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要は家の手伝いをするとお小遣いをくれる。
洗濯物を取り込んで畳むと十円、食器洗いをすると十円、食事を作ると十円、部屋の掃除で十円、といった具合に。
「安すぎない?」
「大金やったって碌な事に使わないだろ?」
クラスの子達は月に四~五万ともらっているのに、と文句を言う僕に、「他所は他所、うちはうち。そもそも使い道ないだろ」と要が言って値段は何年経っても変わらなかった。
だから僕も躍起になって毎日ほぼ全部の家事を請け負って、だいたい一日で百円近く稼いでいた。
おかげで家事はかなり得意になったと言える。
そんなこんなで毎日こつこつ貯めたお小遣いを叩いて電車を乗り継ぎ、隣の県へ。
とは言っても今住んでいるのは県境に近い街だから、家を出てから一時間もかからず目的の駅に降り立った。
以前話で聞いただけの道順を、屋根の色や公園などを目印に記憶を頼りに進む。
そうして、僕の顔が出るくらいの高さの植え込みで囲まれた、真新しい家の前を通りかかった時だった。
「ひっ!」
短い悲鳴が聴こえて足を止めた。
「か、香月……?」
「ママ……?」
髪型も違うし、体型も記憶よりだいぶふっくらしているけど。
間違いない、ママだ。
「いったい、何しに来たの?」
震える声で言うママの後ろから「だぁれ?」と可愛らしい声がした。
僕の半分もないくらいの背丈の、格好からしてたぶん男の子がいた。
「帰って! 私たちにもう関わらないで!! やっと、やっと普通の幸せを手に入れたのよ! 邪魔をしないで!」
この化け物、と叫んで息を荒げるママと僕の顔を交互に見比べて、男の子も叫ぶ。
「ママをいじめるな! この悪者め! あっち行っちゃえ!」
気づけば、ママの大声で何事かと近所の人が集まって来ていた。
「どうしたんです、長嶋さん。この子が何かしたんですか?」
そう言って僕から男の子を隠すように、男の人が間に割って入った。
その人に僕が家庭をぶち壊そうとしているだの何だの色々叫んでいるママに、僕は何も言えなくなってしまった。
僕が小さい子をいじめようとしていると思ったのか、周りの大人達の視線が痛い。
触らなくても周りが僕を良く思っていないのが伝わってくる。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
やっぱり、来なきゃ良かった。
助けて、誰か……。
「大の大人が寄ってたかって子供を囲んで何やってんだ?」
身動きも取れずに泣きそうになった時に、そんな言葉が投げかけられた。
声の発した方を見ると、いつになく怒った感じの楓がいた。
「その子が、長嶋さんとこの子に悪さを……」
「は? 悪さ? 何をされたって?」
「それは……えっと……」
「うちの幸せを壊しに来たのよ、その悪魔は!」
「で? 何をされたかって聞いてんだよ。その幸せを壊すとやらで、実際にどんな悪さをしたって?」
楓の追求に、誰も答えられない。
それはそうだろう。僕はここを通りかかっただけだ。
「悪魔って言うからには、何かされたんだろう? 言えよ。お前のとこの長男が、今ここでお前に何をしたって?」
楓はわざと「お前のとこの長男」という言葉を強調したようだった。
周りの人たちが「長男?」「長嶋さんとこは慶太くんだけじゃなかったのか」とざわついているのが聞こえてくる。
「で、香月は香月で何だってこんな所にいるの? お前を虐待していた両親には会うなって要から聞かなかったの?」
ママが何も言えずに顔を真っ青にして俯いてしまったら、こちらに矛先が変わった。
虐待、と聞いて周りがまたざわつく。
僕に向けられた険しい視線が一変してママに向かった。
慶太とかいう多分僕の弟は、不安そうにママにしがみついている。
「それとも何? こいつの言うように、復讐のつもりで来た?」
「違う! 僕は復讐だなんて思ってない! ただ、パパとママにもう一回会いたかっただけだ!」
楓の言葉にむっとしたのを隠さず言い返す。
とっさの言葉だったけど、でも、それで僕はやっと本当の気持ちに気づいたんだ。
「……僕はただ、パパとママに会いたかった。本当にそれだけだよ。もしかしたら、また一緒に暮らせるかもとは思ったけど」
僕の言葉に楓が表情を和らげる。
まだちょっと険しいけれど、いつもの、僕が知っている楓の顔だ。
「今日は帰ろう、香月。このことは俺から要に話しておく。あとでちゃんと話し合うんだな」
そう言って僕の頭を乱暴に撫でると、今度はママに向き直る。
怯えた顔でママが慶太を抱きしめた。
「長嶋さん、俺はこの子を引き取った奴の兄で木下楓と言います。部外者の俺がこれ以上口出しすることではないとは思いますが、叔父として、後日改めてこの子の現保護者を交えて話し合う機会をください」
「話し合うことなんて」
「無いとは言わせませんよ。弟はこの子を本気で引き取りたいと思っている。でも親権はまだそちらがお持ちだ。この子の将来のためです。話し合いを。今度は旦那さんもいる時に来ます」
ママに有無を言わせず、話し合いの日程を楓は組んでしまった。
要に内緒で会いに来たのに、要も交えてだなんて。どうしよう?
「さぁ、香月。今日は帰ろう」
まだ若干ピリピリしている楓に連れられて、僕はその場を後にした。