第１０話 色気のない日々
王都に越してきて数ヶ月。
ルーノさんは連日篭って作品を描き、私はモデルをする傍ら食事の準備やら買出しをしていました。
だってこの人、絵を描く以外何もできないんですよ？
こっちが促さないと食事もしないし、服も替えないし、歯も磨かないし、寝ようともしないし。
いつか倒れるんじゃないかと思って、見てるこっちはヒヤヒヤもんですよ。
だから見かねた私が色々やってるんですけど。
これ通い妻……とはまた違うんですよね。
だって、オトナな関係っていうか、そういうの全然ないんですもん。
なんか手際の悪い方の家政婦さんというか、口うるさい近所の世話焼き女というか。
我ながら発展性の無さそうなポジションに居ると思います。
実際大声を出してばっかりな気がしますし、甘い雰囲気になんか一度だってなりませんでしたから。
そんな彼との日々は今日に至るまでこんな調子です。
いつまで続くことになるんですかね、この報われない日々。
今日は王都にある大教会に、作品を納品する事が決まっている大事な日です。
約束に遅れると大変なので、私が朝に起こすという段取りになってました。
「ルーノさん、起きてくださいってば！ 遅れちゃいますよ！」
「あーー、魔女様。絵なら描きあげましたので、そちらをご笑納くださいませ」
「寝ぼけないでくださいよー、教会に行くんですから起きてください！」
「ふぇ？ あ、おはようー。今日もいい天気だねぇ、散歩に行きたくなっちゃう」
「散歩じゃなくてご飯！ 食べ終わったら着替えですからね？」
「ふわーーい。わぁーーハムエッグおいひい」
ノンキにモグモグと私の料理を食べる様はちょっとだけ愛おしいけど、今はそれどころじゃありません。
この人を起こすのにいつも以上に手間取りましたから、手早く次の行動に移させないと。
「ルーノさん、昨日渡しておいた着替えどこですか？」
「うーーん、その辺りに置いてない？」
「もう！ こんな大事な日にそんな……あぁ！ なんでベッドになんか置いちゃうんですか！？」
そこには見るも無惨なクッシャクシャの外着が。
こんなんでお偉方と会おうもんなら説教ものじゃないですか。
「ルーノさんは片付けできない人なんですか？ 前の部屋はキレイに片付いてたじゃないですか！」
「あーー、あの時は貧乏すぎて画材くらいしか買えなくて。散らかす物を持ってなかったからねー」
「あ、それは。なんかすいません」
なんか悲しい話になりそうだから、そこに触れるのは止めましょう。
って、そんなことよりも着替え！
新しい物を買いに行く時間なんか無いですから、即席のアイロンでチャチャーっと。
んんーーー、できた！
仕上がりは微妙だけどだいぶ良くなった！
これでダメなら知らん、怒られてください！
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「ほぉぉ、これは素晴らしい。なんという神々しさ。そして慈愛溢れる微笑み。噂以上の出来栄えですな」
「若輩者の私に過分なお言葉、ありがとうございます」
「いえいえ、ここまでのものを描ける人物がこの国に何人居るか。私は他に知りません」
「司祭様のお褒めのお言葉、今後の励みと致します」
ここは納入先の大教会のチャペルで、目の前にいる優しそうなオジちゃんはここの司祭様。
さっきまでのダラけた兄ちゃんと同じ人とは思えない、シャキッとした画家先生が隣にいます。
目なんかキラキラさせちゃって、完全に別人じゃないですか。
この変化を初めて見た時はちょっと笑っちゃいましたもん。
「謝礼については事務室の方へお越しください。気持ち分でしかないのが申し訳ないのですが」
「いえ、これはお金の為に請け負ったのではありませんから。ここを訪れる人々の目を潤わせられたらとの事です」
「若いのに志の高い方ですな。私はこれで外しますが、先生はどうされますか？」
「そうですね。ここで少しお祈りをしてから事務室へ伺います」
「わかりました、それでは失礼します。女神の慈愛をあなたに」
「慈愛をあなたに」
司祭様が奥へと戻って行きました、お仕事ですかね。
その背中を二人で礼をしながら見送りました。
しかし、これすごいですね。
天井まで届くおおきなパイプオルガン、神々しいステンドグラス、その光を背にするように描かれた女神の絵。
その女神のモデルはやっぱり私です。
世間様に公表していない内輪ネタなんですが、本人からするとむず痒いですね。
みんなこの絵を見て感嘆の息を吐いたり、拝んだりしちゃうんですか？
うーーん、何度モデルになってもこれには慣れないもんですね。
「アリシアさん、ちょっとお祈りしてもいいかな」
「あ、それなら私も一緒にやります」
「そうか、じゃあ並んで」
長椅子に並ぶように座って、女神像を正面に見据えてお祈りを捧げました。
心のうちからは私の疑問や不満が無遠慮に顔を覗かせます。
神様、私はこれからどうすればいいんでしょうか。
この生活は報われるんでしょうか。
私の幸せはどこにあるんでしょうか。
数々の問いが去来するなかで、一つの声が頭に聞こえてきました。
また妄想なんでしょうか、ここ最近は忙しすぎて症状が出なかったんですが。
ーーアリシア、聞こえますか？ 今あなたに話しかけています。
え、誰です？
ーー私はこの世界の命に祝福と運命を与えるものです。どのようにお呼びしても構いません。
んんーー、女性だし神々しいし、女神様っぽい？
ーーあなたは少し変わった運命を持って、この世に生まれ落ちました。上手に力を従えているようで安心しています。
あー、この妄想のことですか？ 確かに扱いにはすっごい苦労をしましたよ。まぁそのおかげで今の暮らしがあるわけですが。
ーーですがひとつだけ忠告があります。いつぞやの凶々しい力、あれはあなたの力から外れたものです。生きとし生ける物たちと相対するもの。今後一切求めに応じてはなりません。
それって、領主館を焼いた時の話ですかね。確かに妄想とは違って問いかけられましたね、力がどうのって。
ーーあの力はあなたに決して幸福をもたらしません。お忘れなさい。それを拒むようでしたら、この世界の生命の為に、あなたを闇に葬るしか……。
暴力反対！ 平和万歳！ 私は邪悪なものとの交渉に応じないぞ！
ーーよかった、あなたを無明の牢獄に閉じ込めようかとも思いましたが。それは早合点だったようです。それではアリシア、今後も健やかなる妄想を。
え、ええ。さようなら女神様。
これ妄想じゃ無いですね。
いつもと感覚が全然違いますもん。
っていうか無明の牢獄ってなんですか、おっかねえ。
あ、結局私は幸せになる方法について聞いてない！
呆気にとられて聞きそびれた！
なんというイージーミス、これは手痛い失敗ですね。
何でも知ってそうな人だったのにな、あーぁ。
私のお祈りはちょっと長すぎたようです。
隣にいたはずのルーノさんはもう居ませんでした。
というか女神像の近くに立って、私に手招きをしています。
あ、待たせちゃってすいません。
私はその時の彼の動きを見過ごしませんでした。
居住まいを正そうとするあの動き。
大事な話をするときの例の仕草。
それに気づかないフリをしつつ、彼の元へと歩み寄りました。
