臨時雇いのデオルグ
「もう……無理です……」
冒険者ギルドのホールで一人の男が絞り出す様に呟いた。
「ああ? なんつった?」
大剣を腰に携えた剣士らしき女冒険者が、ギルドホールに併設された待合所のベンチで分配された本日の稼ぎを皮袋にしまいながら気弱そうな男の襟首を掴み上げる。
「もう……貴方達と……冒険者は続けられないです……」
決して目を上げずに途切れ途切れに自分の意見を言うのにどれだけの覚悟を要したのだろうか、カタカタと肩を震わせながら気弱そうな男はいつも通り殴られるのを覚悟しながらギュッと奥歯を噛み締める。
「表に出なさいよ、指の二、三本消し炭に代えてやれば意見も変わるでしょ?」
魔法使いらしき女が気弱そうな男の前髪を鷲掴みにして捻り上げた。
魔法使いの女の声がキンキンとホールに響き渡り、周囲で打ち合わせ中の冒険者達が露骨に嫌な顔を向けた。
「あんたが怪我をする度に治療してあげた恩を忘れたの?治療費を踏み倒す気?」
「あれは無理矢理……僕を囮に使って怪我をしたのであって……」
「利息は高いわよ?」
治療術師の女が醜く笑った。
気弱そうな男は助けを求めるかの様にギルドの受付嬢を見やると、受付嬢がコホンと咳払いをして受付カウンターの椅子から立ち上がり、今まさに表に引っ張り出されようとしている気弱そうな男に向かって指を指して叫んだ。
「現認しました! 確保お願いします!」
気弱そうな男を取り囲む女冒険者達三人を更に取り囲む様に、高ランク冒険者達が立ちはだかり剣を突き付けた。
「な、何よ! ギルド内で武器を振り回すなんて何処の田舎者?ちょっと受付嬢こいつらギルドのルール違反よ!」
魔法使いの女がキンキンと声を張り上げた。
「冒険者パーティー『赤い風』内における恐喝、日常的な暴力、不平等分配等、領内において公的奴隷制度を無視して私的に奴隷運用をした奴隷法に抵触するおそれもあると見て、一月前から内偵調査をしています! 証拠は山程あるので惚けても無駄ですよ!」
「ああん! 何処が奴隷法違反だって言うんだよ!」
激昂した女冒険者が剣を抜こうと自分の剣に触れた瞬間、背後の男が女冒険者の顎先をかすめる様な打撃を繰り出した。
「ぐぷぅ」
剣士らしき女冒険者は糸の切れた操り人形の様に、その場に崩れ落ちて白目をむいて失神する。
筋肉が弛緩したのであろうか白目をむいて失神した彼女の腰周りには、失禁した為の水溜りがみるみる広がっていった。
あまりに無様な仲間の有り様と、あまりに見事な男達の手並みに魔法使いと治療術師は顔を真っ青にして、無抵抗をアピールする為に両手を挙げて降参の意を示した。
彼女達を取り囲む男達は手早くロープで縛り上げ、犯罪者護送中の証である赤い首輪をはめると、あらかじめ表で待機していた騎士団に引き渡される。
一部始終を何処か現実感の無い夢を見ている気分で、ぼうっと見ていた気の弱そうな男は、受付嬢に背中を叩かれる事で現実に引き戻される。
「お疲れ様! 良く言えました!」
ニッコリと微笑む受付嬢の笑顔を見て全て終わったのだと実感が湧いて来て大きな溜息を吐いた。
「あ、ありがとうございます」
カクカクと震える肩を自分で抱きしめる様にして、男はこれまた気弱そうな微笑みを返す。
「大事なのは自分だけで抱え込まずに相談する事! そして人任せにするだけでなく。自分で決別の意を示せたのはとても大事な事ですよ」
長年パーティーの中で奴隷の様な扱いを受けて来た男は、生きて行くギリギリの賃金でこき使われる事で、逃げ出す選択肢すら頭に浮かばない状態に洗脳されていた。
わざと危険な囮を押し付けられたと思えば大袈裟に助けられたり、魔獣に死ぬ寸前まで追い込まれた怪我を負わされて勿体ぶった治療術をかけられたりと、用意周到に練られた洗脳術は男の置かれている状況を犯罪奴隷よりも酷い状況に追い込んで行った。
「僕はこれからどうしたら良いんでしょうか……」
力無く呟く男に受付嬢は
「そこまでギルドで面倒を見たら、それこそ本物の奴隷になってしまいます。後は自分の意思で生きて見て下さい」
ニコニコと微笑む受付嬢の言葉の厳しさに、男はこれから歩んで行く道の厳しさを見た気がして、今迄の自分の甘さに改めて気付かされた。
「なあ、デオルグ。お前はまだ冒険者として飯を食って行きたいのか?」
ついさっき女冒険者達を捕縛した男達の中の一人が声をかけて来た。
「僕は……何の才能も無いので、冒険者として行きていけるかも解らないです」
デオルグと呼ばれた気弱そうな男は力無く微笑む。
「あー、突然すまんな、俺はザルブルテ出身のCランクパーティー『閃光』のバルブって者だがな、もし良ければうちの臨時パーティー員になってくれないか?」
突然の申し出にデオルグが面を食らっていると、受付嬢がプププと口元を押さえながらニマニマと笑みを残しながら自分の席へと戻って行った。
バルブが忌々しそうに受付嬢を睨み付け、デオルグに向き直ると真面目な顔付きで再度説得にかかる。
「お前の境遇は知っている。この一ヶ月間ギルドの依頼で内偵調査を進めていたのはこの俺だ。だからお前に何が出来て、何が出来ないかは知っている。お前の価値はお前には決めさせられない頼むデオルグ」
デオルグは内偵調査を進めているうちに同情してくれて自分を誘ってくれたのだと思い、誘いに乗る事にした。何よりあの地獄から救い出してくれた事の恩義も感じていた。
「わかりました。誘ってくれてありがとうございます。僕のポケットには五百エーヌのコインしかありませんし、とても助かります」
「五百……いや、それなら今からうちのパーティーで借りている借家に来い。ベッドもあるし飯も食わせてやる!」
