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育まれし従者の願い

 街は、緋色で蹂躙されていた。
 紅く、赤い炎の渦が、人々を踊らせ飲み込んでいく。

 ああ、天国のようだ、と幼子は思った。

 炎は富めるものも貧しきものも、等しく降り注ぎ、飲み込んでゆく。

 汚泥をはみ、泥水をすすり、憎悪と侮蔑と無関心を浴びて数年を生き延びた幼子にとっては、、教会が歌う慈悲よりも、ずっと神々に近いものだと思ったのだ。
 そして、見つける。この世界の創造者を。

 奇妙に踊り狂う人影の中、たった一人、軽やかに華やかに歩を進めるのは、一人の少女だった。

 細い指先や鮮やかな緋色の髪から炎の花弁を舞い散らせ、赤のドレスを踊らせる。
 美しく、無邪気に、ほほえみすら浮かべて。この熱さも、息苦しさとも無縁のように。

 緋色の髪が翻り、可憐なかんばせがこちらをむく。
 燃えるような赤の瞳。
 魅入られた。
 ああなんてきれいな人だろう。

「めがみさま?」
「あなた、おかしなことを言う子ね」

 言葉を返してくれた。侮蔑と憐憫しか向けられなかった自分に。
 このまま燃やされてもいい。そう思ったのに。
 赤の女神は幼子に向けて笑んだのだ。

「ねえ、あたしの非常食になりなさい」

 女神に願われた。
 だから差し出された焔の手を取ったのも、当然だった。


 *



 スペアは眼前でうるさくわめく人間へ、刃を走らせた。
 胴と足が分かれた死体は、赤をまき散らして静かになる。
 この赤はあまり美しくはない。何より汚れれば、主に怒られる。
 そのため返り血を避ければ、仲間の白い修道服に身を包んだ祓魔師が怨嗟の声を上げた。

「我らが神の御名の下に、地獄へ帰れ!」
「魔女の使い魔め!」

 当人達はののしったつもりなのだろうが、あいにくそれは、スペアにとっては褒め言葉であり、皮肉でもあった。
 何せスペアの主は、自分を使い魔にしようとしないのだから。
 スペアが魔術と剣で武装しただけの、ただの人間であることすら見抜けない。
 教会の祓魔師も地に落ちたものだと思いつつ、スペアは主を害する敵を無造作に屠っていく。
 急がねばならない。主が待っているのだ。

 スペアの主は、永遠の少女だ。
 気まぐれで飽き性で、退屈すれば何をするかわからない。
 襲いかかってきた祓魔師に興味を示さなかったため、彼らは彼女に蹂躙されずにすんでいるが、ひとたび彼女が動き出せば、虫の足を引き抜くようにもてあそばれることだろう。
 スペアが相手をしていること自体が、一種の救済活動とも言えた。
 とはいえ、スペアが彼らを逃がすことなどないのだが。
 一度襲いかかってきた以上、生かして返せば主への災厄として降り注ぐ。
 ゆえに、ここで処理をする。

「ははは! 我が神による救済を!」

 また一人、祓魔師に致命傷を負わせたが、事切れる前に御印を握ってあらかじめ仕込んでいたらしい術式を発動させた。
 瞬間、その体が崩壊し、白く清冽な光を伴って顕現した。

 自分の魂を贄に、擬似的に天使を召喚したのだ。
 信仰深い祓魔師がよくやる手に、スペアは舌打ちをして、一気に肉薄する。
 だが、その前に、天使はこの場で一番の殲滅対象へ向かっていた。

「っ」

 即座に方向転換し、足に施した術式を活性化させ加速。

「主、失礼いたします」

 天使よりも早くたどり着いたスペアは、がれきの上に腰掛ける、華奢な姿の少女を腕ですくった。

 瞬間、天使のつんざくような咆吼が襲いかかった。

 天使の咆吼は一種の魔法だ。一定範囲にいる魔の理を持つ者を無差別に蒸発させる。
 それは、わずかに魔力をもつ人間も変わらず、生き残っていた祓魔師がたちまち消し飛んだ。
 見慣れているとはいえ、いつも神の存在を唾棄させる光景だ。
 むろん、魔の理そのものである主も例外ではない。
 スペアは大事な主を抱え込み、対天使用の術式を剣に乗せて投げはなった。
 疑似降臨した天使を止めるには、核となった殉教者の魔力が……教会の者どもは認めようとしないが、が切れるまで、あるいはつながりを断ち切れば良い。
 再び魔法を行使しようとしていた天使は、刃に貫かれて四散した。

「主、排除が終わりました」
「遅いわ」
「申し訳ありません」

 息をついて、大事な主に終わったことを告げれば、案の定怒られた。
 主は待たされるのが嫌いだ。自分の思い通りにならないことが我慢ならない。
 数が多かったとはいえ、己が効率的に処理できなかったせいでもあるから素直に謝る。
 だが、腕に抱える少女の重みがあまりにも頼りなくて、つい口にしてしまった。

「しかし、主、もう少し食べた方が良いのではありませんか。あまりに軽すぎる」
「あなたが出すものは全部食べてるじゃない!」
「では、少し増やしましょう」

 主の時は、12歳の時から止まっている。
 だからスペアと同じ食事をとっても体が成長することはないし、体重も増えない。
 わかっていても、食べさせたくなる。

 初めて出会ったとき美しい少女と思った彼女は、30年前から何一つ変わらない。
 ただ女神だと思った彼女だが、悪魔よりもやっかいだった。
 外見そのまま、少女のように無邪気で残酷で、面白いと思ったなら、鼻歌を歌いながら街を燃やす。
 スペアのいやがることを進んでやるし、悪いと思ってもへりくつをこねて謝らない。
 食べ物の好き嫌いが多い。
 そのくせ、赤いくせっ毛と低い身長を気にして、スペアの身長が伸びるたびに拗ねて八つ当たりをする。
 赤い髪は、炎のようであり、最高級のルビーをより合わせたような輝きを持っていて、スペアには美しいと思うのだが。
 そして、スペアの不調に、すぐさま気づく。

