第35回「これが僕たちのやり方」
部屋の中には本棚がいくつもあり、そこに本の背表紙が見えている。
「神、この書棚の本はすべて空箱だ」
だが、プラムが何個か手に取った箇所は、いずれも外箱のみだったらしい。
「中身なしか。どうやらここの『亡霊』の正体も、そんなものかもしれないな」
「傷つくんですけどぉ。私、結構こういう演出をいろいろ考えたんですけどぉ」
亡霊はすっかり怪しい感じを喪失している。声の調子は地の底から響く感じでもなく、単に少女然としたものになっていた。そう、声の主は若い女のようだ。
「風格も何もないな」
「経済だ」
「そうかな」
そうだとも、とプラムが答えた。
「バカを演じられるやつは強い」
「本当に底抜けのバカって可能性もあるぜ」
「神も強いな。その短絡思考の再現は頭が良くないとできない。そして、残念ながら素だった場合、私のおちょくりにも気づかないだろう」
「ああ、僕のシナプスがプツプツ切れていくのがわかる」
「それって健忘症じゃないの」
声の出どころはよくわからなかった。かといって、脳内に直接響いている感じでもない。おそらく空洞を利用しつつ、魔法の作用で声の波を調節しているものと考えられた。
「なあ、プラム。この声の主が10桁のバカレベルを誇るとして、他にはどんなやつだと想像する」
「少なくとも、上にあった研究区画ほどの深みも驚きも提供してくれそうにないのは確かだ。頭の中に蜘蛛の巣が張っているようなやつだろう」
じゃあ、地震の心配はなさそうだな。
僕はそんなどうでもいい感想を退けつつ、ちょっとだけ思考を巡らせた。
「僕としても、その意見には賛成だ。今のところ、こいつがやってきたことと言えば、語りかけてくるのとドアを閉めたことくらいだからな。入って三日のメイドの方がもっと上手くやるぞ」
「貴方たちさぁ、誰かを傷つけることがどんなに罪深いかわかってるの。いつか死んだ時に煉獄へ落ちるよ」
「悪いが僕はヴァルハラへお呼ばれする予定なんでね」
それに、もしも煉獄に行くことになったら、ウェルギリウスに道案内してもらうのさ。もちろん、最後はクレルヴォーのベルナルドゥスに天国を案内してもらうとしよう。「神曲」ツアーのできあがりだ。
プラムが本棚や壁を見回している。彼女には何か見えていないものが見えているのかもしれない。
「いくつかの空間がここの周辺に点在している。隠し通路がどこかにあるはずだ」
「槍の在り処がわかればいいんだけどな。強引に通路を作ってしまうと、ちょっと崩落が怖い」
僕としては、面倒くさい仕掛けに付き合いたくはなかった。
とはいえ、この地下空間が崩れて生き埋めになりたくもないのだ。
「少しは私のことも怖がれよ」
この状況で怖がるのは、よほど声だけの存在が嫌いなやつくらいだろう。もしそんな特異な人に出会ったら、「声優恐怖症」と名付けてやりたいとすら思う。
益体もないことを考えながら、本棚を見て回っていると、僕はおかしな点に気づいた。空箱ではなく実書籍が並んでいるのだ。
「おや、このあたりの背表紙は面白いな。僕がいた世界の代物だ。『方法序説』『ツァラトゥストラ』『桜の園』『開かれた社会とその敵』。桜の木はロパーヒンが切り倒すものと相場が……おっと」
桜の園をどかすと、奥の壁にスイッチがついているのが見えた。
「当たりか」
「当たりだな。哲学者揃いの中で、チェーホフが交ざっていたのが変だとは思ったんだ。よっと」
奥の壁が音を立てて開いた。そこから、紫色の全身鎧が現れ、ゆっくりと僕たちに近づいてきた。ほとんど明かりのない状況で出現したならば、さぞや不気味な存在だったに違いない。しかし、こうもすっかり明るい中で出てきてこられても、間抜けなコスプレかバラエティ番組の七変化企画にしか見えなかった。
「さあ、ここで貴方たちへの試練が登場だ。見事乗り越えてみせ」
「そうかね」
僕は紫鎧が剣を抜くのと同時に急接近し、指先でこの鎧に触れ、魔法を発動する。たちまち紫鎧は振動し、激しく自壊した。
自動操作タイプの門番ということになるのだろう。どうということはない。
「これはひどい」
謎の声がいよいよ嘆きにも近い調子になった。
誰かに主導権を渡さないのは気分がいいものだ。僕はプラムを伴って、紫鎧が出てきた通路へと入っていった。