節約
「今日も例年以上の暑さなんだってさ」
半袖、短パンといった元気な格好の妹が、俺にそう言った。服よりも髪に関心のあるお年頃らしい。腰まである黒髪を、ストレートにしている。俺はというと、タンクトップにジーンズという格好。パンツでうろうろしていたら、妹にズボンを履けと言われたからである。すね毛がむれて、嫌な感じだ。
今日は兄妹二人きりの夕飯。俺も妹も、カレーに福神漬けを添えて食べている。昨日買ったばかりの、開けたてだ。
「こりゃ、毎日カレーに火を入れないと傷むぜ。誰だよ、面倒臭い料理作ったやつ」
「いちいち外に出たくないから、何か作れって言ったの、お兄ちゃんだよ」
「……ま、好きだからいいけど」
二人でもくもくカレーを食べ、時々福神漬けを付け足す。クーラーの効いた部屋にプーンという羽音が混じってきた。蚊の乱入だ。
年がら年中見かける我が家の天敵。いよいよ市販の殺虫剤に抵抗力を持ったらしく、電子式液体蚊取りを焚いているにも関わらず、しぶとく生き残っている。よって、対策は原始的に拳で制裁を加えるだけだ。
俺たち二人は、羽音を頼りに気配を探り、隙あらば死の掌圧を食らわせようとする。だが奴らも殺気を感じるらしく、間合いを取るのがうまい。しかも複数いるので、一匹に気を取られると、他の奴に血を吸われる。いまいましい連携だ。妹はすでに左腕を食われたようで、時々ひじの辺りをかいている。
俺はテレビのスイッチを入れた。片手間で仕留めようとするから、らちがあかないのだ。だから、肉を切らせて骨を断つ作戦。つまり、俺たちをチクリと刺した瞬間に、命の幕を下ろしてやる作戦を取ることにした。今日は二人とも半袖。囮は十分にある。
『今年、蚊取り線香は過去最高の売り上げを記録しています』
テレビのニュースキャスターが告げる。内容はどうでもいい。妹と一緒にカレーと福神漬けをほおばりながら、機を待つのみだ。
『しかし、あまりの売り上げに供給が追い付かず、売り切れが続出しています。また、耐性のある蚊の数も増え、夜な夜なその羽音に悩まされているという声も多くなっています』
『寝不足は美容の大敵ですからねえ』
キャスターの隣に座った、美容品会社の社員らしき人が後に続いた。俺たちはというと蚊がいつ刺しにくるか、それだけに神経を集中していた。
妹が立ち上がる。カレーをお代わりするためだ。肩甲骨の辺りまで伸びた髪を揺らしながら台所に消えていき、山のようによそったカレーに福神漬けをたっぷりかける。
『蚊は遠慮したい。でも殺虫剤や蚊取り線香をわざわざ買いたくない、という声も増えてきましたね。蚊帳も部屋が狭くなるから嫌だと』
『ええ。ですので我が社は美容と蚊除けを両立するため、新しい製品を開発したのです』
蚊め、なかなか刺しにこないな。
俺が不審に思っていると、妹が頭を左右に振り始めた。彼女の肩口あたりで髪が大いに揺れている。カレーを食べながらつむじもかいていた。
「頭も食われたのか」
「ううん、なんだか頭が軽くなってきたなあって」
「暑さで脳みそが溶けたとか」
「バカ兄……」
今度は俺がカレーをお代わりするために立ち上がった。先ほどまでむれていたはずの足元がすーすーしている。冷房が効きすぎたのか。
『美容で最初に立ちふさがるのはムダ毛です。見える見えないにかかわらず、余計な毛を排除するべきなのです。しかし、地道な毛抜きが嫌な方もいるでしょう。そこで弊社が作成したのが、あたかも蚊取り線香のように、毛を急激に燃焼させるとともに、蚊のみに作用する無味無臭の殺虫エキスを散布する薬です。実は先日、弊社が発売した漬物シリーズに使用しておりまして』
『大丈夫なのですか』
『人体に深刻な影響が出ないことは立証済みです。ただ、個人差があるようで、どこの毛がなくなるかはわからないのですよね。漬物シリーズにアンケートがついているので、購入者からはぜひ意見を……』
そんなニュースの声が、蚊の羽音が止んだ部屋に響く。
俺はそうっとジーンズをめくり、ニュースの信憑性の高さを再認識した。
そしてそれは、頭に違和感を覚えた妹が手鏡をのぞき込み、ベリーショートとなった自分の髪型を見て、悲鳴をあげる3秒前だったのだ。