「あなた、怪我をしたのね」

 顔には出さなかったはずなのに、主は、天使の咆吼によって精神(アストラル)体が傷つけられたと断定して、傲然とスペアを見上げた。

「あなたはいつでも万全な状態でいてもらわなきゃ、あたしが困るのよ。あなたは私の非常食なんだから」

 非常食。それがスペアの存在理由だ。
 それはつまり、彼女がこれからも生き残るための保険である。

 あの赤い世界で拾われてから、スペアの存在意義は彼女になったのだから、その言葉を真に受けて彼女が生き残るための剣と盾になろうと奮闘した時期もあった。
 彼女が興味を失えば、自分も、彼女が食料とした人間と同じように捨てられるだけだろうと。どれだけ酷な扱いを受けようと堪え忍んだ。
 だが、様々な人と出会い、言葉を交わし、彼女を観察し続けて理解していた。
 言葉の裏にある独占欲と孤独と、何より恐怖を。

 彼女の知り合いに話して驚かれるほど、彼女の魔術教育は苛烈を極めていたが、それが、彼女自身が受けたものなのだと知っている。
 仲間、家族というべきものに裏切られ、繁栄のための贄とされた彼女は、誰かを信頼することを唾棄している。

 それでも炎禍の魔女は、自分をそばに置いたのだ。
 ちっぽけで、家畜よりも価値のなかった己をすくい上げて。
 気まぐれで良い。偶然でも良い。
 非常食、結構じゃないか。
 彼女の唯一にでいられるならば、彼女だけのための極上の餌であろう。

 だから磨き続けた。美しい彼女の存在に見合うように。
 教養を。魔術を。強さを。彼女のどんな下僕よりも、手足となれるように。

 なのに。自分はどうしようもなく、人間だった。
 だから今はその裏に隠された、いたわりの言葉が、嬉しくも苦痛だ。

「この程度ならば、勝手に治ります」

 思わずやんわりと拒絶すれば、彼女のまなざしが赤く染まった。
 ああ、怒った様も美しい。
 そう思ったとたん、契約の鎖で縛られる。
 絶対的な力の行使に、息苦しさを覚えるが、少しだけ安心する。
 彼女とのつながりが、切れていない証拠であるから。
 そして、それ以上にはなれない証でもある。

 彼女の年を越え、背を超えて、彼女を軽々と腕に囲えるようになった頃。
 スペアはその先を望むようになっていた。

 気づいたのは、彼女の手ずから苦痛と快楽を与えられて散っていく食料に嫉妬を覚えたとき。
 うらやましいと。後ろをついて行くのではなく、できるならば隣を歩きたいと願うようになっていた。

 幼い頃から、味見と称して一方的に与えられる寵は、苦痛でいながらも甘美なひとときだったがまさか、と思った。
 彼女が数百年を生きる、冒涜と悪逆を友とする魔女だからと言って、外見上は12の子供。
 一度、彼女に娼館へ放り込まれたこともあるため、自分が普遍的な嗜好を持つことは知っている。
 もし、主が唾棄する少女趣味であったのなら、そばには居られないと悩みすらしたが、同じ年頃の少女にはまったく興味はわかず、反応するのは彼女だけであった。

 それからは彼女の「味見」と称する戯れに堪える日々だった。
 一度たがが外れれば、彼女を愛し尽くすまで、自分は止まらないだろうから。 
 だた己が20を超えた頃からだんだん回数が減っていったから、もしかしたら気づかれたのかも知れないと恐怖を覚えていた。
 だが、減っても味見は続いていたから、単に反応がつまらなくなっただけかも知れない。

 外では淫蕩に振る舞う彼女だが、男にもてあそばれることを嫌う。
 自分のコントロールできない状況に恐怖を覚えるのだろう。
 それが、過去の経験によるものなのは想像に難くなかった。

 スペアの外見はすでに、彼女が最も嫌う年齢に達してしまった。
 その前に、成長を止められれば良かったのだが、彼女はスペアを使い魔にはしない。
 主人と同じ時を生きる代わりに、魔力が同化するのを嫌ったためだろう。
 非常食の意味がないからだろうが、悔しさを覚えるのも確かだ。
 それでも、スペアをそばに置くことに、希望を見いだしたい。

 彼女は人を信じない。
 家族に自分の人間としての生を奪われたから。
 彼女は愛を求めない。
 失うことを恐れるほどに寂しがり屋であるから。

 スペアは非常食だ。彼女のためだけにある存在。彼女の望まないことはしない。
 自分からこの想いを打ち明けることはない。

 だから、せめて込める。この想いを。仕草に、まなざしに。
 すべてをかけて、彼女へ訴えよう。あなたが望む限り、自分はそばを離れないと。

 ただ。願うなら。
 ふとした瞬間、こちらを見る彼女の瞳にこもる熱が、本物であるなら良いと思う。

「さあ、スペアくちをあけなさい」

 どうか、この想いが伝わるように。
 スペアは、自分だけの女神に祈りながら、つかの間、与えられる可憐な花をむさぼった。

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