バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

黒山

 ドライブの帰り、渋滞を避けて入り込んだ夜の山道は思いのほか酷道で閉口した。
 本当に抜け道なのか気が気ではなかったが、他府県ナンバーの四駆車が前を走っているので大丈夫だろう。
 助手席の彼女が退屈したのか、さっきからワイパーやハザードランプのスイッチをいたずらしてくる。
 危ないからと何度も注意していたが、くすくす笑ってやめようとしない。こんな道を走ることに怒り出すよりはましかと思っているとようやく雑木林に囲まれた道を抜けた。ぽつぽつと民家の窓が見えてきたので一安心だ。
 下り坂のカーブも緩やかになり走りやすくなった。だが、まだ道は狭い。ガードレールにぶつけないよう注意が必要だった。
 彼女が再び手を伸ばしてきてハンドルをぐいっと動かした。
 車が大きく蛇行し、慌てて元に戻す。冷汗が首筋を流れ落ちた。
 彼女にきつく注意しようとしたが、目の前の四駆車が急停止した。
 大慌ててブレーキを踏む。
 車から降りたいかつい男がヘッドライトに浮かぶ。眉をつり上げた鬼のような顔でこっちに走って来た。
「さっきからおちょくっとんのか、こらぁ」と怒鳴り散らし運転席の窓を激しく叩く。
 怯えて顔を伏せる彼女をかばい、どこか逃げ道はないかととっさに辺りを窺ったが車が入れるような横道はない。
 あるのは鳥居の立っている細い参道だけで、その奥には山影が黒く浮かび上がっていた。
 怒鳴りながら窓を叩き続ける男に何度も頭を下げたが、男はいっこうに引き下がってくれない。
 困り果てて逸らした視線の先、地面の上を黒い何かが流れるように近づいてきた。
 虫の大群だった。参道をひしめき合いながら鳥居をくぐって流れ出てきている。それに合わせ奥の山影がだんだんと欠けて低くなっていった。
 男は黒い流れに気付いていない。
 虫の群れが足元に到達すると我先にと全身に這い上がり、男の体を黒く染めた。
 男が悲鳴を上げて暴れ出しても虫たちは一匹たりとも落ちない。
 黒く包み込まれた男の体は蠕動しながら小さく萎んでいく。
「何? 何が起きたの?」
 うつむいたまま叫ぶ彼女に、
「しーっ。顔を上げるな。目を閉じてろよ」
 と、彼女の手を握って耳元で囁いた。
 男が消えて無くなってしまうと虫たちはエンジンがかかったままの四駆車に向かい黒く包み込んだ。
 急いでかつゆっくりと車を発進させ、徐々に小さくなっていく黒い固まりの横をぎりぎりすり抜け、その場を後にした。

 後日、鳥居のあった場所を一人で訪れた。
 鳥居の奥には小さな祠があるだけで山などなく、男が立っていた地面にはコップ一杯分ほどの赤黒い染みが残っているばかりだった。


しおり