01-02
最後にちらりと向けられた視線から、グレンに対する不信感が読み取れた。扉が閉まった途端、ざわついた心のままにグレンは口を開く。
「やっぱ信用できないやつなの? あいつ」
扉から視線を戻した先で、パトリシアはきょとんと目を丸くしていた。
隣にいるクローディアが、慌てた様子でグレンを見る。
「ちょっと、失礼でしょ……!」
「さっさと外に出しちゃったんだからそういうことじゃねーの?」
言葉を選びあぐねるように、クローディアはぱくぱくと口を動かしながらグレンとパトリシアを交互に見る。その動きにか、パトリシアは口元を手で隠して笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。気をつけるように言っているのですが、そう思われるようなことをしてしまう悪い癖がなかなか治らなくて」
まるで子供を評するかのように、パトリシアは言う。
「ルシアンはわたくしにはもったいないくらいの臣下ですわ。どうか信用してあげてください」
「…………」
眉尻を下げて言うパトリシアからは、グレンも悪い雰囲気を──敵意や悪意を感じない。
信じてもいい言葉だとは思うのだが、グレンは簡単には首肯できなかった。代わりに、クローディアが頷く。
「お城まで連れてきてもらいましたから。でもグレンはルシアンと、……相性が悪いみたいで」
「あら、それは残念ですわ。きっと仲良くなれると思うのですけれど」
「冗談──」
きつい、と言おうとしたグレンの脇腹に、クローディアの肘が突きこまれた。
「そうなるように、私も努力してみます」
「ふふ、世の果ての方がおっしゃるのなら安心ですわ」
痛みに呻くグレンをよそに、二人はほんわかと言葉をかわしていた。
かと思えば、クローディアは瞼を閉じて深い呼吸をする。空気と意識を切り替えるように。パトリシアもそれに応えて、黙したままクローディアの言葉を待っているようだった。
緊張感にあてられたグレンの喉がごくりと鳴る。
「──パトリシア様」
「ええ、なんでしょう?」
「封印を解かれた邪神を倒すため、お力を貸してもらえませんか」
クローディアの言葉から、少しの間沈黙があった。
パトリシアは胸に指先を当てて、小声で一度、神への感謝の言葉を唱える。
そして、息をついてからクローディアへ向けて謝意を伝えた。
「ありがとうございます。あぁ──本当にわたくしがいただいてもよかったお言葉なのでしょうか」
「そんな……」
助けを求めているのはこちらなのに、と続けようとしたクローディアは、静かに首を振るパトリシアに遮られた。
困ったように笑ってみせてから、パトリシアは凛と背筋をのばす。
「ええ、もちろん、もちろんです。我が臣下ルシアン・オルコットと、彼に預けた第五連隊。あなたの思うようにお使いください」
「第五連隊?」
「はい。夫が……先王が邪神に対抗するために、外国での戦闘を許可した唯一の部隊です。きっとお役に立つはずですわ」
「感謝いたします、パトリシア様」
言葉を口にしながら、クローディアは困惑していた。あまりにもあっさりと話が進んでいく。しかし、ルジストルの協力が得られるのは、クローディアの力ではなく父──創世の神への信仰によるものだとも理解している。
体を絞めつけられるような緊張感があった。身に余るものを与えられている。弱音を吐くこともできず握りしめた拳に、グレンの手が触れた。
不安はグレンどころかパトリシアにも伝わっていたらしく、クローディアが顔を上げるとすぐに目が合った。
「ご、ごめんなさい、少し緊張してしまって」
「いいえ、わたくしも悪いのです。きちんと聞いていたのに──世の果ての方、いえ、クローディア様とお呼びしてもよろしいの?」
クローディアが頷くと、パトリシアは子を見る母のような笑みを浮かべた。
「では、クローディア様……それからグレン様も。お二人はおいくつですの?」
「……今年で十八です」
「そのような若い歳で。本当に邪神が解放されてからお生まれになったのね」
細く長いため息をついて、パトリシアはぽつりと続けた。
「わたくしがこの国へ嫁いだのも、同じ年頃でしたわ」
「えっ?」
「申し訳ありません。わたくしの出身はエル・プリエール……ルジストルの王家に連なるものではないのです」
「? どういうこと?」
グレンの疑問に、パトリシアは頷いて答える。
「わたくしの夫はルジストルの先代の王でしたの。息子が一人いましたが、先王と同じ戦場で共に──死んでしまいました」
「そんな……どうして同じ場所に」
「この国も一枚岩ではなかったのです。二、三年前までは政敵も多かったのですよ。……邪神が目覚めているというのに、お恥ずかしい限りですが」
困ったように笑うパトリシアに、グレンとクローディアは言葉を失う。
「そんなに心配なさらなくても。王家はまだ一人、孫のダニエルが生き残っております。わたくしはダニエルが成長するまで王位を預かっているだけですわ」
「ルジストルの……国内の敵は、大丈夫なんですか?」
「国が安定していなければ、よい関係を築けていないエル・プリエールへ軍を出すなどできませんわ。内政と外交、どちらの問題も、ルシアンが力を尽くしてくださいましたのよ」
「あいつが?」
グレンが口を挟むと、パトリシアは楽しそうに笑った。
「本当に相性がよろしくないのですね。……ええ、ルシアンには何度も助けられましたわ。彼がいなかったら、ルジストルもエル・プリエールもクローディア様への協力どころではなかったでしょうね」
「…………」
「わたくしが保証いたします。ルシアンは必ずお二人のお役に立ちますわ、わたくしの助けになったように」
胸に手を当てて言うパトリシアの声には自信があふれていた。
グレンだって、その言葉を疑いたくはない。
「……むぐ」
「ごめんなさい、女王様。グレンは自分の感覚で判断してしまうところがあって……」
「ふふ、急がなくてもよいのですよ。いずれ分かっていただけると思いますから」
子供扱いを受けているようで釈然としないまま、グレンは黙り込んだ。パトリシアはその様子にすら笑みを浮かべると、ゆったりと立ちあがった。
「お二人はまだ昼食を召しあがっていないのでしょう? 城でご用意できればよかったのですけれど」
「いっ、いえ、そんな、急に来てしまったのにとんでもない……」
「今日はよいお店を手配しているはずですから、また今度ご一緒いたしましょう? お菓子とお茶を用意して待っておりますわ」
「……はい」
クローディアがかろうじてそう応えて立ちあがるのに、グレンも続く。
パトリシアの先導で扉へ向かう途中、振り返った女王は思い出したように言う。
「そうですわ、クローディア様。この国ではご用心なさいますよう」
「な、なにをですか?」
「御髪のことですわ」
そこまで言われて、クローディアはようやくフードを下ろしていたことを思い出した。慌てて髪を隠すクローディアを待って、パトリシアは続ける。
「わたくしはエル・プリエールの聖職者の家に生まれて、人よりも神話について学んできたつもりでした。でも、ルジストルは保存された神話の量も、その普及率も比べ物になりません」
「それは……ルジストルが神話の国だからですか?」
クローディアの問いに、グレンは首を傾げ、パトリシアは頷く。
「創世の方が与えたルジストルに与えた使命──神話の保存と普及は、国内において正しく守られています」
「……!」
「『神の色』を見られては、騒ぎになってしまいますわよ?」
扉を開きざま、振り返ったパトリシアはいたずらっこのような笑みを浮かべていた。