遠慮するデオルグの言葉に耳を貸さずにバルブは強引に腕を引っ張りギルドを後にした。
自分の価値もこれから歩む道もまるで靄がかかった様に何も見えなかったが、昨日迄デオルグを覆っていた暗い影とは違い、一歩進む毎に明るさを増して行く様な感覚に自然と笑みがこぼれていた事はデオルグ自身も気付いてはいなかった。
その日Cランクパーティー『閃光』のリーダーであるストックは苛ついていた。
Cランク以上のパーティーに課せられる義務であるところのギルド指名依頼に、パーティーの目とも言える斥候担当を一ヶ月間も引き抜かれていたと思ったら、その斥候担当がお荷物を拾って帰って来たのである。
パーティーのリーダーとして運営上必要なのは何と言っても金だ。
生臭い話ではあるが金が稼げなくてはパーティーが成立しない、金が稼げないのが原因でパーティーが潰れる事も良くある事なのだ。
それなのに無駄飯食いと言っても良いくらいの気弱そうな男を引き連れて、明日Cランク依頼であるコボルト集落の殲滅に行くと言い出したのだ。
リーダーとして沢山言いたい事はあるのだが、ストックの口からこぼれ落ちた言葉は一つだけだった。
「舐めた事を言ってるとぶっ殺すぞ」
グイッと酒を呷ると斥候担当のバルブを睨み付ける。
「聞いてくれよストック! これは同情や感情の話じゃ無ぇ!『閃光』の未来の話だ!もし、デオルグが使えない奴だって言うなら俺が責任をとって『閃光』を辞めても良い! と言うよりもデオルグの必要性を理解出来ないリーダーなら『閃光』の未来は無ぇ!」
バルブの煽るような台詞にストックはギロリと目を剥いた。
「それだけ推しているのにも関わらずだ。ソイツの役割を説明出来無ぇお前にも理解が出来ないんだよ」
「明日だ! 明日一日だけで良いデオルグの動きを見てやってくれ!それでもまだデオルグの仕事が理解出来ないって言うのなら……俺も考えさせてくれ……」
斥候と言う職種柄なのか何時もは口数の少ないバルブが、熱に当てられた様に大声を張り上げる姿に若干気圧されたストックが渋々頷くと、バルブはヒョロリとした体型のデオルグの肩を抱き寄せて無邪気に喜んでいる。
当の本人はオドオドとして明日のコボルト殲滅依頼に対しても消極的である事から、バルブのコネを使って無理に『閃光』に参加する事を願った訳では無い様に見えるので益々ストックは混乱していた。
「はあ……それでお前はパーティー内でどんな仕事をこなせるんだ?」
ストックが殲滅依頼にむけて擦り合わせを始めると更に不可解な事が浮かび上がる。
魔法は各属性使えるが、火属性は焚き火を起こせる程度、水属性は掃除洗濯に使える程度、土属性は一メートル程の穴を掘る程度、風属性に至っては雑草を刈る程度。
「金持ちの家でハウスキーパーでもやってた方が良いんじゃ無ぇのか?」
ストックの率直な意見にデオルグは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「武器は何を使うんだ?」
武器と言える様な物は何一つ使えずにロープの先にフックが結び付けられた物を見せられた。
「離れた所にある薬草や討伐済みの魔獣の死骸を引っ掛けて引き寄せる?それは武器じゃ無ぇだろ?ああ、それと今懐から出したそのナイフは武器じゃ無ぇ解体用のナイフだ」
そこまで話した所でストックはデオルグの性能を粗方理解して、明日のコボルト殲滅依頼は接待討伐として割り切った。
接待討伐とは貴族や金持ちのお坊ちゃんの粉飾履歴のお手伝いである。
勇ましい履歴を公的に残したいお坊ちゃん達と、金銭的に美味しい依頼を受け付けたいギルドの利害が一致する事によって生まれた特殊な討伐依頼であるが、お坊ちゃん達に怪我をさせない事が第一とされる難易度の高い依頼の一つである。
「あー……大体理解した。こっちの面子も紹介しておくぞ。先ずはお前を引っ張り込んだ斥候担当のバルブだ。得物は短剣と投げナイフだな」
バルブがデオルグに向かってヒラヒラと手を振った。
「そしてさっきからお前さんの横で眠っている様に目を瞑っている無駄に顔の良い男がエルフのウエイトだ。得物は弓と偶に精霊魔法を使う」
ウエイトはデオルグに視線を向けずにこっくりと頷くだけで挨拶をする。
「そしてソファーの上でガチで寝てやがるのが魔法使いで火と水と土属性を持つバンドだ……起きろこの野郎!」
ストックがバンドに向かって木製カップを投げつけると、こちらに背中を向けているのにも関わらず空中に石版を出して木製カップを弾き飛ばした。
「そして俺が『閃光』のリーダー。ストックだ。得物は剣と盾……明日は宜しくな」
ストックは大きく溜息を吐き天井を仰ぎ見る。
デオルグは居た堪れない空気に俯くとバルブが上機嫌で甲斐甲斐しく食い物を運んでデオルグに勧め始めた。
「ああ、後、うちのパーティーは男色も禁止だからな……」
バルブに対する精一杯の嫌味の答えは首元を掠めた投げナイフだった。
一夜明け男鰥の吹き溜まりである『閃光』パーティーの借家では朝から何時もと違う様相にリーダーのストックは戸惑っていた。
広くて家賃が安いだけが取り柄の借家がピカピカとまでは言わないが、普通の人間が普通に暮らせる程に掃除がなされている事に『閃光』の面々は驚かされていたのだ。
「一宿一飯の恩がありますので、金も技術も無い僕が皆さんの為に返せるとしたらこれ位しか無いのです」
恥ずかしそうに麦粥をテーブルに並べた。
「朝に外の掃除をしていたら以前収穫のアルバイトをした時にお世話になった旦那さんと出くわしまして、『赤い風』を抜けたお祝いにと分けていただきました」
