13
どうせ兄さんは私の顔を見ないから、と泣き腫らしてパンパンの顔まま階下に行ったが、兄さんは予想に反してまだ起きてはいなかった。
疲れているのだろうか。
顔を合わせても険悪になるだけだから起こさないよう静かに行動する。
洗顔して居間へ。
いつもなら兄さんが先に起きていて、一日分の食費が置いてあるのだけれど今日はさすがにない。
父さんに恥じないように生きると決めたのだ。朝食、頑張ってみようかな。
そう思って、作れそうな物がないか台所を見回してみる。
家の台所に入るのはいつぶりだろう? 母さんが部屋に火を放った時以来かもしれない。
未開封のまま埃を被ったシリコン鍋が目に入った。レシピ本も数冊置いてある。
確か、電子レンジで調理をするための物だったはず。
兄さんが私のために? まさかね。
でも、火を使わずに料理ができるのは嬉しい。
月二回ある調理実習でもいつも火が怖くて皿洗いだけやっていたのだ。
レシピ本をパラパラとめくり、冷蔵庫の食材と見比べて作れそうなものを決める。
野菜がたくさんあるから、このポトフというのを作ろう。
材料を鍋に入れてレンジでチンするだけ。予想以上に簡単だった。
レシピ通りに作ったからか、とても美味しく作れた。大満足。
作りすぎたの、兄さん食べてくれるかな?
残った分を器によそってラップをかけると、ダイニングテーブルに置いた。
食べてくれなくても、夕飯にすればいい。
自分で朝食を作れた事をどこか誇らしく感じながら身支度を整えて家を出る。
慣れない事をしたせいで時間は十時と遅くなったが、買い物を頼まれていたしちょうど良い。
ホームセンターで楓さんに頼まれたロープを探す。
一番太いのを持ってレジに並んだ時、会いたくない人に会ってしまった。
レジにいたその店員さんは、名前は知らないが兄さんの友人だ。
兄さんがまだ高校生の時に家に来て、兄さんが同級生達と遊べないのは私のせいだと責められた事がある。
少しだけ髪と髭は伸びているもののそのまま歳を取ったのかと思うくらいに面影がハッキリと残るその顔に、体が竦む。
「これ、何に使うの?」
ピッ、とロープをレジ打ちしながら唐突に聞いてきた。
鋭い眼光に睨まれて、まともに顔が見られない。
視線を下に反らすと、関口と書かれた名札が目に入った。
「あの、その……。山の上のホテルでちょっと……」
あれ、そう言えば、あのホテルの心霊現象が全部楓さんの仕業だって言っちゃダメだよね?
どこまで話して良いんだろう?
返答に詰まってしどろもどろになってしまう。
「はぁっ?! あの幽霊ホテルで何するってんだよ?」
大声をいきなり出されてさらに体が竦むのがわかる。
でもきっと内緒にしないと楓さんに迷惑がかかる。
「あのっ、これお金です!」
預かったお金を押し付けてロープの入った袋を奪い取ると、そのまま小走りで店を出た。
途中でカメラ屋によって父さんのフィルムの現像をお願いして廃ホテルへ行く。
「おー、おはよう。なっちゃん」
ロビーに入ると、ヨロヨロという形容詞がピッタリなくらいの様子で力なく楓さんが軽く手を上げて挨拶してきた。
「おはようございます。楓さん。大丈夫ですか?」
ロビーを見た限りでは昨日と違う様子はないが、見知らぬ二十代前半ほどの青年達が三人、同じようにぐったりして椅子に座っている。コクリコクリと船を漕いでいる人もいた。
「やー、ちょっとねー。昨日一晩中、各部屋のシーツ変えたり色々ね」
肝試しで来た青年達まで巻き込み、蛍光灯を取り替えたり天井を拭いたりしていたらしい。
「お疲れ様です」
巻き込まれたという青年達に会釈をすると、どことなく元気になったようで笑顔で喋り出した。
「もう、このおっさん本当おかしいよ」
「マジで心臓止まるかと思った」
口火を切ったニット帽を被った青年に、ブランドっぽいジャケットを埃塗れにした青年が相槌を返す。
「肝は冷えただろ? 肝試しなだけに」
「誰が上手い事を言えと」
ニヤリと笑う楓さんに呆れたように返すぽっちゃりした青年。
「えっと、何したんですか、楓さん」
「中をこの子らに頼めたんで、外壁をちょっとね」
楓さんがそういうと、青年達が口々に楓さんの奇行を話し出す。いっぺんに言われて誰が喋っているのかわからないほど、興奮気味だ。
「ロープ一本で上からぶら下がって水撒き清掃。何してんのって思ったよ」
「つか俺ら肝試しに来たはずなのに何でこんなしっかり働いてんだか」
「結局幽霊見なかったしね」
「そういや幽霊が出るって噂あったんだっけ」
しれっと楓さんが言うが、真相を知っているだけにわざとらしく感じる。
チラと見ると、何となく目線で言うなと言われた気がしたので黙っておく。
「まぁ、こんなけ綺麗になれば幽霊も文句言わないでしょ。ありがとなー、兄ちゃん達」
「おっさん、こんなとこで商売して幽霊に取り殺されないよう気を付けろよ」
これお礼なー、と言って楓さんがお金を渡すと、青年達もニコニコと笑って帰っていった。