19.俺は異世界に恋してる
メルさん達は日の出とともに出発した。
一刻も早くドルトランフルへ行って、ゾンビが遠くへ行かない内に仕留めたいそうだ。
幸い雪が積もっているのでゾンビの追跡は容易らしい。
足跡をたどればいいだけだもんね。
一方、俺たちの出発にはもう少し時間がかかる。
道案内が必要なのだ。
見知らぬ土地で雪の
到着できるのはよほど運のいい人だ。
日本の登山道のようにコーステープや親切な案内板などどこにもない。
当然正確な地図などない。
人の足跡があればたどっていけるが、目的地は他所とは交流の少ない山村だ。
あまり期待はできない。
だから地理に詳しい人が必要だった。
今は神官さんに相談して道案内をしてくれる人を探している最中だった。
「従者さん、見つけてきましたよ」
息を切らしながら小太りの神官さんがやってきた。
後ろには小さな女の子が控えている。
まさかこの娘が案内人か?
まだ中学生くらいに見えるぞ。
「ほらご挨拶なさい」
神官さんに促されて女の子がぺこりと頭を下げる。
「フィーネです。よろしくお願いします」
声も少し幼い感じだ。
大丈夫か?
思わず神官さんを見つめてしまう。
「ああ、フィーネが幼く見えるので心配しているのですね。こう見えてフィーネは……」
「私は18歳です! すでに成人してます」
リアより年上かよ。
身長も140センチくらいしかなさそうだし、痩せているから幼く見えてしまうのかもな。
「ホーネ村へ行った経験はありますか?」
「何度もあります。それに私は狩人です。幼い頃から父について冬の山にも入っています」
それはポイントが高いぞ。
見た目はちびっこだけど狩人なら山の地理には詳しいだろう。
いっけん華奢にみえるし、無造作に束ねられた金髪をサイドテールにして可愛らしくあるのだが、意志の強そうな眼をしてもいた。
「わかった。
最初は俺と同じようにフィーネの幼さを気にしたクララ様だったが彼女が18歳と聞いて安心したようだ。
その場で状況の詳細を語り出した。
「これから話す事柄は他言無用だ。よいな?」
ドルトランフルがゾンビの村になってしまったこと、そのことを伝えにホーネ村へ行く必要があることをフィーネに説明していく。
「というわけで状況は切迫している。最悪の場合、ホーネ村もゾンビに襲われている可能性もあるのだ。それでも道案内を頼めるだろうか?」
「あの……お給金は……いくら頂けるのでしょうか?」
「600マルケスだ」
アンスバッハ家の平均賃金ですな。
「800マルケスを先払いでお願いします」
随分と強気な賃金交渉だ。
勇気六倍を持つ俺以上だ。
「……何か事情があるのか?」
「別に……暮らしが苦しいだけです。先週、父が狩りの最中に負傷したから……」
この世界には社会保障なんてないもんね。
「アキト、頼めないか?」
クララ様の言葉に吉岡が頷く。
「クララ様はただお命じ下さればよいのです。今の私はクララ様の従者ですから」
「すまんな。フィーネよ、そなたの父親の怪我はここにいるアキトが回復魔法で治してくれる。その代わり給金は600マルケスでどうだ?」
「か、回復魔法!? この方は高位の神官様だったんですか!?」
ちがうぞ。
童貞を守れずに魔法使いになり損ねた賢者の卵だ。
「怪我くらいでしたら私の
「あ、ありがとうございます!! そういうことなら喜んで600マルケスで道案内をいたします」
話はまとまったようだ。
「それでは我々は荷物をまとめて村の入口で待っている。アキトはフィーネと共に行ってくれ」
神殿に幾ばくかの金を渡してブリッツを預かってもらうことになった。
ブリッツだけじゃなく俺のバイクやクララ様の鎧などもだ。
ゾンビの出たドルトランフルや周辺の村は山間にある集落なので馬での移動が困難なのだ。