朝から食事をする習慣の無い面々も鍋から立ち上る湯気に気圧される様にもそもそと食べ始めた。
「美味ぇ……」
「本来農家さんしか食べられない新鮮な野菜が入ってますからね力が出ますよ」
エルフのウエイト以外は野菜が苦手な連中ばかりだが、野菜と言えば家畜の餌としか考えていなかった連中にはカルチャーショックを与える様な食事だった。
「精霊達が喜んでいる」
食事を終えたウエイトがお礼なのか報告なのか解らない言葉をかけてデオルグに手を合わせた。
「お兄さんご馳走様!ハウスキーパーとしてうちのパーティーに雇われない?」
昨日ソファーで寝ていた十代後半に見える若い魔法使いのバンドが人懐っこい笑顔でデオルグの背中をパンパンと叩いてお礼を言うが、端っからハウスキーパーとしか見られていない事にデオルグはチクリと胸の奥を痛めた。
『閃光』の面々はギルドにてCランクでも難易度の高い部類に入るコボルト集落の殲滅依頼の受注登録を済ませ、山二つ向こうにある現場へと向かっていた。
馬車を借り切って。
「いやあ、デオルグ良かったなあ、俺も見兼ねてギルドに何度か伝えていたんだがな、本人の訴えが無ければ動けないとかぬかしやがるんだ。商工会の集まりでもデオルグの話題ばかりでよう、みんな心配してたんだぜえ?」
御者の中年男が前も見ずにしきりにデオルグへと話しかけている。
そもそも身体が資本の冒険者達が馬車をチャーターすると言う事は余程の事である。
金と時間と距離の擦り合わせで、馬車が無くてはどうしようもない事態にならなくなってはじめて値切りに値切ってチャーターする物である。
ギルドで受注登録をかけた途端ギルドの表で馬車が横付けされていたので『閃光』の面々は驚きで言葉を失った。
「デオルグ!話は聞いたぜ!俺からの祝いだ今回は無料で乗せて行ってやるから、偶にはウチの店にアルバイトに来てくれよ!」
リーダーのストックはデオルグと御者の話の端々を聞きかじり今朝の朝食の事を思い出す。
「俺、依頼で馬車に乗るなんて初めてだ」
「当たり前だ。リーダーの俺が初めてなんだからな……」
何処か居辛そうにストック達がもじもじとしている間に山二つ分の時間は過ぎ去って行った。
「じゃあなデオルグ!帰って来たら顔出せよ!怪我なんかするなよ!」
騒々しい御者の中年男が町へと引き返して行き、山の中で残されたストック達は予定を大幅に短縮された事に戸惑いを隠せなかった。
「と、取り敢えずまだ明るいしな……コボルト集落の下見でもして野営場所でも探すか……バルブ、集落の方向は大まかにでも解るか?」
「解る訳無いだろう?まだ山の中の痕跡一つ見つけて無いんだ。半日山の中を駆けずり回って痕跡を探した結果、集落の位置を大まかに割り出すのが斥候だぜ?」
「まあ、そう言うもんだよな、解ってて言ったから気にすんな。取り敢えず安全な街道沿いに拠点を張るか」
ストックが背中に背負った荷物を降ろそうとした時にバルブがデオルグに向かって話題を振った。
「デオルグ、どう思う?」
素人同然のデオルグに意見を求めるバルブにストックはポカンと口を開けて呆れてしまう。
「お、おいバルブいくらなんでも……」
「あ、あの……」
デオルグがおずおずと手を挙げて何かを言おうとしているのを見て、生き死にのかかる現場で素人同然の男が意見を言う事にストックは一瞬頭に血が上ってしまうが、実際今朝からデオルグの恩恵にあずかっている事を思い出すと、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「行商人の方々が結構被害に遭われていて、皆さんが言うには走っている最中では無く。小休憩や馬に水を与えている時に襲われているんですよ……」
「だからどうしたって言うんだ?」
ストックが苛つきを抑えながらデオルグに話を合わせる。
「いえ、あの。峠道で小休憩や馬に水を与える時って、これから急斜面を越える時なので……峠道の中腹の辺りで馬の脚を溜めているる所を襲われたのかな?とか……中腹近辺ってあの辺ですよね?少し左に山に入って行くと平らで木の少ない草原みたいな場所が見えるな……って」
デオルグが指を指す方向を全員見て頷く。
「だ、だからってコボルト集落があそこに在るって言うのには弱いな」
ストックは首を振る。
「あ、いえ……あの草原の際のあたりに群生している木って……サトウカエデの木に見えませんか?」
「何!?」
デオルグの言葉にストックが目を凝らして見ると確かにサトウカエデの群生地に見える。
コボルトと言えばサトウカエデの樹液が大好物で、その群生地には大抵コボルトがウロウロしているのは子供でも知っている事である。
「あ、あの余計な事を言って……」
「デオルグ!ここではお前の意見を聞いて殴り飛ばす奴は居ない!大丈夫だ。ありがとう大収穫だ。な?ストック」
「あ?お、おう確かにな。依頼を受けてから集落の場所の目当てがつくのに五日は覚悟していたが、依頼を受けてから半日も経ってねぇ、正直助かったぜ」
デオルグの肩を叩いて励ますバルブの勢いにストックは戸惑いながら礼を言った。
一行は峠道を徒歩で登り山の中に分け入ると麓から見えた草原地帯を目指す。
「ああ……当たりだな。痕跡が山程有りやがる」
「それよりも草原地帯が思ったよりも背丈があるな。コボルトの背丈よりも高いから接近に気付きにくいな。おいバンドこの草むらを魔法で焼き払え無いか?」
「山火事でお尋ね者になっても良いなら頑張るけどねぇ」
