ブラザー
部屋に入り、封筒の中身を確認する。
中には、注意事項を記した用紙と同意書の二枚が入っているだけだった。
サッと確認してみたが、重要事項に関しては午前に説明を受けた通りとなっている。
……ただ一つ『"才覚"の無制限使用を認める』という文を除いては。
同意書の方には、俺に模擬戦闘を申請した生徒の名前と、その生徒の持つ番号が記載されていた。
『海藤豪 四百一番』
やはりというか、あの男からのモノだ。
四百一番という事は、安芸で一番の実力者という事になる。対する俺は、五百九十九番。
番号の上で行くならば、相手に何のメリットもない。
これは、恐らく意地だろう。才覚を用いた真剣勝負で俺へのリベンジを果たすつもりなのだ。
姑息な手段を使わず真っ向勝負と来た訳だ。恐らく、相当な自信があるのだろう。
ならば、こちらも退く訳にはいかない。
俺は迷いなく同意書にサインを済ませ、明日の朝一番で職員棟へ提出することを決めた。
そうしていると、腹部に奇妙な違和感を覚え始める。
『ぐぅ』という音を出しながら抗議してきているように思えた。
「ああ。そういえば……」
思えば今日、色々あったせいで俺は昼食を摂り損なっていた。
どうにも腹の虫が泣くはずだ。
少々重くなってきた腰を上げ、俺は食堂へと向かうために部屋を出た。
★
この学園では、時間内であれば自由に食堂を利用することが出来る。
生徒数が多い為、食堂も数カ所に分かれている。俺は寮から一番近かったところを選択した。
鳳の書を見て分かった事なのだが、食堂によっても色々と特徴があるらしい。
俺の利用するこの食堂は、定食として大和風の料理が振る舞われることが多いようだ。
「思ったよりも空いているな」
現在の時刻は午後七時となっている。丁度夕食時ということもあり、混雑を予想していた。
しかし、百席ほどあるこの食堂内は、その三分の一程しか埋まっていない。数ある食堂にも、人気所と不人気所があるのかもしれない。
俺は本日の日替わり定食である蛸飯定食を注文し、比較的人の少ないスペースにある席へと腰を下ろした。
誰かと語らいながらのにぎやかな食事というのも悪くはないが、こうして一人で黙々食すというのも嫌いではない。
全神経を食に集中するというのも、また趣があるからだ。
そうしてしばしの間、無心で箸をすすめていると、不意に声がかかった。
「よ。ここ、座ってもいいか」
顔を上げると、長身の男が俺の正面の席を指して訪ねてきているのが分かった。
全体的にシュッとしており、肩まで伸びている髪の間から覗く、優しげな目元が特徴的だ。
「ああ、構わないよ」
特に断る理由もないので、素直に了承する。
「サンキュ、俺は近衛颯介(このえそうすけ)。番号はアンタの一つ後ろで、寮の部屋はお隣さんだ」
俺よりも後ろの番号となると、六百番のただ一つとなる。
つまりは、この学園で下から一番目。この年で、最低評価を受けた男という事だ。
「君は、人の顔を覚えるのが得意なタイプなのだな。正直言って、俺はの前後の人間の事をもうよく思い出せない」
「いや、オレもそんなに得意な方じゃないんだけどな。ただ、アンタはちょっと、なんていうか個性的だったから、さ。その服とかな」
言われてみると、確かに。
今日すれ違った中で、俺以外に制服をアレンジしている生徒は一人として見かけていない。
個性的に映ったとしても、無理はない事だろう。
「もしよければ、君の制服もアレンジしてやろうか。そうすれば、君も素晴らしきパンクスの仲間入りだ」
「い、いやあ……遠慮しとくわ。とてもじゃないが、オレにその服は着こなせそうにない。というか、それを着て歩く勇気がない」
