開戦
―――深い、深い霧。
夜明け直後の森の空気を満たす、白い闇。
その闇の中、タタタタタ、と小刻みに聞こえる音。
一匹の、獣。
野ウサギに似た姿、しかしその頭にはシカのような角を持ち、
その体全てを、灰色の水晶のようなもので形作る、奇妙な生物。
シュパッ、と音を立てて姿が消える。
視線を動かせば、先ほどまでいた位置より上、木の枝にぶら下がる縄に足を取られ、プラプラと揺れていた。
しめしめ、と、草むらに潜んでいた姿を現す。
―――緑色に光るエメラルドのような体、人間の胎児がそのまま歩いているような体形に、牙をむきだす凶悪そうな顔を持つ生物。
人は、これをゴブリンと呼ぶ。
いや、より正確に言うのであれば、その後ろから出てきた、一回り小さい肉の体の似たような姿の生物をそう呼ぶのだが。
集団は、仕掛けた罠を見て、喜びを表す。
すぐにてきぱきと角ウサギを回収し、取り出した斧でその水晶の体を砕く。
かすかな叫び声をあげ震える角ウサギの中心、青白く光る球体をゴブリンの腕がつかみ抜く。
パリィン、と音を立て、角ウサギの結晶の体が細かく砕け散る。
後の残った球体―――かすかにどく、どく、と鼓動のように鳴動するそれを、ひょいと口に運ぶ。
美味い!
などとでも言いたげな表情と仕草を見せ、肉の体のゴブリンたちに笑われる結晶体のゴブリン。
―――朝の食事をゴブリン達が探し、狩り始めるいつもの朝。
この場所も、その日はそんないつもの朝から始まった。
――――ズゥン……!
水たまりに一瞬広がる波紋。
遠くの木々が揺れながら、一斉に目覚めた鳥たちが飛び立つ。
―――ズゥン……ィ……ズゥゥン……!
地面の揺れが、徐々に近づいてくる。
何事か、霧の向こうからやってくる何かを見上げるゴブリンたち。
―――ズゥン……ギギィ……ズゥン……!!
霧に浮かぶ、巨大な影。
名峰ブラウ山の山頂に現れるという幽霊のような、しかしそれは自分たちの影が映った物ではない。
ズゥン!!!
霧を超えて表れる、巨大な影、巨大な体。
水晶のようにツルツルとした白色の体表を持ち、竜に似た、円を描く角を持ち、翼のように広がる筒状が連なる何かを背負う巨体。
よく見ればその足の裏には、シリンダーと呼ばれる駆動機械が存在し、
その手に持つ物は、鉄を中心にあらゆる素材でできた人工物―――巨大な斧。
あたりには足音以外にも、ブゥン、ブゥォォン、と明らかに自然の音ではない重低音が響いている。
すでにゴブリンたちは、散り散りに、なるべく早く逃げていく。
アレが来た。
ならアレの周りにいつもいるモノも、やってくる。
ややあって、影から現れた細長い『脚』に、一匹が踏み潰される。
巨大な怪物の周りには、一回り小さい姿と、半透明な黄色く丸い、卵の殻も様な物でおおわれた頭を持つモノたちが大量に取り囲むよう進む。
その半透明な頭部の中、その外の肩や腕の上に、
頭半分を覆う程度の兜に、胴当てすらない布の服、そして手には『ライフル』と言えばわかりやすいであろう銃や、一部は水晶のような物がはめられた杖のようなものを持つ人間たちが乗る。
おそらくは、『一般兵』と、『魔導士兵』。
ここではよく目にする、歩兵の組み合わせだ。
霧が薄くなり、太陽が昇る。
巨大な水晶と機械の怪物と、周りを囲む小型の怪物の足が止まる。
やがて、遅れてやってきた4つ脚に十字架のような頭を持つ異形な怪物が、少し離れた位置に陣取る。
かろうじて人のように見える上半身から伸びる腕は、先端からまるで『砲』のような形になっていた。
しかし、それではなく、その背中に一体化した巨大な筒を角度を付けて向ける。
『臼砲』。
大砲の中でも、普通の方法で破壊するのが難しい『要塞』『城』を破壊するために生み出された、魔法を使わない物の中でも最強の砲。
そんな物騒な物が並び終え、一瞬、あたりを静寂が満たす。
カカカカカ、と小刻みな音はエンジン音、低い回転数の音がしばらく響き、
ドォォォンッッ!!!!
大地が一瞬割れたかのような爆音と共に、霧を吹き飛ばし、穴をあける大砲撃が始まった。
ヒュゥゥゥゥルルルルルル…………―――ズガァン!!!
遠く、霧の森に隠れた場所、そこにそびえたつ建造物。
森に似合わない人工物で出来た建物の一角を吹き飛ばす。
――――ピィンッ!
瞬間、その建物の裏から、光の筋がこちらに飛んでくる。
光の根元には、女の上半身と蛇の下半身を持つ、単眼を光らせる怪物がいた。
すでに移動をし始めていた4つ脚達はそれを避けているが、一部が光の本流に打ち抜かれ、パリィンとはじけ飛び崩れる。
即座に、場を光と砲弾が飛び交い、森が焼け、花のあった大地がえぐれる。
「進め!! 進め、門弟(ブラザー)達よ!!」
「異教徒を殺せ!!大義は我らにあり!!」
「エェェイメェェェェェェェェェン!!!!!」
降りた歩兵たちが進みはじめ、森に潜んでいた相手も、機関銃や魔力弾を放ち応戦を始める。
ズゥン、と、別の方角から、
巨大な鼻のような機関を持つ顔を持つ、巨大な体の機械の怪物が現れる。
あの竜のような怪物が、それに対峙し巨大な顎を開けて吠える。
森は静けさをなくし、霧が晴れると共に、戦場と化した。
すでに、住んでいた動物たちは逃げ出し、その場所に残るのは、硝煙の匂いと砕ける水晶の音のみ。
この森の一角で起こった二つの軍勢の衝突が、
すべての始まりだった。
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