パーティーの戦力としては長物、遠距離魔法、弓使いがいるので出来れば拓けた場所での戦闘が望ましいが、戦闘と言うものは常にこちらの都合通りには進まない物である。ストックは一度森林の中まで引き返す事を考えていると、デオルグがまたおずおずと手を挙げた。
「あの……この草むらくらいでしたら、草むしりのアルバイトをよくやっているので僕が……」
「いやいや、気を使ってもらうのはありがてぇが、今は危険地帯に入り込んでんだ。アルバイト感覚でいられると……」
「デオルグ頼むわ」
ストックがデオルグの甘い考えを諌めている途中でバルブが遮る様に指示を出す。
「バルブ!」
「いいから……デオルグやってくれ」
デオルグはストックとバルブの顔を交互に見ながら躊躇をしていると、ストックの諦めた様な溜息と頷きをGOサインが出たと判断をして一人で草むらに分け入った。
デオルグの後ろ姿が草むらで見えなくなるとストックがバルブの胸倉を掴み上げ、山の中で木霊しない様に声を潜めて怒鳴りつけた。
「バルブ!手前ぇ何のつもりだ?」
「すまねえストック。だが今回だけだ。今回だけは俺の勝手を許してくれ、デオルグの重要性は現場に出て奴を自由に動かさないと解らないんだ。あいつの元居た腐れパーティーの内偵で張り付くまでは俺も解らなかった。こんな我儘をストックが許してくれるのは今回だけだと俺も自覚している。だから……頼む」
「ちっ……。良いか?指示を出すのは俺だ!俺はその指示に命を賭けているんだ。間違った指示を俺が出してお前らの命が脅かされた時には俺が命を賭けてお前らを逃す。そこまでの覚悟でやっているって事を忘れるなよ」
「あの……」
一触即発の二人の空気を分かつ様にデオルグの弱々しい声がかけられた。
「あの……草刈りなんですが……」
「諦めたか?」
「いえ、終わりました」
「それ見た事か、じゃあさっさと……終わった?」
ストックがデオルグの言葉を聞いて草原地帯に振り向くと、広大な草原地帯の半分が綺麗に刈り取られて、さっきまでは見えていなかった湿地部分や突出した岩までが露わになっていた。
「何があったんだこれは?」
信じられない光景にストックがワナワナと唇を震わせていると、一部始終を見ていたらしい魔法使いのバンドが説明を始めた。
「いやあ初めて見たよ、広域の複合魔法だねこれは、土属性の魔法で地形をスキャンしながら風属性魔法で一気に刈り取ったんだね、見てよ凹んだ所も盛り上がった所もみんな一定の長さで刈り取られているよ。芸が細かいねえ……しかも兎が数頭逃げて行ったのが見えたから草だけを狙って刈り取ったのかな?僕には真似出来ないね」
「いえ……威力が弱くて兎を殺す程の力も無いんです……だから雑草刈りや麦の刈り取り位しか役に立たなくて……」
恥ずかしそうにデオルグは頭を搔くが珍しい魔法を見たバンドはご機嫌だった。
「まあ、何と言うか、助かりはするんだが素直に褒めにくい仕事なんだよなあ……」
ストックは驚いてはいるが複雑な表情である。
「ああ、デオルグよ、このままここで待ち狩をしてある程度の数を削ってから集落に思うんだが、何か俺達に注文と言うか……作戦みたいな物があるか?無ければいつも通り突っ込もうと思ってるんだが」
今回に限って様子のおかしいバルブの我儘に付き合おうと決めたストックはデオルグに狩の方針確認をする。
「なあ、デオルグ。もしお前がこのパーティーに居て俺達を活かそうと考えたらどんな作戦があると思う?お前は今自由なんだ!失敗しても俺達が全力で協力してやるし、役立たずと罵って怒鳴ったり殴ったりする奴は一人も居ない。俺達はお前を信じるからお前も俺達を信じてくれ、お前の戦力は解っているし敵を殺せないからと言ってサボっているなんて絶対に言わないから、お前なりの出来る仕事を見せてくれないか?」
デオルグがバルブの迫力にタジタジと後ずさりしながら、ストックに助けを求める視線を送るがストックも腹をくくったらしく口を真一文字に結び目を瞑っている。
「あ、あのじゃあ……引き狩とかどうでしょう?」
「引き狩か?俺が囮になって引いて来れば良いのか?」
「あ、いえ、相手はコボルトなので引き寄せの方法はいくらでもありますので、これから下準備だけしちゃいましょう」
気のはやるバルブを落ち着ける様にデオルグは森の中にゆっくりと入って行った。
魔獣であるコボルトとは犬の亜種である。
どう言う来歴でどんな進化を果たしたのかは全く解っていない、物心がつく前からそこに居たのであるから受け入れるしかないのである。
二足歩行で移動をして身長は一メートル前後。その身長に見合わない頑強な筋肉とアンバランスな程に大きい頭が特徴である。
二足歩行であるが為野犬や狼よりはスピードは劣るが筋肉の鎧を纏っているが故のタフネスさは注意が必要であり、手足をもがれても尚噛み付いて来るしぶとさと数人で斬りつけても刃の入らない硬さから「ルーキーキラー』の異名を持つ魔獣であった。
「あいつら死んだフリとかしやがるから油断ならねぇんだよな」
大剣使いのストックが予備の大剣を背中に背負う為に担い紐を身体に巻き付けながらそれとなくメンバー達に注意を促していると、デオルグが生木の枝を切り取って削り出した様な棍棒を数本抱えてストックの下にやって来た。
「あの……ストックさん……コボルトの鼻先の部分を狙って叩く事って可能でしょうか?」
恐る恐るストックに伺い立てるデオルグはバルブに無理矢理引き連れられて来た事が容易に想像出来る。
「あいつらはスピードが無くて直線的にしか動かないから、当てる事は簡単だが……それじゃあ仕留めきれないぞ?」
