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31.遠くなる現実

 フィーネの故郷であるカッテンストロクトで召喚されてから一週間が経った。
本日は日本へ帰る日だ。本当は六日に一回の召喚なのだが、前回は事情によって五日での召喚となったから一日だけ日延べした。
「あー、帰りたくないなぁ」
吉岡が叫んでいる。
旅にも慣れてきてすっかりこっちの生活に馴染んでいるようだ。
魔法の研究と練習が楽しくて仕方がないらしい。
俺だって気持ちは同じだ。
大変なことは多いけれども王都への旅は楽しいものだった。

「すぐに再召喚してもらえばいいだけだろう?」
「そうですね。向こうに帰ったら土曜の夕方か。余裕で買い物できますね。タクシー使っちゃいましょうよ」
日本に帰ったら高級ティーセットやクリスタルガラスを買いに行く予定だ。
送還はわかりやすいように日本時間と同じ17時にしてもらうことにした。
今日も時間まではラインガ街道をひたすら南下するのだ。

 夕方、いつものようにとある村の神殿に宿を借りた。
送還まではあと40分くらいしかない。
急いで買い物リストを作った。

高級ティーセット
クリスタルガラス
クララ様とフィーネのフリース
プラスチック製の蓋付き衣装ケース
チョコレート
ワイン

「他になにかあるか?」
「フィーネが字の練習をしているからノートと鉛筆が欲しいですね」
ノートと鉛筆ね。
4Bくらいの芯の柔らかい奴がよさそうだ。
罫線も細くないやつがいいだろう。
「あとは? クララ様も欲しいものはありませんか?」
「私は大丈夫だ。このまえ購入したチョコレートは大事に食べているからまだ残っている」
もうずいぶん前だぞ。
本当に大事に食べてるんだな。
そこで俺はずっと思っていたことをクララ様に話すことにした。
「クララ様、お話があります」
普段あまり見せない真剣な俺の表情にクララ様も居住まいをただす。
「どうしたのだ改まって」
「クララ様、俺たちに投資してみませんか?」
現在俺たちの手元には100万マルケスという金がある。
大金と言えば大金だが商売の資本金と考えれば少ない額だ。
俺も吉岡もこれよりは貯金もあるけど、そちらに手を付ける気はない。
万が一に商売が失敗した場合やこちらの世界に来られなくなることを想定してのことだ。
だけど資本は多ければ多い程商売は成功しやすい。
それにクララ様の財産もきっと増えると思う。
「つまり私が金を出して、コウタ達がその金で商品を購入してくるのだな」
「はい。必ず成功するとは限りませんが、ブレーマン伯爵の時のように高値で買ってくれる可能性もあります」
クララ様はしばらく考えていた。
「わかった。コウタ達を信じて金を託してみよう。よろしく頼む」
クララ様はその気になってくれたようだ。
「だが、私はそれほどの大金は持っておらんぞ。出せるのは10万マルケスが限度だ」
「充分ですよ。とりあえずは、その10万マルケスを増やしてみましょう」
こうして俺たちはクララ様から大銀貨を10枚預かって狭間の小屋へと移動した。
再召喚は20時なので滞在時間はあまり無い。
両替機でマルケスを円に換金した。
「段取りを整理してから向こうに行こう」
「はい。場所は先輩の家の駐車場ですよね。先ずはデパートですかね。確実に現物があります」
「そうだな。だけど本当に高いコレクション物は専門店じゃないと買えないよなたしか」
「そういうのはタクシーの中で調べましょう。スマホの電源をオンにしといてくださいね」
「わかった。怖いからお金は空間収納にしまっとくぞ」
大まかなタイムテーブルを決めて赤い扉に触れた。

 久しぶりの日本の空気はまずかった。
こんな匂いしてたっけ? 
ずっと大自然の中にいたのでそう感じてしまうのだろう。
運よく大通りでタクシーが拾えたので新宿まで急いでもらった。
道は若干混んでいる。
「げっ、先輩見て下さいよ。アンティークものとか限定ものだと100万越えなんて当たり前の世界ですね」
ティーセットは品によってやたらと高かった。
18世紀のナンチャラ伯爵に献上された品なんて余裕で200万円を越えている。
だが考えてみればそれだけの値段が付く品物なのだ。
「今日は10万円から20万円くらいの価格帯で複数仕入れよう」
「リスク分散は投資の基本ですよね」
いいものを1点だけ買って、それが売れなかったら在庫を抱えてしまうことになる。
だったら色々なものを買って、ザクセンス王国人の好みの傾向を探るべきだろう。
目標は20万円で仕入れて100万円以上で売るだ。

 某百貨店で俺と吉岡は二手に分かれた。
俺はティーセットを、吉岡はクリスタルガラスの購入を急いだ。
本当はネットで注文できれば楽なのだが配送までの時間が惜しすぎる。
再召喚まではあと2時間20分だった。
ティーポット、クリーマー、シュガーボックス、サービスプレートなどを揃えていく。
俺を上客と見た店員さんは偉いさんを連れてきていろいろと説明してくれた。
今回の予算は70万円だ。
3店舗を駆け足で巡り3セットを購入した。
1セット6人用で20万円弱から30万円強のラインナップだ。
デザインはクラシックなものを選んでみた。
現代的(コンテンポラリー)すぎると好まれない気がしたのだ。
いっそクララ様に選んでもらった方がいいかもしれないな。
品物を購入した後はまわれるだけまわってカタログを集めた。
専門のショップにしか置いていないものはスマートフォンに画像を落としまくったぞ。
 グラス類を購入した吉岡と合流する。
「パラゴンもいいけどロイヤルクラウンダービーもいいですね」
「リモージュとかも好きだけどな」
少しだけティーカップに詳しくなった俺たちはニワカの輩よろしく知ったかぶりをしあいながら地下の食料品売り場へ向かった。
目的はチョコレートとワインだ。
チョコレートはウンタラ王室御用達の高級チョコレートを5箱購入した。
次にワイン売り場では3000円くらいまでのリーズナブルなものを5本チョイスした。
これは積極的に売るのではなく、珍しいワインとして客をもてなすためのものだ。
クララ様もワインは好きなので喜んでくれるだろう。
ついでに一万円程度のブランデーも購入してみた。
流石にリシャールだのジュビリーだのを買うお金はもう残っていなかった。
「先輩、スパークリングワインでいいから買っときましょうよ。次の商売が成功した時のお祝い用に」
「そうだな。シャンパンは次回にとっておくか」
3000円くらいのスパークリングワインは俺が自腹で購入しておいた。
それから吉岡が山菜おこわを買ったり、俺が豚の角煮と生春巻きとバームクーヘンを買ったりして食料品売り場を後にした。
 時間は19時30分だ。
「そろそろ閉店時刻だな」
「それ以前に召喚時刻ですよ」
大急ぎで鉛筆とノートを購入してから店をかえてフリースを購入した。
「何とか間に合ったな」
「あとどれくらいですか?」
「12分だ」
本当にギリギリだった。
二人して広場のベンチに腰かけて足を投げ出す。
「不思議なもんですよね。まだここは土曜の夜なんですから」
吉岡がしみじみと呟く。
辺りに響いている都会の喧騒が作り物のようで何故かリアルな感じがしない。
街は未だにクリスマスソングに包まれていた。

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