『武器(俺)』は困惑する
チャイムが鳴り響いている。
しかし、聞き慣れた筈の不協和音に近い高い音が、今この瞬間だけ長く、そして深く心に響く。
「......!」
何故だろうか。いや、考えなくても答えはもう目の前にあった。
アリア・ダンデリオン。この世界で最強の軍事力を誇るここリファリナ王国で、しかも十七才という若さで、実戦では敵無しと言われるほど、正に王国最強の戦乙女(ヴァルキリー)としての地位に純粋な剣術だけで上り詰めた美しい少女から今、目の前で顔を寸前まで近づけられて、挙げ句には俺の目を綺麗と言ってきたのだ。
それは誰でも驚愕する。勿論、今の俺もしている。
事実、これまでの恐怖を通り越して、ポカンとしているだろう俺の顔が、鏡を見なくても自分でも目に浮かぶ。
そして、目を有らん限り見開いてるし、口をアホみたいに開けている。
そんな俺と目が綺麗という言葉を言い終えたアリア・ダンデリオンは依然として互いの、思わず鼻がくっつきそうな距離で見つめあっている。
くっ......速く逃げたいのに......体が縫い付けられてるようなっ
不思議な事である。
いや、これは不思議な事ではなく、ちゃんとした理由があるのだ。
今の俺は、動こうという意思があっても体は正直のようで、目前にある恐怖の対象からジッと見つめられているためなのか、足が震え、鳥肌が立ち、ガクガクと少しだが足が震えている。
それではまともに歩くことさえできないのだ。
さぁどうするっ!......実際、今の状況は人生最大の危機と言っても過言ではない......ここで逃げるという強行策に出ても、もしアリア・ダンデリオンの感に触ればそのサーベルで一斬りか、先生にチクって校長室に呼ばれて退学、そして犯罪者扱いされて人生を失ってしまう......でもこのまま見つめあっていてもし他の女子生徒にこれを見られれば、王国中から英雄扱いされている超人気な人だから嫉妬されて殺される......かと言って、話し掛けて余計なことを口走って一斬りされる......
そう考えてる内に、一つの結論に至った。
───あっ......これ詰んだな
しかし、女尊男卑のこの世界では、仕方がないことなのかもしれない。
しかも極度の。
男は大事にされているものの、『武器』という道具扱いである。
持ち主がどう使おうと、誰も咎めはしないのだ。
そんなことを思っていると、アリア・ダンデリオンがやっとその近づけている顔を離す。
「はぁ......」
そう思わず、安堵してしまった。
肩の荷が積み木のように崩れ落ち、まだ怖いと思っていても、あれほどの恐怖から解放されるのは本当に気持ちいいものだった。
この俺の安堵の姿容を見て、はっきりと分かっただろう。
この今の世界を誰が支配しているのか。
「......」
顔から離れたものの、まだこの状況は終わっていない。
王国最強の戦乙女(ヴァルキリー)を前にしている、この恐怖の状況から。
単位の関係もあり、午後の実技の授業には出たいのだが、中々この状況からは難しいだろう。
出来ればアリア・ダンデリオンから話し掛けてほしい。
その方が楽だし、なにより相槌を打って、的確な感想を言えば良いだけなのだから
しかし、時間が無い今、ここはもうリスクを負って自分から打開するべきか。
そうでないと留年してしまう。
「......」
拳をぎゅっと握り締めて、歯を噛み締める。
女の子に話しかけるだけで何をしている───とでも言いたいだろうが、本当に今は人生の分かれ道なのだ。
片方は地獄。
片方は日常。
天国は無いが、それでも日常に戻れるだけでどれほど嬉しいものか。
だから......俺はっ......
「───......それ」
「......っ!?」
話しかけようと決意を固めた瞬間に、好都合なことにあちらから話しかけてきてくれた。
これは勝利の女神がこちらに今微笑みかかけている。
存分にこの機会を生かさなければ......!
「......えっと───」
アリア・ダンデリオンは今、「それ」と言った。
「それ」とは、この場合持っている、或いは俺が身に付けている物のことを指している。
ここで、アリア・ダンデリオンの視線を辿ってみると、俺の今両手で恐怖のせいか手に汗握りすぎた弁当箱の方を見ているようだ。
そう。この話は弁当箱についてだ。
───これぐらい慎重に整理して話さなければ、的確な返答が出来ずに首チョンパされてしまうかもしれないのだ。
チキンでも何でも良い。
俺はただ、生きていたいだけだ!