ブリッツやバイクを置いていくのは凄く心配だったがメルさんが神殿の司祭に話をつけといたので大丈夫だとは思う。
今日のクララ様はブリガンダインと呼ばれる胸当てをつけただけの軽装だ。
武器は全員とも槍を装備した。
これは杖にもなるので雪道で役立つ。
クララ様は短弓を、俺たちはクロスボウを背負った。
フィーネは狩猟用の弓を背負っている。
出来ることなら近接戦闘はしたくない。
噛まれたり引掻かれたりしただけでもゾンビ化してしまうのだ。
囲まれないように遠距離攻撃でカタをつけるべきだろう。
元の世界から買ってきたアルミ製の矢は30本しかない。
数が心許ないのでこの世界の矢をクロスボウにセットしてみたけど問題なく射出できた。
若干命中精度は落ちたが仕方がないな。
木製の矢は微妙にバランスが悪いんだと思う。
武器の手入れをしていたら絵美の顔が脳裏によぎった。
考えてみると俺も絵美のことばかり責められないな。
絵美だってまさか俺が異世界で命の遣り取りをしようとしているなんて思わないだろう。
本来、妻に相談もなくこんなことをするべきじゃないのはわかっている。
だけど……。
沸き上がる衝動を俺は抑えられなくなっている。
浮気をしているのは俺の方かもしれないな。
俺はこの世界にどっぷりとはまりだしている。
そして俺がここにいればいるほど俺にとっての絵美の存在はそれだけ希薄になっていくんだ。
森の小道は少しずつ斜面が急になっていった。
積雪は少ないので問題ないが、雪道を歩きなれていない吉岡は何度も転んでいた。
もう少し季節が進んで雪が積もるようならスノーシューやスキーが必要かもしれない。
スノーシューはいわゆる西洋カンジキのことだ。
足に装着すると体が雪の中に潜ることを防いでくれる。
「もう少しで峠のてっぺんです。頑張ってください」
フィーネが吉岡に声をかけている。
父親の怪我を治してもらって小さな好意が芽生えたみたいだ。
ついに吉岡にもモテ期が到来したか?
峠を越えればホーネ村までは1時間ほどだと聞いている。
時刻はそろそろ昼だが……。
「峠の上で少しだけ休憩しよう。昼時だが時間が惜しい。昼食はホーネ村につくまで我慢してくれ」
クララ様の焦る気持ちはわかるが、水分補給と携行食だけは摂ってもらうか。
ホーネ村が安全だとは限らない。
いざ戦闘となった時に力が出なければ困るだろう。
峠の上からは白銀に輝く山の嶺が見渡せた。
遥か向こうの谷に集落が見える。
あれがホーネ村だ。
家々の煙突から立ち上る煙を見て全員が安堵の息をついた。
それは人々の正常な生活を示していたからだ。
ホーネ村にゾンビの手は伸びていなかった
「今のところ異常はなさそうだな」
安心したように頷くクララ様にインスタントコーヒーを差し出した。
「これは、今作ったのか?」
「はい。このような粉にお湯を注ぐだけで作れる簡易のコーヒーです。ただし味はいつもお出ししているものより数段劣りますよ」
クララ様は一口飲んで笑顔を作る。
「確かにいつもの方が美味しいな。だが寒空に暖かいものがいただけるだけでもありがたいさ。それに疲れた体に甘いものはいい」
「ご一緒にチョコレートビスケットをどうぞ」
「チョ、チョコレート、と……ビスケ……」
「お、美味しいではないか」
平静を装おうとするクララ様が可愛い。
「気に入ったのならもう一枚いかがですか? 私の分を差し上げましょう」
「なっ、こ、子ども扱いするでない」
「いりませんか? 私はお腹がいっぱいなのですが……」
「コウタが食べないなら……」
今日もクララ様を甘やかすのが嬉しくてしょうがない。
これを食べ終わったら急いでホーネ村にいこう。
危険を知らさなければならない村はまだあるのだから。