12
「子供? 誰の?」
「俺の」
「……この、馬鹿者がぁぁあ! 結婚もしないうちからよそ様のお嬢さんに手を出す奴があるかぁぁっ!」
衝撃的なお兄さんの一言に一瞬固まったお爺さんは、また怒り爆発といった感じで拳を振り上げた。
「だぁぁっ! ちょ、最後まで聞けよっ! つかこの体マジで借りもんなんだって!」
再び拳を受け止めたお兄さん。喧嘩慣れしてるというか何というか。日常茶飯事だったのだろうか?
「ちょっと部屋行くから、待ってろ」
「あっ、敏郎待て!」
縁側から靴を脱いでひょいっと中に入るお兄さん。
お爺さんは呼び止めるけど、追いかけてこない。
不思議に思いつつも、お兄さんは部屋に入る。
ギターケースに、楽譜。外人の歌手が映った大きなポスター。それらを懐かしい気分で眺めた後、机の引き出しをごそごそと漁る。
そして目当ての物を取り出すと、またお爺さんのいる縁側に来た。
「敏郎、これはいったい、どういう事だ?」
お爺さんが僕の靴を持って困惑したように聞いてくる。
それはそうだろう。
今、僕の身体はお爺さんにとってお兄さんに見えているのだろうが、僕から離れた靴は本来のサイズに見える。
お兄さんが履くにはあまりにも小さい、子供の靴だ。
「だから、借りもんだって言ってんだろ。すぐに返す約束だから時間がないんだ。親父に頼みがある」
そう言って取り出したのは、部屋から持ち出した通帳。
「親父は俺がプラプラ遊んでるって思ってたかもだけどさ、俺、ちゃんと働いてたんだよ。もちろん、歌手になるって夢を捨てきれてなかったけど」
「これは……」
お爺さんは通帳の中身を見て驚いた顔をする。
「好きな女ができてさ、一緒になるつもりだったんだ。結婚資金だって貯めてた。そいつが夢を追う俺が素敵なんて言ってくれて。だから、親父の言葉にあんなに反発しちまったんだ。」
「その、相手の女性は……?」
葬式にはそれらしい女性は来なかったぞ、とお爺さんが言う。
「つわりが酷くて入院してる。大沢総合病院の東棟201号室だ。きっと、俺が死んじまったことも知らねぇ」
妊娠が発覚してから、吐いてばかりで食事を碌に取れなくて、母子ともに危ないと入院することになったらしい。
「親父には、そいつ……一花のことを頼みたい。勝手を言ってるってわかってる。でも、俺の子供のことで苦しんでいるのに、放っておけないんだ。この金は、一花と一緒になるために貯めた金だ。だから、子供を降ろすなり、産んで育てるなり、一花に使ってもらいたい。一花がどんな選択をしても、一人で生きていけるようになるまで、娘として支えてやって欲しいんだ」
「何で俺が。そのお嬢さん……イチカさん? にだって、家族くらいいるだろうが?」
「一花には家族はいない。中学生の時に両親を事故で亡くして、祖父母も二年前に亡くした。他に親族はいない」
首を横に振って、お兄さんは続ける。
「なぁ、頼むよ。一花にはもう、頼れる人がいないんだ」
「……はぁ。で、いつ産まれるって?」
呆れたようにお爺さんは言う。それでも、縁側でずっと外を眺めていた姿より生き生きしている。
「えっと……確か……再来月?」
「この、ばっかもんがぁぁぁ!」
お爺さんのチョップが飛んで、受け止め損ねて脳天に刺さった。かなり痛い。
「お前、再来月って。ほとんど臨月じゃないか! 何でもっと早く言わない?!」
子供を降ろせるのって妊娠三ヶ月までなんだって。それ以降は産むしかなくなるって。
お爺さんが怒るのも無理ないや。
と、ズルっとお兄さんが僕の中から出ていく。
あ、逃げた。ずるい。
「い、痛い……」
お兄さんが主導権を握っていた時はそんなに感じなかったけど、身体を返された途端に激痛を感じる。涙目になっちゃったけど、仕方ないよね?
「あぁっ、坊や、すまん!」
お爺さんは僕にはちゃんと謝る。厳しいのはお兄さんに対してだけだったみたい。
頭を押さえてプルプルしている僕を気遣ってオロオロしている。
因みに、お兄さんはまだ気まずそうに頬をポリポリと掻きながら僕のすぐ横にいる。
ので、この痛みのちょっとした仕返しにお爺さんに触る。もっと本音で話し合ったら良いよ。っていうかまだ肝心の謝るって本来の目的を果たしていないでしょ。
「敏夫……お前。こんな子供まで巻き込んで……!」
あ、また始まった。でも、僕の気が痛みで逸れたのか、お爺さんには姿が視えるようになっただけで、その拳はお兄さんをすり抜けていく。
『親父、この通帳と、指輪を一花の所に持って行ってくれねぇか?』
「お兄さん、直接渡したら? で、ちゃんとお別れしたら良いよ」
「どういう絡繰りかは知らんが、俺もそう思うぞ、敏夫。こうして話せるって言うなら、自分でしっかりけじめをつけてこい」
『……そう、だな。親父、それでも、一花を頼みたい。紹介するから、一緒に来てくれるか?』
「勿論だ。息子の、嫁になるはずだったお嬢さんだしな」
「そうか…俺に、孫ができるのか…」とボソッと呟いたお爺さんの言葉はお兄さんには聞こえていなかったようだけど、二人ともとても嬉しそうに僕には見えた。