003,馬車と助太刀
実のところ、採用されたあとはすぐに異世界へと赴くものと思っていた。
だが、実際には研修を受け、必要最低限の知識と技術を習得してからだった。
しかも、その研修期間というのが案外長かった。
その間、実時間で半年。だが、特殊な空間での研修であったため、体感時間に直せば三年もの長さだったのだ。
その三年間のほとんどは体力づくりに割かれていたのが最も辛かったことだろうか。
まあ、半年で三年分の給料がもらえたのは嬉しかったけど。
そんな経緯があるため、整備されていない草原を数時間もの間歩きづめでも大した問題はない。
結界魔法で身体の周囲に結界を追従しているため、膝丈の長さの草に煩わされることがないのも要因のひとつだろうが。
歩くこと数時間、その間に襲い掛かってきた魔物は両手の指をちょっと超える程度。
その全てが草むらからの奇襲を仕掛けてきたが、結界のおかげで傷ひとつ負うことはなかった。
返す刀で土魔法の礫や土弾を使って仕留めてはいるが、正直なところ倒した魔物を持ち運ぶことは不可能だった。
所持品を入れている肩掛けの鞄はあるが、そのほかに持っている収納は適当な大きさの袋がひとつ。
これに入れていってもいいが、まだまだ歩くことを考えると荷物を増やすのは得策とは思えない。
なので、研修で受けた通りに討伐証明となる部位だけを切り取って袋に入れている。
正直生臭いし、あまりうまいとはいえない解体技術では生活魔法を駆使しなければあっという間に袋が汚物入れになっていたことだろう。
もちろんこの討伐証明の部位や解体技術は研修で学んだことだ。
でなければ現代日本人に魔物の解体など無理だろう。
……研修の初めのほうではよく吐いたっけな。
乱魔探知を定期的に唱え、真っ直ぐに反応している場所に向かっているが、このシンドール大草原は大がつくだけあり、本当に広い。
初仕事をした森がもう確認できないほど進んでいるのにまだ終わりが見えないのだ。
遠目にみえる山並みと、点在している木や巨大な岩が目印らしい目印だが、正直なところこれだけを頼りにしていたら迷いそうだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
味気ない携帯食料をかじりながら乱魔探知の反応に従って、さらに進むこと数時間。
正直、飽きた。
体感時間三年の研修を受けているとはいえ、オレは現代日本人。
せめてスマホを持ち込ませてもらえれば音楽でも聞きながら移動できたのに。まあ、でもそんなことしてたら時折奇襲を仕掛けてくる魔物の対処が遅れそうだな。オレには結界魔法があるから関係ないけど。
その結界魔法があるから緊張感が足りなくなっていくのは皮肉なものだ。
だが、結界魔法をぶち破ってくる魔物がでたら対処不能なのでこれでいいんだろう。
Lvが上がれば結界の強度もあがるはずだが、毎日使っても能力がLvアップするのは年単位の時間がかかる。
だからこそのボーナスポイント制度だ。
ボーナスで獲得できる能力はすでに獲得済みの場合、Lvが上昇する。
この仕様を利用して年単位の訓練時間を短縮するのだ。
ちなみに、当然だがこの仕様は調魔魔法を使えるオレだけの特権だ。
この世界の人間にはできないことなので、彼らは正規の手段で能力を鍛える必要がある。
ただまあ、異世界歴一日未満のオレとはその時点ですでにハンデができているのでズルだとは思わない。
むしろオレのほうが不利とさえ思える。
そんなことを考えながら歩いていると、遠くのほうから何やら音が聞こえてきた。
音の方角に目を向ければ、どんどん近づいてくるナニカ。
時間が経過するごとにはっきりと見えてくるそれは、どうやら馬車のようだ。
とはいっても、荷馬車と呼ばれる荷台と御者席だけの単純なものだ。
「ああ、なるほど。追われてるのか」
どうやら荷馬車は狼のような生物から逃げている最中らしく、御者席に乗っている人は必死に馬に鞭を入れている。
本来はこれほどの速さで走るものではないのだろう。荷台はかなり勢い良く飛び跳ね、荷物が今にも落ちそうだ。
落ちないのはかろうじて荷台にかけてある布のおかげか。
というか、草原を走っている速度ではないのであの辺りに道があるのかな?