「あ、いえ、仕留めなくても大丈夫です……コボルトは鼻先に感覚器官が密集しているらしくて、そこに衝撃を与えるだけで蹲って暫くの間動けなくなりますので……後は僕がその、仕留めてしまいますので……」
「はあ?お前がか?いや、馬鹿にする訳じゃ無ぇが臨時とは言えお前はパーティーの一員だ。危険とわかっていてみすみす危ない橋を渡らせる事はリーダーとして容認でき無ぇな、却下だ」
デオルグは自分の案を却下された事よりも、『閃光』のリーダーであるストックにパーティーの一員としてその身を案じてもらった事が嬉しくて顔を赤らめながら俯いた。
「し、心配してくれてありがとうございます……」
「お前ぇ今迄どんな環境で育って来たんだよ……」
思いもよらないデオルグのリアクションにストックが呆れていると、バルブが妙な空気を打ち払う様にパンパンと手を叩く。
「じゃあこうしようぜストック。試しに俺がコボルトを一頭だけ釣って来るからソイツを使ってリハーサルをしようぜ、それで判断をしないとデオルグが何をしようとしているのか解らねぇよ」
言うが早いかバルブは草原の中を駆け出して行く。
「あ、おい!」
ストックが制止する間も無く斥候職ならではの健脚を活かして見る見る間にバルブの影が遠退いて行った。
「ちっ……まったくどうなってやがるんだあいつは!お前が来るまではあんな奴じゃ無かったんだぜ?斥候職の嗜みだとか言ってハスに構えて無口を装ってよう……」
デオルグに向かってボヤくのを聞いて魔法使いのバンドは思い出した様に笑い出す。
「くっくっく……エルフのウエイトが加入してボヤいていたっけね、無口キャラが被るって」
当のウエイトはどこ吹く風と弓の弦を張り直していて興味が無い様だ。
「しかしこの棍棒は持って来たもんじゃ無ぇよな?作ったのか?」
ストックが足下に並べられた棍棒の一本を手に取ってジロジロと観察をした後に軽く素振りを始めた。
切り出したばかりの乾燥させていない生木で作られているのにもかかわらず、しなりは控えめで軽くて振りやすい。手元には簡易的なグリップとして麻紐が巻き付けてあるがこれがどうにも心地良くストックは暫くの間、素振りに没頭してしまった。
「大剣よりも相性が良さそう」
弓矢の手入れを終わらせて、ぼうっと眺めていたウエイトがストックを見ながらボソリと呟く事でストックは我に返った。
「ば、馬っ鹿お前ぇ、違ぇよ!そんなんじゃ無ぇよ!」
慌てて否定するストックを尻目にウエイトが綺麗に刈り取られた草むらを指差し再度呟く。
「来た」
鈍足なコボルトを引き離さぬ様に行きよりもややゆったりとしたペースで走っているバルブと、ドタドタと不器用な足音をたてる黒いコボルトを視界におさめるとストックは棍棒を握りしめて歩き出した。
「ストックさん、あの思い切り殴らなくても大丈夫ですので……あと白い棒を目印で立てて置きましたのでその近くで動いてもらえるとありがたいです……」
ストックは十五メートル程先に樹皮を剥いて白くなった棒を確認すると了解の意味で片手をぶっきら棒に挙げて歩き出す。
余裕そうに走りこんで来たバルブは「後方一匹」と方角と数をストックに伝えてすれ違う。
「応!」
バルブの後に続くコボルトの鼻先に寸分違わずストックの棍棒が吸い込まれた。
「ギャン!」
コボルトは鼻先を押さえながら地面に蹲り動かなくなる。
「騙されるかよ!」
もう一撃棍棒を撃ち込もうとストックが振りかぶった瞬間コボルトの姿が搔き消えた様に見失う。
「な?!」
慌てて周囲を見回してもコボルトの姿を探しきれずに現在の『閃光』パーティー内で一番脆い部分。すなわちデオルグに視線を移すとデオルグの手元には先程ストックが打ちのめした筈のコボルトが横になっている。
ストックは何が起こったのか理解出来ないままにバタバタとデオルグに駆け寄ると、傍に置いてあるフック付きのロープが目に入った。
「釣り針かよ」
今起こった事が大まかに理解出来たストックはコボルトにトドメを入れようと棍棒を再度振りかぶった。
「トドメは入れてあります」
デオルグの言葉にストックがコボルトの様子を確認すると、喉元に小さな切り込みが入っていてその穴からは血泡と共にピルピルと笛の様な音が聞こえていた。
「コボルトはこの喉元から生えている白い毛の部分は筋肉で覆われていないんです。ここから返しの付いた解体用ナイフを差し込んで頸椎を断ち切ってあげれば意外とあっさり死んでしまいます……この笛みたいな音は肺の空気が穴から抜け出て行く時に、声帯を震わせている音なので死んだフリでは無いと解ります」
デオルグは全員に見やすい様にコボルトを仰向けに寝せると顎下から順に指を差して見せていった。
「顎下、鳩尾、下腹部と白い毛が、さ、三箇所生えてますがここは全て刃物が通りやすい部位でして……解体場では『コボルト三白』と呼ばれています」
つっかえつっかえではあるがデオルグがコボルトの身体的特徴を説明すると全員から溜息が漏れる。
「知らなかったー!すごいねデオルグ。どこで教わったの?」
「ギルドの解体場でアルバイトをさせていただいた事があったので……」
デオルグは話をしながら手元も見ずにコボルトの皮をテキパキと剥いでいった。
「お、おいデオルグ。コボルトの皮なんざ剥いでも換金出来無ぇぞ?手間と時間の無駄だ」
「買い取ってくれますよ?」
「何い?」
「皮革卸のペネロープさんの所で……いくらでも持って来いって言われました」
「あんのガンコジジイ!俺に言ってた事と全然違うじゃ無ぇか!」
憤慨するストックの傍でわずか一分程の時間で剥ぎ取られた毛皮の裏側にデオルグは大きな葉を貼り付ける。
「何だそりゃ?」
