盆栽
所用で元同僚の住む町にきた。
用事を済ませた後、久しぶりに会いに行こうと渡辺の住む地区へ足を向けた。
お互い定年退職をして賀状だけの関係になっている。今年来た年賀状には、息子は相変わらず帰ってこないと愚痴が書いてあった。
彼の息子は大きな都市の大学に入り、卒業後もこの田舎町には戻ってこなかった。結婚して子供もできたらしいがここには滅多に帰ってこないという。
孫の顔も長い間見ていないとも書いてあった。面倒がなくていいよと付け足していたが本当は寂しいのだと思う。
渡辺の住む町並みはずいぶん変わっていた。新しいスタイルのおしゃれな住宅が立ち並んでいる。成長した子世代たちが建て替えたのだろう。我が家の近辺も同じような状況だ。
渡辺宅の隣近所には三輪車や小さな自転車が乱雑に置かれ、おもちゃが道路にまで散らばっている。
以前私が訪ねた時はちょうど彼の息子が家を離れたあとで、ここらも子供のいない閑静な住宅地になっていた。今や小さな子供のはしゃぐ声や赤ん坊の泣き声、若い母親の怒鳴り声などが聞こえてやけに騒々しい。
もし渡辺の家に息子が戻っていれば、同じように賑やかになっていただろうに。
そう思うと、この家が寂しく見えた。
急に訪ねてきた私に渡辺は嫌な顔をしなかったが、青白く覇気のない表情をしていて、老け込むにはまだまだ早い歳だと少し心配になった。
奥さんはカルチャーセンターに行っているらしい。構いはできないと言いつつ麦茶を入れてくれた。
こちらも手ぶらだから気を遣わないでくれと笑ったが、渡辺はにこりともしない。
昔はこんな奴ではなかったが、突然の訪問を怒っているわけでもなさそうだ。
「なんか心配事でもあるのか?」
「いや、別に」
「まさかどこか具合が悪いとかじゃないだろうな」
「どこも悪くない。血圧が少し高い以外いたって健康だよ」
渡辺は微かに笑ったあと、灰皿と煙草を持って縁側に移動した。
ちりんと風鈴が鳴った。
庭にある棚には盆栽が並んでいた。大会で賞を取ったとはしゃいでいた当時の渡辺を思い出す。だが、自慢の盆栽は見る影もなく荒れ果てていた。
「もう盆栽やってないのか?」
私の問いかけに返事もせず、彼は庭を向いたままただ黙って煙をくゆらせていた。
認知症と言う言葉が浮かんだ。
いやそんなことはない。同じ年齢の男としてそう信じたかった。
私は立ち上がって縁側に出た。そして、「これ借りるぞ」と、沓脱石の上のつっかけを履いた。
盆栽棚の前に行き、素人目でもわかる枝の伸びまくった盆栽たちを眺める。
私はため息をつき、そっと渡辺のほうを盗み見た。相変わらず視点のない眼差しで煙草を吸っている。
どこかで赤ん坊が泣きだした。きんきんとした子供たちの声が喧嘩をし始め、子供向け番組の歌が大音量で響いてくる。
「ここらもえらく賑やかになったな」
私は苦笑交じりの笑顔を渡辺に向けた。
「そうだろ」
渡辺はこちらを見ることもなく煙を吐きだした。ぞっとするような暗い声だった。
私は気持ちを切り替えるように、「なっ、これ切ってやれよ。こういうの全然わからんけど、ちょっと重そうだぞ」と、もっさりした枝を指さした。
「ああ、もうちょっと待ってるんだ。気が向いたらばっさり切ってやるつもりだ」
渡辺は盆栽を見もしないで低く笑った。
私はしばらくしゃべりかけていたが、いっこうに距離が縮まらず、あきらめて渡辺宅を後にした――
数か月後、渡辺は枝切鋏で近所の子供たちの首を次々と切りつけ逮捕された。