があがり、背中に覆いかぶさっていた重さが消えた。驚いた
ようやく解放されたエリザは痛む肩や腕をさすりながら立ち上がる。そして自身を見下ろして混乱する
「落ち着いて。わたしはあなたの敵じゃないわ」
「おい! オレに何をしたんだ!?」
「死んだあなたの魂を、魔導式で
「……なに言ってんだお前。まど、うしき?」
困惑する
どうやらわたしは冥界からではなく――
――『
「少し、話をしましょう?」