「鞣の葉って言われてますけど正式名称はわかりません……この葉っぱの薄皮を剥いで皮の内側に貼り付けると皮が硬くならずにペネロープさんの所に持ち込めるんです」
僅かな時間で皮の始末を終えたデオルグは今度はコボルトの前足にナイフの刃を立て始めた。
「それは?」
「三年くらい前から東の都でコボルトの前足が縁起物として流行しているらしくて……行商の方が買い取ってくれるんです」
「はああ?」
「なんでも都の女子学生が巾着袋にぶら下げて歩いているそうなんです……」
「でもなあ、コボルトの前足って角質化されててカチカチに硬くなってるんだからそう簡単には……」
デオルグがコボルトの手首にあたる部分に浅く切り込みを入れて、踵で体重をかけるとポキンと軽快な音を立てて折れる。
「慣れてやがんな……」
「お金になる素材はこれだけです……あと……」
毛皮を剥がれて丸裸になったコボルトの尻尾のあった近辺を解体用ナイフで抉り取ると小さな袋状の臓器が取り出された。
「これ……コボルトの肛門線なんですが……潰すと物凄い臭いが立ち込めて、嗅ぎつけたコボルト達が無限に引き寄せられますが……どうします?」
「ちょ、ちょっと待て!先ずは飯を食おう!食いながらミーティングだ!いいな?まだそいつを潰すなよ?」
デオルグはポケットの中から小さな竹筒を取り出して、コボルトの肛門線を潰さない様に慎重に入れて蓋を閉じると、一メートル程の穴を魔法で掘るとコボルトの亡骸を放り込んだ。
『閃光』のメンバーは狩場予定地から街道に向かって移動をしながらこれからの予定を話す。
「一度街道まで戻ってそこで作戦会議だ。もうすぐ陽が沈むから夜明かしするかどうかだが……」
ストックがチラリとデオルグを見やると相変わらずオドオドした態度で手を挙げた。
「あの……夜はコボルトが活発に活動していますが、今夜はそれ程散らばってはいないと思うので、街道付近まで下がれば安全だと思います……明日早朝から引き狩を始めれば夕方にはそこそこ目処がつく気がします……」
「理由を聞いて良いか?」
「あの……先程草刈りをした時にかなりの数の兎がコボルト集落に追い込まれましたので……」
「ははっ、成る程!コボルトも今夜は新鮮な兎で宴会って事か!危ない橋を渡ってまで人間を襲う可能性は低いな。決まりだ!今夜は街道付近まで下がって夜明かしをする。コボルトと違って新鮮な兎は食えないが街に戻ったら俺達も宴会だ」
ストックはパーティーメンバーを鼓舞するかの様に宴会を目の前にぶら下げて士気を高めると、いつの間にかデオルグの手には兎がぶら下がっている。
「その兎は?」
「昼に移動した時に兎の通り道をいくつか見つけたので……罠を……」
「あの短時間で仕掛けたのか?」
「兎の罠は歩きながらでも簡単に作れるので……農家さんのアルバイトで、兎の被害が深刻だったので……」
デオルグは自生している蔓で作ったくくり罠をストックに見せる。
「美味そうだな……」
「この先にも数箇所仕掛けてあるので……」
兎肉のローストでパーテイーの士気は確実に上がる事となった。
各自手持ちの岩塩を振りかけて、デオルグがまた何処からか調達して来た薬草の一種を火で炙った後にパリパリと砕いて振りかける。
ジュージューと脂の踊る音を聞きながら、もぎ取った兎の脚にかぶり付くと口の中からあふれる様な肉汁がたっぷりと染み出て来る。
薬草のおかげだろうか食べても食べても胃にもたれる事も無く、普段は少食なエルフのウエイトですら兎をペロリとたいらげた。
「時期が良かったんですね、若い兎ばかりだったので一人一羽づつでも丁度良い大きさでしたね」
余韻を楽しむ様に焚き火の中に食べ終わった後の骨を焼べて香りを楽しむストック達にデオルグが鍋を差し出した。
「グリーンウッドの木を見つけたので新芽を少し摘んで来ました」
鍋から香る清々しい香りににエルフと魔法使いが素早く反応して自分のカップを差し出した。
「ああ、こんな山の中でお茶が飲めるなんて」
「精霊が喜んでいる」
全員にお茶がまわったところでストックが明日朝からの動きについてミーティングが始まった。
「明日の動きだが、デオルグ何か案はあるか?」
口元をおさえて魔法使いのバンドが笑いをこらえる。
「バンド、言いたい事があるなら言え」
「今回の依頼はデオルグさん中心に動いているなって思っただけだよ」
斥候のバルブもニヤニヤと笑っている。
「いつも通りにしても良いんだぞ?」
バンドとバルブはブルブルと首を振り口を閉じた。
「あの……生意気な事を言う様ですが、バンドさんは水系統の魔法は得意でしょうか?」
「水なら任せてよ!水弾の魔法ならちょっとした威力を持ってるよ!」
「あ、いえ……水操作の魔法で良いのですが、僕が狩場の周りに穴をいくつか掘って水を溜めますので、それを操作して噴水を操作していただければ……狩が楽になるかも知れないなと……」
「はあ?水操作って初等科の頃に夏休みの課題で出されたヤツだから丸一日でも可能だけど……」
困惑するバンドを遮る様にストックが言葉を挟み込む。
「なあ、デオルグ。お前の言葉を馬鹿にする奴はここにはもういねぇ。だがお前は言葉足らずだ。俺達にも理解出来る様に教えてくれないか?」
パーテイーメンバーがストックの言葉に頷きながらデオルグに注目するとデオルグはポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「するってえと、コボルトは水を怖がるって言うのか?」
