第41回「陶塔から世界に」
ジャンヌの表情はまるで変わらない。無表情ではなく、ほのかな笑み。来客と談笑するという体を崩さない、良家の淑女のようだった。あれだけ自分の演出を破られて狼狽していたのに、いい気なものである。
「引き受けてくれるのね。それなら、ルテニアに設置している転送ゲートの使用を許可してあげる」
「許可されなくても、強引に使うがね」
「まあ、そうでしょうね。貴方ほどの力があれば、私が起動させなくても、強引にジャンプできるでしょうし。ここに入ってきた時のように」
僕としてはわざわざ転送装置を使わなくても構わないのだ。ここがどこであろうと、元の世界に帰れる自信がある。それくらいの力がなければ、神を名乗る不敬は犯せない。
しかし、ジャンヌもまた味方になりうる存在だった。今は従っておくのがいいだろう。
「どの石だ」
「ついてきて」
ジャンヌが立ち上がり、僕らの先導を始めた。
ただ静やかに散っていく桜の園の中、三人は今やその役目を終えた花びらを踏みしめながら、前へと進んでいく。
すると、今まで青空が広がっていたはずの場所に、高層建築がじわりと現れた。まるで蜃気楼が海の彼方から迫ってきたかのようだった。
「これは……南京の陶塔か」
それは僕のいた世界で世界の七不思議に数えられた建築物だ。だが、僕が生まれた時世には実在していなかった。中国の明代に作られたが、太平天国の乱の際に焼け落ちたのだという。浅草十二階、いわゆる凌雲閣と並んで、直に見てみたかった建物だ。
今、こうして現れたのは本物の建築物であるらしい。ならば、どうやって視界に映らなくしていたのか。いくつも理論は考えられるが、いずれにしてもジャンヌが「演出」を狙って隠していたことは確かである。小賢しい少女だ。まるで僕みたいだ。このあたりは同属嫌悪を抱いてしまう。僕も器が小さいものだ。
「ご明答。もちろん、私は太平天国の乱を生で見るほど歳をとってはいないから、現物を見たことはないけどね。世界各地にアクセスするターミナルと考えれば、これほどふさわしい世界の七不思議もないわ」
「君の正体が気になってきたよ。僕としては、きっとこの世界ではすでに神話になっているような存在だと思うんだけどな」
天まで届く塔を作った建築の女神マーグのように、すでに神性を得ている可能性がある。ここまでやるのは常人にとっては「神の御業」に他ならないからだ。
「それは買いかぶり過ぎね。世界に影響を及ぼすという意味では、ビンドゥの方がよほど力を持っているわ。あの子の研究が完成すれば、きっとこの世界は変わる。今までの人間対魔族という構図は崩れ、新たな力関係が生まれる」
この言葉は確かな実感を伴っていた。
だから、僕は彼女と誼を通じようと思ったのだ。
「僕は彼女を支援しようと思うよ。既存のシステムを破壊し、新しい価値観を構築するという意味で、とても魅力的だ」
「破壊は常に古いものだけにもたらされるわけではないわ。新しいものにもその惨禍は降り注ぐかもしれない。そこのところをわかっていないと、貴方も破滅することになる」
ここで、プラムが僕の目の前に回り込んできたので、足を止めた。
「経済ではない、経済ではないぞ、神。もしも、お前が王の邪魔をするというのなら、私は容赦なくその首を切る」
指を突きつける姿の、なんと可憐なことだろう。
ナボコフが「ロリータ」を書いた時、こういう気分を想像したのだろうか。しかし、ソローキンに言わせれば、ナボコフとて凡人だ。ならば、僕はソローキンの描くところのロマンになるとしようか。
いつか、プラムとともに世界のありとあらゆるものを破壊して回る。そういう未来も悪くない。
その前に首を切られてはたまらないので、僕はしっかり弁解しておくことにした。
「ああ、用心しないとな。僕だって、そんな真似はしたくない」
「敵味方はゆらりゆらりと揺れ動く。昨日までの敵が今日の味方になるかもしれないし、その逆もありえる。だからこそ、現実というものは面白い」
ジャンヌが笑った。この少女もまた、混沌とした世界を優雅に泳ぎ回る悪婦なのかもしれなかった。ならば、まさしく僕の味方であり、僕の敵になりうる存在だ。重々気をつけなければなるまい。
陶塔の中の階段を登っていくと、不思議な光景が目に入った。
「ほう、錦鯉が空を飛んでいる」
あちらこちらの空中に、錦鯉が及んでいたのだ。魚の中でも悪食中の悪食で、どんな環境でも生き延びるとされる厄介者は、そんな攻撃的かつ貪欲な姿勢なんて持ってませんよと言わんばかりに、悠々とあちらこちらにその模様を届けていた。
「ここは水の中か」
「世界は常に水の中から生まれ、水の中に還っていくものよ」
プラムの問いかけに、ジャンヌは意味深長な答えを返すばかりだった。
「火刑にされた人間の名前を使っているだけはあるな、ジャンヌ・ダルク。きっとここにいれば、火あぶりにされることはないだろう」
僕のその揶揄には、彼女は答えなかった。それを恨みに思うほど、僕はこれ以上自分の人間を下げるつもりはなかった。
そうやって階段を登るうち、その中途の扉の前で立ち止まった。扉を開くと、かの書庫の隠し部屋のように、幾何学模様の刻まれた石柱が鎮座していた。
「ここよ。この石から、貴方はルテニアのピアソン地区へ飛ぶことができる。サマーはルテニアの王城に幽閉されているけれど、詳しい場所まではわからない。情報を買ってもいいし、直接殴り込んでもいいかもね」
「あいにく、僕は目立たない行動を取る方針を取っていてね。地道な手段を使おうと思うよ」
「縛りプレイがお好きなのね」
「人生を楽しんでいると言ってほしいな」
だが、そろそろ縛りプレイをやめた方がいいと感じているのは確かだ。どのタイミングで最大の力を発揮するか。これが重要だ。あまりセーブしすぎると、チャンドリカが発展するどころか停滞、最悪の場合には取り潰されることにもなりかねない。
「では、良い旅を。彼女を無事にここまで連れてきてくれたら、約束の槍を渡すわ」
「プラム、準備はいいね」
「問題ない」
僕はプラムとともに石に触れ、魔力の渦を作り出した。
目指すは始まりの地、ルテニア。