草原を歩くのにも飽きたし、あの馬車に乗せてもらえるならありがたい。
そういった打算を踏まえて馬車を助けることにした。
「土弾! ひとつふたつ三つ!」
走りながら狼に狙いをつけて土弾を三つ放つ。
大きな声を出したおかげで御者がこちらを見て驚いている。
「助太刀する!」
「た、頼む!」
放った土弾は二匹の狼に命中したが、一発は外れたようだ。
だがそのおかげで狼たちの注意は馬車ではなくこちらに向いたようだ。
走る勢いをそのままに次々に狼たちが草の海に消えていく。
荷馬車は速度を落とさず駆け抜けていったが、ある程度距離を取ったら止まってくれることに期待しよう。
じゃなかったら助け損だ。
まあでもまずは目の前の脅威の排除のほうが先決だ。
草の海に隠れた狼たちだったが、それほどまたずにやつらから仕掛けてきた。
それも土弾で負傷した狼を除く、全ての狼が同時に。
様々な方向から同時に連携してきたのは、正直なところなかなかだと思う。
まあそれも結界が全部防いでしまったけど。
あとは驚いている狼に土弾と礫でぶつけていくだけの作業だった。
荷馬車を追いかけていた狼は全部で七匹。
そのうち初撃の土弾で負傷した狼を除く五匹が次々と動かなくなっていく。
かなり離れた狼に当たった土弾でさえ、相当な怪我を負わせていたのだ。
至近距離で当たればひとたまりもない。
礫ですら当たった箇所にもよるが、最低でも打撲して動きが極端に鈍っているようだし、魔法は相当強い。
草原を歩いていたときに襲ってきた魔物は、蛇とかネズミとか比較的小さなものばかりだったから実感が湧きづらかったが、狼は結構大きい。
大型犬くらいのサイズはあるのに、土弾の一撃でピクリとも動かなくなるのだから。
初回ボーナスで攻撃魔法を獲得したのは大正解だったな。
襲い掛かってきた五匹にきちんと止めを差し、討伐証明部位を剥ぎ取って生活魔法で綺麗にする。
狼が死んだフリをするとは思えないが、しっかりと止めを差して危険を排除するのは大事なことだ。研修で嫌というほど学んだことだからね。
最初に攻撃した二匹も街道らしき道の上で動けずにいたので、そちらもしっかりと止めを差し、討伐証明部位を剥ぎ取っておく。
この二匹は道の上に放置しておくのも交通の邪魔だと思ったので、適当に草原に投げ入れておいた。
「おーい! あんた大丈夫かー!?」
「大丈夫だ! 狼は全て倒した! もう安全だ!」
「わかった! 今そちらにいく!」
そんなことをしている間に通り過ぎていった荷馬車が戻ってきてくれたようだ。
これで乗せてもらえるように交渉できる。
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「普段は狼なんぞでないところなんだがなぁ。いやあ、運が悪かった。でも、あんたに会えたんだから運がよかったのか?」
「まあ、どちらにしても無事でよかったよ」
「まったくだ。それにしてもアンタ強いなぁ――」
荷馬車には無事に乗せてもらえることになった。
やはり、移動中は暇なのか、荷馬車の男――ニルノさんはよく喋る。
おかげで研修では得られなかったこの世界の生の情報が色々と手に入った。
ニルノさんはシンドール大草原を横切る街道――シンドール大街道を通って行商を行っている最中だったそうだ。
普段は大した魔物など出ないシンドール大街道なので、節約のために護衛を雇うことをしなかったらしい。
ニルノさん自身もそこそこ戦えるらしかったが、さすがに狼七匹というのは手に余る。
それ以前に狼がこの辺り出るのは、年に一回あるかどうかというほど低く、もし運悪く出会っても全力で逃げればなんとかなるだろうと、完全に油断していたそうだ。
年一回でるかどうかとはいえ、この世界は小さな街でも石壁を築いて防備を固める程度には外が危険な場所だ。
命には代えられないのだから迂闊な人だ。
まあ、本人はそのことを冗談と共に笑いとばしていたけど。
ニルノさんの話しによれば、この調子なら夕方頃には次の街につけるだろうということだった。
荷馬車のスピードはそれほど早いわけではなかったが、歩くよりは断然早い。
あのまま歩いていたら今日中には街には着かなかった可能性が高い。
初日から野宿というのはちょっと勘弁してほしかっただけに、狼がニルノさんを追いかけてくれたことに少しだけ感謝した。
ただ、どうやら乱魔探知で反応した場所からは少しずつ遠ざかっているので、探しに行く場合は足の確保をしてからにしたほうがよさそうだ。
一応馬も研修で乗れるように訓練したから、貸し馬とかあればいいのだが。
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「見えてきたぞ、ソラさんよ」
「お、あれがルルドの街か。結構大きいね」
ニルノさんの尽きない話に最終的には相槌を打つだけになっていたオレだが、それもようやく終わりが見えてきたようだ。
遠目に見えるルルドの街は、頑丈そうな外壁に覆われ、外壁の周りには深い堀が掘ってあるようだ。
さらには外壁の上を兵士と思しきひとが複数人巡回もしている。
それだけしなければ安全を担保できないのだろう。
改めてこの世界が危険であることを思い知らされる。
「身分証と大銅貨一枚の用意だけはしておいてくれな」
「了解」
夕暮れに染まり始める時間だからか、街道から続く門に並んでいるひとは少ない。
さあ、この世界初めての街だ。
少しドキドキするね。