「いえ、全部ではないんです。群れがあると四割から五割の個体が水を怖がるらしいので……コボルトを番犬に使えるか研究していた農家さんが水を利用していたらしいです。そのうち普通の番犬まで狂った様に気性が荒く水を怖がる様になったので、解体場の主任さんはコボルトみたいな犬種特有の病気なんじゃないかと話していました。全ての個体に当てはまる事柄では無いので、ギルドの公式情報として流す訳にはいかないとも言ってました。なので狩場を噴水みたいな物で囲んでしまえば一気に押し寄せて来る事は無いかな?と……」
「まあ、どっちにしろ殲滅が目標だから試して見る価値は充分にあるな、じゃあこうしよう。デオルグが刈り取った草むらを囲む様に噴水を配置してバンドは噴水で結界の維持。噴水を抜けて来た個体をバルブが引きつけながら白い棒まで誘導。ウエイトは木の上から今日教わったコボルト三白を狙ってくれ、デオルグのフックの範囲内でだ。俺は棍棒で一匹足りとも後ろに逸さん。以上だ。質問は?」
パーテイーメンバー全員が肯定の沈黙を返した。
翌朝は夜明け前から噴水の準備にデオルグは走り回り、バンドが魔法で取り出した水と湿地から操作した水でデオルグの開けた穴を満たして行った。
「よし!その臭い内臓をばら撒いてくれ!」
デオルグは竹筒の中からコボルトの肛門線を取り出して石ですり潰し、そよ風程度しか威力の無い風魔法で扇ぎ始めて数分。コボルトが十数匹草むらから顔を出して威嚇し始めた。
「バルブ、南側に五」
「了」
斥候のバルブが次々にコボルトの注意を引きつけてカルガモの親子の様に引っ張り回し、ストックの棍棒とウエイトの矢がコボルトに突き刺さる。
百匹も始末した頃には更に勢いも増して来た様にも見える。
エルフのウエイトは変わり者だ。
ウエイトを知るエルフは声を揃えてこう言った。
『あいつと一緒にするな」と……
「ウエイトさん!」
樹上にて機械の様に矢を射掛けるウエイトに下から声がかかり、視線を移すとデオルグが太い竹筒を放り投げて来た。
太い竹筒の中にはコボルトに突き刺さっていた矢が綺麗に洗われて形の良い物だけが入っていた。
ウエイトはデオルグの心配りに関心して小さく口笛を吹いた。
「もう一つ」
今度は蓋をされた竹筒が放り投げられて来た。蓋を開けるとふわりと新緑の香りが漂うお茶が飲みやすく冷めた状態で入っている。
ウエイトはガブリと飲み干すとデオルグに手を挙げた。
ウエイトは祈る。
少し毛色の違う人間に自らの閉ざされた心を開いてくれる事を予感して。
「精霊に感謝を」
小さな感謝の言葉と共に。
魔法使いバンドは飽きっぽかった。
幼い頃から将来を有望視されて魔法使い養成学校に入学したのは良いが、元来飽きっぽい性格が祟り成績は芳しくなく。目新しい魔法にばかり目移りした挙句に単位を落として冒険者稼業である。
「飽きて来た……」
朝からデオルグの掘った小さな溜池で地道な噴水作業である。
「バンド!次よこせ!」
「了解!」
指示があれば噴水を止めて小分けにコボルトを流すだけの作業に飽きて来ていたのである。
「バンドさん差し入れです」
コボルトのトドメ担当のデオルグが竹で出来た水筒を持って来る。
作業を中断して差し入れなどを配っても大丈夫なのかと心配になり、デオルグの担当場所に目を移すと百匹以上は解体している筈なのに整然と片付けられていて剥いだ皮も綺麗に積み重ねられていた。
「濃いめのお茶と桃椿の実です」
「桃椿?」
黒っぽいラズベリーに似た小さな果実を渡される。
「そこで偶然見つけたんで……魔力向上に効果があるらしいです」
「え?」
デオルグは確かに言った。
魔力回復では無く、魔力向上と。
バンドは詳しく聞き出そうと思ったが今までのパターンから答えは想像出来る。
アルバイトだろう。
忙しなく駆けていくデオルグの後ろ姿を眺めながらバンドはその黒い実を口に放り込んだ。
「酸っぱ……漲って来たあ!」
何もかもが飽きっぽかった彼に、久しぶりに楽しそうなオモチャが手元に転がりこんで来た気がした。
バンドは唱う。
これから起こるかも知れない新しい風に期待を寄せながら。
斥候バルブは作戦開始から走りっぱなしであった。
身体中汗まみれでコボルト達を引き付けているので衣服もブーツも脱ぎ捨てて裸で走りたい気分になっていた。
「バルブさん!」
走っているバルブの軌道を先読みしてデオルグが竹筒を投げて来たので受け取ると竹で作った簡易的な水筒に茶が満たされていた。
「ありがてぇ」
「もう一本!」
バルブがデオルグから水筒を受け取ると追いかけ声がかかった。
「筋肉疲労に聞く薬草を煎じてあります!身体にかけて下さい!」
デオルグの言葉を聞いて水筒の中身を足元や頭からかけた。
「うお!スッとする!」
身体中の熱気が取れて、身体を動かす度にスースーと心地良い冷たさが身体に走る。
「折り返しです!頑張りましょう!」
「応!」
バルブは踊る。
新しい仲間の存在意義を証明する為に
大剣士ストックは戸惑っていた。
コボルト集落の殲滅依頼とは言え百匹以上始末したにも関わらず勢いが落ちる様子が見られない事に。
その様な状況に置かれているのにパーティーの弓師は調子を上げていて『コボルト三白』と呼ばれる弱点を射抜くだけでは無く、動き回るコボルトの眼球を貫き脳にまで至る致命傷を与え始めている事に。
魔法使いは元々単調な仕事を苦手としている癖に、噴水に混ざって水で出来た大魚を空に跳ねさせてコボルトを威嚇し始めた。
斥候に至っては朝から走りっぱなしで足下がバタついていたのに、今では踊る様なステップを踏み始めてコボルト達を釘付けにし始めた。
「どうなってやがる」
「ストックさん!」
背後からデオルグの声がかかり竹筒の水筒を投げ渡される。
「応!」
ガブリガブリと水筒の中身を煽ると身体に染み渡る様な清々しい香りが鼻を抜ける。