「弁当箱の......事ですか?」
そう聞き返すと、アリア・ダンデリオンは以前として感情が乏しい顔で、頷いた。
「その......これがどうしたんですか?」
少し震えている声だが、これは止めようがない。
本当に怖いのだ。
俺はそう言って、出来るだけ早く答えられるように次の話の段階へ行けるように土台を作った。
土台の上に乗ったアリア・ダンデリオンは、予想通り、速く返答する。
「......いつも、君がお弁当の中身をここに捨ててるのを見てたから、何かあったのかなって思って」
俺はその無感情な声の言葉に、胸が跳ねてしまった。
ここは滅多に人が通らない場所で、しかもほぼ人がいる教室の窓からは死角になっている。
ここを見れる窓は、精々図書室の一番左の窓か、トイレの小窓ぐらいだ。
そんな所に、いつもここに捨てに行っている俺を、いつも見ていた?
こんな目立たない場所のそしてただの『武器』同然の男子の俺を、いつも見ていた?
何でだろうか。
怖かったのだが、少し嬉しく思ってしまった。
いや、そんなことを思っている場合ではない。
気持ちをここで切り替えて───何でいつもここにわざわざきて、お弁当を捨てに来てるのかをアリア・ダンデリオンは俺に聞きたいらしい。
「そ、そのっ......えっと......」
ここは言葉で説明するより、見せた方が良いかもしれない
そう思ったのだが、母さんがいつも作ってくれている弁当が毎日のようにぐちゃぐちゃにされて、食べれない罪悪感に、少し辛くなったためか、思わず苦そうな表情をしてそれを見せると
「......」
俺のお弁当の中身を見た瞬間、アリア・ダンデリオンの感情が乏しかった顔は、いつの間にか真剣になったように眉を少し狭めていた。
「......これ、誰かにやられたの?」
これまで通り、無感情な声だったが、少し怒気も不思議と感じられる。
それに少々驚きながら、隠しておきたい気持ちもあるが、嘘をついて後が怖くなるのが嫌なため、ここは頷くことにした。
「え、えぇ。クラスの皆から......」
そう言った瞬間、アリア・ダンデリオンは驚いたのか、目を少し見張りながら、次にこう聞いてきた。
「......毎日?」
「......」
───俺は分からずにいた。
何故こうも俺の日常生活のことをどかどかと聞いてくるのか。
あの学園内カースト最上位の、歴戦の戦乙女(ヴァルキリー)の、世界中から『剣姫』と呼ばれるほどの、王国の英雄と呼ばれるほどの人が何故、唯の『武器』でしかない俺の日常生活のことを気になっているのか。
───そしてどうして、俺の入学以来ずっと味わってきた境遇を一緒に悲しんでくれるのだろうか。
今、アリア・ダンデリオンの表情はいつも通りの感情が乏しい、言うなれば無表情だ。
しかし、俺は不本意にだが、間近でその端正で無感情な顔を見つめたのだ。
あの時は恐怖で何も考えられなかったが、今思い返してみると、凄く綺麗な人だった。
遠くからこの人をいつも見ていたあの頃は、怖さは確かにあったが暢気にも可愛い人だなと思ってしまっていた。
まるで人形のように整いすぎた容姿に、王国最強の戦乙女(ヴァルキリー)らしく無表情で凛としている───というのが、俺の今までの印象だった。
だが、今はどうだろうか。
俺の今の境遇を話した瞬間、嘲笑うかと思えば、真剣な表情を浮かべ、さらに詳しく話せば悲しんでいるように眉を少し落としているのだ。
それを見てて、何処か嬉しく思っている自分が居る。
いや、そうか。
これまでそうやって共感してくれる人なんて居なかったんだ。
だから久し振りに出会えたから、嬉しいんだ。
「......」
困惑はしている。
しかし、今もこうして俺の答えを待ってくれているのか、ずっと俺の目を見てくれている。
アリア・ダンデリオン......あんたは一体
何処か他の戦乙女(ヴァルキリー)とは違う気がした。
俺達男を道具扱いをする唯の化け物達と、アリア・ダンデリオンは何か違う気がした。
「はい......毎日です」
俺はここまで詳しく、虐められている事について話すつもりは無かった。
「......そう」
「......!」
どうして、そんなに悲しそうな顔をするんだ。
唯の『武器』が、こうして虐められているだけの話だぞ?