どうやら、彼はなかなかに奥ゆかしい性格の男の様だ。
「ふむ、そうか。気が変わったらいつでも言ってくれたまえ」
「お、おう。気が触れたら頼むかもしれねえ。やっぱりというか、お前って面白い奴だな。勇気出して話しかけてみて良かったぜ」
「褒め言葉として受け取っておこう。なに、俺は話しかけるのに勇気が必要とされるタイプの人間なのだろうか」
「ああ、それは間違いないぜ。一回鏡を見て来てくれ。そこに全ての答えがある筈だ」
もしかすると、知らず知らずの間に俺は険しい表情でも作ってしまっていたのだろうか。
それはいけない。常に友好的スマイルを振りまく事を心がけるとしよう。
談笑しながらも箸はすすみ、お互いに食事を終えた。
「これからよろしくな、兄弟」
「ああ。こちらこそよろしく。ブラザー」
拳を一つ、カチリと合わせる。
このフレンドリーなお隣さんとは、これからも上手くやっていけそうだ。
彼はこの後に用が控えているという事で、別れた俺は一足先に寮へと戻ることにした。
★
寮まであと数メートルと来たとき、俺は見覚えのある姿を発見した。
「よお。昼間は世話になったな」
ヒッヒと笑いながら、それは俺に近づいてくる。
「気持ちよく伸びたお前の世話をしたのは、連れていた男たちだろう。こんな時間に待ち伏せとは、元気そうで何よりだ」
昼間に与えたダメージはさほど重大なモノではなかったにしろ、二、三日は寝込んでもおかしくはないはずだ。
半日も立たぬうちに動けるようになるとは、なかなか丈夫なお体をお持ちの様だ。
「けっ、減らず口が。当たり前だ、あんな不意打くらったくらいでヘタるかよ。それより明日、わかってるんだろうな」
「はて、何の事だろうか」
心当たりは大いにあるが、素直に答えてやるのも面白くない。
素知らぬフリでも挟んでやるとしよう。
「チッ。まだ知らねえのか。いや、知らぬが仏ってやつか」
長い舌をこちらへと覗かせ、ペロリと舌なめずりをして見せる。
「模擬戦だよ。掛け値なしの真剣勝負だ。まさか、ビビッて逃げたりしないよな」
知っているとも。
「また随分と急な話だな。だが俺にも予定という物がある。明日は、そうだな……。予定を考えるという予定が、今出来た。残念だが、辞退させてもらおう」
「舐め腐りやがって……。まあ、それでも構わないぜ。ちゃんと俺から妹に伝えてやる。お前のお友達は、お前みたいな根暗を放ってサッサと逃げ出したと。結局お前は孤独に、惨めに、下を向いて生きるのがお似合いだともな」
何がおかしいのだろうか、兄はニヤリとした表情で告げる。
「……なぜ、そこまで妹に苦を与えようとするのだ」
「あ? 別に理由なんてねえよ。なんとなくだ。なんとなく、気に入らねえからだ。そんなアイツにお優しくも手を差し伸べようとする奴らも気に入らねえ。だから潰す。何度でも潰す。アイツに手を指し伸ばす奴の数だけ、俺はその腕を折る。ただ、それだけだ」
なんと、身勝手な理由なのだろうか。しかしこれもまた、よくある、あまりにもありきたり話だ。
だからこそ、虫唾が走る。拳が疼き、今にでも弾けそうだ。
「……貴様との模擬戦、受けて立とう。その捻じ曲がった性根を叩き直してやるから、覚悟しておくが良い」
「ヒッヒッヒ、やっぱりそうこねえとなあ。潰し甲斐がないってもんだぜ。折角できたお友達が目の前でボロ雑巾に変わる姿を見たら、アイツどんな顔すっかなあ……。今から笑い止まらねえわ」
しばし、俺も夢想する事としよう。
この男をぶち飛ばし、笑顔で親指を立てて彼女の方を振り返るその時を。
そして、その時に見せてくれるであろう、晴れ晴れとした友の表情(かお)も。
俺は、二度とその男に目を向けることなく、また寮への歩みを再開した。