ストックが人心地付いた気がしたと思ったら、背中から筋肉疲労に効くと言う薬を振りかけられる。
「うひゃおう!」
「これ、替えの棍棒です!」
足下に転がる棍棒を拾い上げて軽く振ると今までコボルトを叩いていた棍棒とは重心が変わっていて先調子になっている。
「器用だな……こっちのが好みだぜ」
足下に絡みついて来るコボルトの鼻先に棍棒をたたき込むと、今まではしなかった破裂音が響き渡りストックは一瞬呆気に取られた。
棍棒を観察して見ると先端に意図した様に切り込みが入れてあり、衝撃が加わる度に派手な音が鳴り響く様に細工を施してある様だった。
打撃としては全く意味を成さない細工であったがストックはそれを見て笑い出す。
「悪く無ぇ……悪く無ぇぜデオルグ!お前ぇは浪漫って物を解っている!」
ストックは笑う。
久しく忘れていた少年の頃を思い出しながら。
「おう!親父!この皮を引き取ってくれ!全部コボルトの皮だ!」
「うるせぇぞストック!店先でデカイ声出すんじゃねぇ!コボルトの皮なんざ買い取りしねえから持って帰れ!」
皮革卸業者のペネロープは店先に山の様に積まれたコボルトの皮を一つ掴み上げ、ジロジロと睨め付けた後にストックを睨み付けた。
「デオルグの仕事か?」
「お、おう」
「全部置いて行け」
手の平を返した様に皮の重さを計り始めたペネロープにストックは突っかかる。
「親父テメェ前にコボルトの皮は絶対に引きとら無ぇって言ってたよな?」
「当たり前だ!お前ら冒険者が力任せに斬りつけた傷だらけの皮なんざ雑巾よりも価値が無い!その点デオルグはうちで臨時雇いできちんと勉強した上で持ち込んで来てるんだ!少しは見習いやがれガラッぱちが!」
ペネロープは黙々と重さを計り買い取り額を算出していたが、ぱたりとその手を止めてストックを睨み付ける。
「デオルグの野郎はお前らのとこに拾われるのか?」
ペネロープの何時もとは違う重々しい口調に戸惑いながら、唾を飲み込み慎重に答える。
「これからその話し合いだ」
「デオルグはどうだった?」
「護るつもりがよ……すっかり護られちまった。カッコ悪い……」
ペネロープはストックの答えを聞いて呆れた様に鼻で笑いながら買い取り金額を書き直した。
「今回は少し色を付けておいてやる」
ストックの答えに満足した様に何度も頷き金の入った袋を投げ渡す。
「デオルグを頼んだぜ」
「応よ」
『閃光』の宴会は冒険者が集う酒場『NEST』で行われていた。
通常コボルト集落の殲滅は嫌がらせの様に数日間隔で何度も集落を襲い、コボルト達が集落を捨てて居なくなるまで続けられる。
片手間に重複依頼を片付けながら、短く無い期間を費やす事によって収入を確保するのが通常の手順である。
殲滅と言うよりは追い散らすのが実状である殲滅依頼が、今回三百五十を数えるコボルトの毛皮を殲滅の証としてギルドに確認させた事で、異例ではあるが僅か四日で依頼完了の手続きが行われた。
「てな訳で今回は僅か四日で七十万エーヌの稼ぎだ!」
「おお!」
「やったね!」
『閃光』パーティーは今夜四回目の乾杯をする。
「そしてこれだけじゃ無ぇ!デオルグのおかげで副収入の総額が八十五万エーヌだ!」
「おお!」
「もう副収入じゃ無いじゃん!」
竹籠三つ分のコボルトの足と三百五十枚の皮の売り上げは本収入であるコボルト殲滅依頼を大きく超えていた。
街道で大荷物を抱えて途方に暮れていた面々をサルベージしてくれたのも、偶々通りがかったデオルグの顔見知りである行商人の馬車だった。
「デオルグに感謝を!」
「感謝を!」
本日五回目の乾杯をした後にストックが本題に乗り出した。
「さて……我が『閃光』パーティーがデオルグを正式に加入させるかの件だが……デオルグ今回一緒に仕事して見てどうだった?うちのパーティーは」
突然会話を振られたデオルグはアタフタとエールのジョッキをテーブルに置き、姿勢を正すともじもじと話し出す。
「こんなに楽しい仕事は生まれて初めてでした。小さい頃から憧れた冒険者達が目の前にいて僕がその一員として働いているなんて……まるで夢みたいでした。もし……もし許されるのなら……皆さんと一緒に……」
ゴニョゴニョと尻つぼみに小さくなって行くデオルグの言葉を聞いてストックはニヤリと笑った。
「うちのパーティーがデオルグを拾うか、拾わないかって言うなら答えは……拾わないだ」
「あ……はい……そうですよね……」
しょんぼりと肩を落とすデオルグはエールジョッキを握りしめたまま俯く。
「我が『閃光』パーティー全員はデオルグ。お前を是非共パーティーの一員として欲しい!こう言う場合はな……俺達がお前を拾うんじゃ無ぇ……お前が俺達を拾うんだ。頼む!是非共『閃光』の一員としてその辣腕を振るってはくれないか!」
「精霊も望んでいる」
「俺達を拾ってよ!」
「つべこべ言わずに拾ってくれ」
『閃光』の面々は事前の打ち合わせ通り一斉に立ち上がりデオルグに手を差し出した。
デオルグは長年の苦労で感情を抑え過ぎたせいか、不意を打つ感動に声を上げることも出来ずに号泣するだけしか出来なかった。
辛くて悔しくて流す涙を止めるのは慣れていても、嬉しくて有り難くて流す涙の止め方はデオルグには解らなかったが、不思議と心地良くて止めようとも思わないでいる。
「あ〜あ〜汚ねぇなあ、鼻水くらい拭けよデオルグ。マスター!雑巾くれよ雑巾!」
「うちの店で騒ぐなストック!」
弓術士は厳かに祈り
魔術師は高らかに唱い
斥候は軽やかに踊り
剣士は賑やかに笑う
冒険者達は小さな舞台を得る事によって今夜も廻り続ける。