アリア・ダンデリオンは少し目を伏せて、細めた瞳と真剣な雰囲気を漂わせながら、次にはこう言った。
「......頑張って生きて。決して屈しない強い心と揺るがない自分の信念を持って」
「───ぇ」
「......必ず、報われる日が来る」
「は、はい......」
連続して言われて、思わず最後には返事をしてしまった。
そよ風が周りの生活音と自然音を拐い、アリア・ダンデリオンの綺麗なシルバーブロンドのサラサラな長髪を大きく揺らした。
俺はそれに、無意識に見惚れている。
瞠目する俺をアリア・ダンデリオンは
「......君の目には、どこまでも強くなれるような、太い芯が通ってる」
「......俺の目? ですか?」
聞き返すと、コクりと頷いた。
「......そして、君は今まで会ってきた人の中で、一番強く、鋭く、そしてしなやかな心を持ってる」
そうして、アリア・ダンデリオンは少し間を置いて、こう言った。
「───......きっと、君がなれる『武器』は一番強い」
「......」
突然何を言っているのだろうか。
そう困惑しながら、俺は自分の胸に、拳を当ててみた。
俺の『武器』が......一番強い?
『剣姫』から言われた言葉は、果たして本当なんだろうか。
俺が何故虐められているのか、という最大の根本の理由は、俺がなれる『武器』に落ちこぼれの烙印を押されたからなのに。
「......決して、『今』に負けないで」
考えていると、アリア・ダンデリオンはそう言い残し、踵を返して悠然と校舎の方に戻って行く。
「............『今』」
そして、俺は遠ざかっていくその背中を見ながら、独りでにそう呟くのだった。
= = = = = =
弁当を捨てて、全速力で教室に戻ると、そこにクラスメイト達は居なかった。
恐らく実技の授業なために、運動場に向かったのだろう。
律儀にも、俺が居ない間に、隠してあった教室内のゴミ箱は定位置に戻されており、少し殺したくなったが、それはもっとややこしいことになるので止めておこうと心を鎮める
「......さっさと行かないと」
教科書と、指輪を持ってと......後は
準備をして、机の中にある用具を出していると、不意に触ると凄まじい嫌悪感に襲われるものがあった。
それはネっとりとしており、篭っていたのか凄い刺激臭が鼻孔に襲う。
「臭ッ......」
そう言って、机から離れると、その臭いの原因だろうモノを触ってしまった時に、手に付いたものを確認すると
......これ......糞(ふん)か?
焦げ茶色で、感触が生温かくネチョネチョしている。
「......これ絶対学園で飼ってる馬の糞だろ」
はぁ......本当にあいつらは何をするにも本気だな......
多分、馬糞を魔法で浮遊させてここまで運んできたのだろう。
───一年ソードクラス。
俺が在籍しているこのクラスは、自分が成れる『武器』が直剣か、小剣か、長剣か、大剣だった者達の巣だ。
武器聖霊は高潔な血を好む特徴があり、埋め込ませた体が高潔な血であれば、武器聖霊の真の姿である剣に派生すると言われている。
そのため、貴族の男性が剣に成れる比が多い。
年によっては、平民の男性が剣に成れる事例もあるが、不幸にもこの世代は俺以外全員が貴族の出らしい。
貴族共が......調子に乗るんじゃねぇッ......
平民であることで虐められ始め、更に悪化したのは定期的に行われるテストで満点を取って成績が一番になった時だ。
そして、本格的に俺以外の全員に虐められ始めたのは、俺が成った剣が見たこともない形をした剣だった時から。
......
「......手を洗って雑巾で掃除するか」
授業には遅れるが......しょうがない
この虐めは、これからもずっと続くだろう。
俺はそう思った時、改めて自分の今の惨めさと、情けなさに思わず涙が溢れた。
───頑張って生きて。決して屈しない強い心と揺るがない自分の信念を持って
アリア・ダンデリオンが俺に言った言葉。
───必ず、報われる日が来る
教室の真ん中で、心に限界を感じながら、その言われた言葉を思い出す。
根拠が無い言葉だ。
しかし、何処か期待してしまう。
アリア・ダンデリオンは、一体どういう人だろうか。
人を容赦なく殺し、本当に『武器』を見下す『剣姫』なんだろうか。
それとも───
「......」
疑問が募るばかりである。